堕胎した子宮でバケツが満杯に…獣医師たちが泣きながら不妊去勢手術をする理由
プレジデントオンライン / 2022年2月22日 11時15分
■「私たちだって猫を殺しているんです」
春になると不妊去勢手術が憂鬱になると、齊藤朋子獣医師から聞いた。ほぼすべてのメス猫が子宮に赤ちゃんを宿しているからだ。
「ごめんね」
齊藤獣医師は何度もそう言って、赤ちゃんが入ったメス猫の子宮を摘出する。1日を終える頃、バケツが堕胎した子宮でいっぱいになり、それは持ち帰ってお寺に供養してもらうのだという。
「時には明日生まれるんじゃないかというほど育っている子(猫)がいる子宮を取り出す。その時、多くの獣医師が悩みます。自分が結婚して赤ちゃんを宿している女性獣医師であれば、なおのことつらいです。私もたくさん泣いてきました。殺処分を防ぐための手術なのに、私たちだって猫を殺しているんです。つらい気持ちは今も変わりません。でも、自分が手術の手を止めないことで、未来に救われる猫たちがいると信じています」
■「誰がお金を出すの?」と不思議がる獣医師もいる
齊藤獣医師は「不妊去勢手術をしないがために、野良猫が殺処分されているという現状を知らない人もいるでしょう」と、続ける。
「誰が野良猫にしたのか。誰が繁殖させたのかと突き詰めると、それは人間です。生まれてくる命を殺さないためには今生きている犬や猫に不妊去勢手術をするしかありません。けれども獣医師のなかには『野良猫の不妊去勢手術をするなんて、誰がつかまえるの? 誰がお金を出すの? どうやって麻酔をかけるの?』とやり方さえ知らない人もいます。
また、不妊去勢手術を知っていても、それを犬や猫にするのはかわいそうという人もいます。自然に任せたほうがいい、と。手術に反対する気持ちも、わからなくはありません。でもその結果、たくさんの子猫が生まれて、最終的には殺処分される。私は殺処分ゼロの世の中にしたい。だからこの手術を続けます」
■保護施設へ持ち込まれるネコの数は減っている
2020年度(2020年4月1日から2021年3月31日)の殺処分数は、犬4059匹、猫1万9705匹(環境省発表)。その状況を詳しくみると、行政の保護施設から飼育を希望する人に「譲渡」、あるいは飼い主に「返還」する数は、5年前の2万6886匹に対して、2020年度は2万5385匹と、ほぼ変わらない。しかし、「猫の引取り数」(保護施設へ持ち込まれた数)は5年前が7万2624匹だが、2020年度の引取り数は4万4798匹と、大きく減っている。
ということは殺処分数の減少は、こうした不妊去勢手術を地道に行い、野良猫そのものの数が少しずつ減ってきたからだと考えられる。不妊去勢手術を行えば、その猫は一代限りの命だからだ。
野良猫に不妊去勢手術を行い、元の場所に戻すやり方は「TNR」と呼ばれている。野良猫を捕獲(Trap)して、不妊去勢手術(Neuter)を行い、元の場所に戻す(Return)活動だ。
「この茨城のクリニックでは“手術をした猫の目印”として、すべての猫の耳先をV字にカットします。誰もがわかる目印がないと、手術済みの猫がまた捕まって麻酔をかけられ、最悪の場合、メスでは再度おなかを開ける手術になってしまうこともあるんです。耳先が桜の花びらのようにカットされているので、近年では手術済みの猫たちを『さくらねこ』と呼んで、こういった活動を知らない地域の人たちにも説明します」(齊藤獣医師)
■TNRのためには「費用」と「獣医師の確保」が課題
不妊去勢手術を受けることは、猫にとってのメリットもある。
「生殖行為やオス同士の血がにじむ喧嘩で、猫同士がエイズや白血病を感染させることがあります。去勢手術をすると、繁殖のためオスが出歩くこともなくなりますから、病気の感染リスクも減りますし、あまり喧嘩もしなくなるんですよ。猫にとって心地よい生活が続くと思います」(同)
ただし、TNRのためには「費用」と「獣医師の確保」が課題になる。
費用については、多くの自治体が野良猫に対する不妊去勢手術の費用を助成している。例えば茨城県ではオス7000円、メス1万円の助成をしている。通常の飼い猫の場合は数万円だが、飼い主のいない猫には助成金の枠内で手術を請け負うという獣医師も少なくない。各自治体の助成金でまかなえれば、捕獲したボランティアが手術代を負担する必要はなくなる。
しかし野良猫の手術は、獣医師であれば誰でもいいというわけでなく、“早く正確にこなせる腕”も必要だ。
■オスなら1分、メスなら10分以内で手術を終える早業
前回の記事で今年1月、茨城県で野良猫に不妊去勢手術を行なっている様子を取材したと記した。毎回、獣医師2人で1日に40~60匹の野良猫の手術を行うのである。当日手伝っていたボランティアの方々は「齊藤先生でなければできない」と口にしていた。
「飼い猫なら手術後にゆっくり療養できますが、野良猫は手術の翌日に元の場所にリターンします。この先も野生で元気に生きていけるように、猫の身体に負担なく手術を行わなければなりません。しかも、大量の猫がいますから、一頭にそれほど時間をかけられず、10分程度でやってくださる技術が必要なんです」(ボランティア)
齊藤獣医師とともに奮闘する、青山千佳獣医師も「齊藤先生の手術はとにかく早くて、傷口も小さいと獣医師仲間では評判だった」と話す。
取材時に齊藤獣医師による手術を何匹も見学させてもらったが、本当に速い。オスなら1分、メスの場合も10分以内だ。一般的な動物病院なら、メスの不妊手術といえば5〜10センチ程度開腹して、子宮を探りあてて摘出するのが通常だ。だが齊藤獣医師の場合、傷口は1センチ程度。そこから子宮を吊り出す、耳かきのような器具が入れて、まるでそこにあるとわかっているかのように腕を動かす。
■「子猫は再生力が強いから、3日もあればきれいになる」
「大きく切れば獣医師としては見やすいのでしょうが、縫合に時間がかかりますし、麻酔の量もたくさん必要になる上、猫にも負担がかかります。ですから傷口はできるだけ小さく、出血も少なくなるように、というのを意識しています。野良猫は後日抜糸の機会もありませんから、縫合はいずれ溶ける糸を使っています。時間が経つと、外からは手術したのがわからないくらいになるんですよ。子猫だったら再生力が強いですから3日もあればきれいになります」(齊藤獣医師)
機械に頼らず、たくさんの“飼い主のいない猫を診る”のが、齊藤氏の獣医師としてのプライドなのだと感じた。
「飼い猫には、人間と同じように執刀医、助手、看護師さんがいて、心電図をつけながら手術するクリニックもあります。でも、それだと人手が必要ですし、停電になって機械が使えなくなったらアウトでしょう。モニターに頼らなくても心臓の音は確認できるし、血圧がはかれなくても脈に触れればわかります。私は自分のクリニックにも検査機器はあまりないんですよ。まあお金がないだけなんですけど」
と、照れたように笑った。
■車の後頭部座席からは、ミャーミャーの大合唱
朝9時からスタートした44頭の野良猫の不妊去勢手術は、17時に終了した。
その時間になると、野良猫を預けたボランティアが車で猫を引き取りにくる。その一人、60代後半の女性にインタビューした。彼女は乗ってきた車に手術を終えた猫が入るケージをどんどん積んでいく。「すごい数ですね」と話しかけると、「他の人が捕まえた分も私がまとめて引き取りにきたんですよ」と説明してくれた。
「自宅の近くではしょっちゅう子猫が車に轢かれていてね。この時期になるとオスがメスを探して動き始めるから、その前に少しでも手術を進めようと思って」
車の後頭部座席からは、ミャーミャーの大合唱だ。「ちょっと待ってねー」と、女性は猫に話しかけながらケージを整頓する。全部で20ケージはあろうか。まだ入りきらないケージがあるので今度は助手席にも積んでいく。
女性が運転席に座るとバックが見えないのではないかと思うほど、車の中は猫が入っているケージでぱんぱんになった。「安全運転で帰ります」と女性は言って、去っていく。
■野良猫が子猫を産むと「どうしよう」と悩み始める
手術を行う一室を管理するボランティアの長谷川道子氏は「戦中戦後を生き抜いてきた高齢者の方は野良猫をみると、かわいそうとご飯をあげたくなってしまうみたいです」と説明する。
「でも自分が餌をあげていた野良猫が子猫を産むと『どうしよう』と悩み始めるんです。それでこちらが手術の必要性や、補助を使えば金銭的な負担のないことを説明します。捕獲の仕方を教えると、高齢者でもちゃんと捕まえて、ケージに入れて猫を連れてきてくれます。自分が歳だし、猫より先に死んだら世話ができないから、これ以上猫が増えないように、という思いでやっているみたいですね」
TNRは良い方法のように感じるが、青山獣医師は「いずれは“リターン”をなくしたい」と話す。
「殺処分はもちろん、TNRがない世界になるといいな、と思います。全ての猫が人に譲渡できたらいいですよね。それが難しければ、ほとんど医療を受けられない野良猫でなく、みんなから見守られる『地域猫』でいてほしい」
■地域の猫は「みんなが見守る。みんなで助ける」
その根底には「野良猫も飼い猫も同じ命」という思いがある。
「私は野良猫だけじゃなくて、普通の飼い猫のオペもしますし、高度医療も行います。動物が好きだから、どの子(猫)も大切。野良猫にも、みんなで平等にお金をかけて助けようよ、って思うんです。だって私たちがその子たちを路頭に迷わせたのですから」
地域の猫はみんなが見守る。みんなで助ける。手術は獣医師にしかできないことだが、一般の人にもできることはある。広報が得意な人は「野良猫の里親」を募集する。ボランティアで手術の手伝いをする。猫が苦手なら、動物愛護の活動をするYouTubeを見る。売り上げの一部が動物保護団体に寄付されるようなグッズを買う。青山獣医師は「どんな方法でもいいから応援してほしい」という。
猫を愛する人が善意で何かを行うのではなく、ともに生きようとする地域になったらいい、と私も思う。(続く。第3回は2月23日11時公開予定)
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ジャーナリスト
1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『週刊文春 老けない最強食』(文藝春秋)、『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、『室温を2度上げると健康寿命は4歳のびる』(光文社新書)など。新著に、プレジデントオンラインでの人気連載「こんな家に住んでいると人は死にます」に加筆した『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中公新書ラクレ)がある。
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(ジャーナリスト 笹井 恵里子)
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