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「防衛庁元技官はなぜ中国スパイの手に落ちたか」霞が関や日本企業から情報を盗んだ"巧妙な手口"

プレジデントオンライン / 2022年6月7日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazuma seki

経済安全保障はなぜ重要とされているのか。元国家安全保障局長の北村滋さんは「外国の情報機関が軍事・政治の機密情報のみを入手しようとしていたのは過去の話だ。今は先端技術にその矛先が向けられている」という――。

※本稿は、北村滋、大藪剛史(聞き手・構成)『経済安全保障 異形の大国、中国を直視せよ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

■防衛庁元技官による潜水艦情報流出事件

――武器や装備品の素材情報が盗まれた事件はあったか。

2000年に、防衛庁(現防衛省)の元技官が潜水艦に関する資料を中国側に渡していた事件もあった。

この元技官は1971年に防衛庁に入庁し、技術研究本部(防衛装備庁の前身)で潜水艦を造る鉄鋼材料の強度向上の研究などを担当していた。2002年、同本部第一研究所の主任研究官で定年退職した。資料を持ち出したのは在職中の00年2~3月ごろのことで、潜水艦の船体に使われる「高張力鋼」と呼ばれる特殊鋼材やその加工に関する技術報告書をコピーし、無断で持ち出していた。資料はB5版で34ページくらいの厚さだった。

――高張力鋼とは。

通常の鋼板より薄くしても、強い負荷に耐えられる特殊な鋼板だ。海上自衛隊のおやしお型潜水艦に使われていた。日本の潜水艦技術、とりわけ特殊鋼材に関する技術は世界屈指のレベルと言われていた。

高張力鋼情報の漏洩は、潜水艦の潜航深度や、魚雷からの攻撃でどの程度破壊されるかといった弱点を教えるばかりか、「敵」の潜水艦建造に利用してください、と言っているようなものだ。わが国への脅威は増すばかりだ。

■食品輸入業者を装ったスパイだった

元技官は同本部の研究所で、特殊鋼材の原料や耐弾強度などの研究に従事していたという。持ち出したのは、元技官が1990年代後半に高張力鋼の材質や溶接方法などについて同僚と共同執筆した論文などのコピーだった。

警視庁は2007年2月、資料を持ち出した窃盗容疑で元技官を書類送検した。直接の容疑は窃盗だが、その資料は中国に渡っていたとみられる。単なる窃盗事件ではなく、中国によるスパイ事件だった。

――元技官は誰に資料を渡していたのか。

知人である埼玉県の食品輸入業者だ。桃の缶詰などを中国から輸入していた経験があるという業者は03年ごろから、在日中国大使館の元副武官が来日した際、車で送迎していた。04年までの約10年間に約30回も中国に渡航した事実を警視庁は確認していた。中国では、「軍関係者」として紹介された男性と会っていた。要はこの業者は、中国のスパイだったわけだ。

業者は、固形燃料の納品などで防衛庁に出入りしたのをきっかけに人脈を広げた。元技官とは1986~87年ごろ、共通の知人の紹介で知り合ったという。業者は防衛庁関係者に幅広く接触しながら、集めた情報を中国側に流していたのだろう。

元技官は、「東京都や神奈川県で週1回から月1回ペースで会食していた。代金は相手方が払った」と供述していた。一緒に酒を飲むうちに、業者から「資料を持っていかないと、中国で仕事ができない」と潜水艦に関する資料の提供を求められたようだ。元技官は「渡した資料は、中国側に渡ると思っていた」と認めている。実際、情報は業者を通じて中国側に渡ったのだろう。

■他にも中国のスパイになった人物がいる可能性がある

元技官はコピーを持ち出した約1年9カ月後、業者とともに、北京に渡航していた。在職中の2001年12月のことで、渡航費用は業者が負担していた。業者が「あなたに来てもらわないと困る」と強く言って北京に誘ったようだ。

北京のオフィスビル街
写真=iStock.com/dk1234
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/dk1234

元技官は渡航中に北京のホテルで素性の分からない中国人と面会している。元技官は、「中国政府関係者だと思った」と供述していた。人民解放軍等軍事関係者だった可能性がある。

元技官は飲食代金につられてスパイになった。売国的行為と非難されても仕方がないと思う。

――元技官が持ち出した資料は、どの程度、機密性が高いものだったのか。

防衛庁は報告書を自衛隊法で定める「防衛秘密(当時)」に指定していなかった。防衛秘密は国防上、特に秘匿が必要な情報だ。漏洩には罰則があり、5年以下の懲役だ。

防衛庁が防衛秘密に指定していなかったものだから、警視庁は自衛隊法違反容疑ではなく、窃盗罪で書類送検せざるを得なかった。

実は、業者の自宅を捜索したところ、潜水艦に使うゴム材の資料も見つかった。その分野を研究していた別の元技官が「自分の研究内容を書き直して業者に渡した」と認めた。その業者も「中国に渡航して、資料の大半を軍関係者に渡した」と話していた。

業者の自宅には、防衛庁が進める装備近代化に関する資料も残されていた。資料には最近の研究テーマや目的、予算額などが書かれていた。2人以外にも、中国のスパイになった人物がいた可能性があるということだ。

■中国人技術者が暗躍したデンソー事件

――中国は軍や産業の近代化を目指している。

中国軍の近代化に転用されかねない情報を中国人技術者が持ち出した事件も記憶に残る。

大手自動車部品メーカー「デンソー」(愛知県刈谷市)の中国人技術者が、自動車関連製品の図面を大量にダウンロードした会社のパソコンを無断で持ち出していた。愛知県警は、2007年3月、中国人技術者を横領の疑いで逮捕した。社内のデータベースから、産業用ロボットやディーゼル噴射ポンプなどの設計図面データを、支給されたノートパソコンにダウンロードした上、同年2月に、自宅に持ち帰ったというのが直接の容疑だった。データベースにパソコンから接続し、産業用ロボットの図面など約1700製品のデータ計約13万件をダウンロードして入手していた。うち約280件は機密扱いになっていた。

図面を大量に入手し始めた時期と、中国に頻繁に一時帰国するようになった時期が一致していた。データを中国に持ち出していたのだろう。

データのダウンロード件数は06年9月までは多い月でも10件程度だったが、10月は1万800件、11月12万件、12月に4000件と急増していた。件数が増えた06年10月以降に2回、中国に帰国していた。

■証拠は隠滅、ダウンロードされたデータ数は不明

デンソーの社員が不審な行動に気付いて、07年2月、技術者の自宅を訪ねたところ、技術者は私物のパソコンに内蔵されたハードディスクを千枚通しのようなもので破壊した。証拠隠滅だった。結局、ダウンロードされたデータが合計何件だったのか判明しなかった。技術者はこの直後にも中国に一時帰国していた。

――この技術者は何者だったのか。

来日前はミサイルなどを製造する中国の軍需産業管理機関傘下の企業に在籍していた。在日中国人らでつくる自動車技術者協会の副会長も務めていた。協会では、中国の自動車関連企業などとの窓口を担当していた。副会長に就任したのは06年11月ごろで、データを大量にダウンロードしていた時期と重なっていた。協会での立場を利用して中国企業にデータを渡していた可能性がある。

ラップトップでタイピングする手のクローズアップ
写真=iStock.com/DragonImages
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/DragonImages

■重要情報が入手できる部署に配属してはいけない経歴

デンソーには01年に入社後、機能品技術部でエンジン関連部品の設計を手がけていた。中国の軍需産業管理機関傘下の企業に在籍していたという経歴の外国人を、重要情報が入手できる部署に配属してはいけない。

デンソーは、トヨタグループで、その技術力は世界的にみても高い。持ち出された産業用ロボットやディーゼル噴射ポンプなどの設計図面は民生用とはいえ、中国軍の機械関係の近代化に寄与したことであろう。中国で民生用に使われたとしても、日本の企業が磨き上げてきた高い技術を、中国の利益にされてしまったことになる。

名古屋地検は、07年4月、技術者を不正競争防止法違反(営業秘密の侵害)で立件することを断念した。実際にデータの受け渡しがあったかどうかの解明ができなかったためだ。技術者は、データを持ち出したのは「研究のため」と主張した。地検は供述を翻すことはできなかった。県警が押収した記憶媒体はすでに破壊されていたこともあり、事件の全容解明には至らなかった。結局、処分保留のまま釈放し、不起訴処分(起訴猶予)とならざるを得なかった。

企業が持つ機密データを対外的に渡したかどうかの立証は難しい。

■「防諜」の観点で一番弱いのは人間

私が警察庁外事課長として関わってきた事件について説明してきたが、スパイを防ぐ「防諜」の観点で一番弱いのは人間だ。システムの欠陥で情報が流出するよりも、専門家の頭の中にある高度な技術が抜けていってしまうのが、一番怖い。こうした見えない技術の移転を英語で、ITT:Intangible Technology Transferと言う。

当時はまだ、「経済安全保障」という言葉は無かったが、その重要性は警察にいたころから感じていた。スパイ活動の重点は当時から、経済的な利益に関するものに移ってきていたからだ。ゾルゲ事件のように、外国の情報機関が軍事、政治の機密情報のみを入手しようとしていたのは過去の話だ。情報収集の矛先は、政府だけでなく、企業が保有する先端技術に向けられている。ロシアのSVR、GRUもそうだし、中国の国家安全部や人民解放軍総参謀部第二部(当時)等の情報機関もそうだ。

北村滋、大藪剛史(聞き手・構成)『経済安全保障 異形の大国、中国を直視せよ』(中央公論新社)
北村滋、大藪剛史(聞き手・構成)『経済安全保障 異形の大国、中国を直視せよ』(中央公論新社)

私は、警察庁時代、摘発と広報という形で、こういった問題に対処してきた。そこに限界も感じていた。

スパイを十分に取り締まれない法体系の不備。

企業の問題意識の低さ。

霞が関でも、外事警察と、輸出入を規制する経産省貿易管理部を除けば、危機意識は十分ではなかった。

解決しなければならない問題は多かった。

その問題意識が、後に国家安全保障局長になった時に、政策立案という形で生かされることになる。

※本稿の説明は、当該事件当時の各種報道、警察白書の当該部分、警察庁警備局編集の『焦点』及び『治安の回顧と展望』の当該部分、外事事件研究会『戦後の外事事件 スパイ・拉致・不正輸出』東京法令出版(2007年)の当該部分、拙著『情報と国家』中央公論新社(2021年)の当該部分、当該事件の受任弁護側から開示されたと思料されるネット上の各種資料、その他研究者による事件関連論文等の公表又は開示された資料に基づいている。

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北村 滋(きたむら・しげる)
前国家安全保障局長
1956年12月27日生まれ。東京都出身。私立開成高校、東京大学法学部を経て、1980年4月警察庁に入庁。83年6月フランス国立行政学院(ENA)に留学。89年3月警視庁本富士警察署長、92年2月在フランス大使館一等書記官、97年7月長官官房総務課企画官、2002年8月徳島県警察本部長、04年4月警備局警備課長、04年8月警備局外事情報部外事課長、06年9月内閣総理大臣秘書官(第1次安倍内閣)、09年4月兵庫県警察本部長、10年4月警備局外事情報部長、11年10月長官官房総括審議官。11年12月野田内閣で内閣情報官に就任。第2次・第3次・第4次安倍内閣で留任。特定秘密保護法の策定・施行。内閣情報官としての在任期間は7年8カ月で歴代最長。19年9月第4次安倍内閣の改造に合わせて国家安全保障局長・内閣特別顧問に就任。同局経済班を発足させ、経済安全保障政策を推進。20年9月菅内閣において留任。20年12月米国政府から、国防総省特別功労章(Department of Defense Medal for Distinguished Public Service)を受章。2021年7月退官。現在、北村エコノミックセキュリティ代表。

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(前国家安全保障局長 北村 滋 聞き手・構成=大藪剛史)

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