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灘→東大→MITに合格した私が「数学の公式の丸覚え」を絶対にやらなかったワケ

プレジデントオンライン / 2022年7月15日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/wnmkm(左)/gregobagel(右)

頭がいい人はどのように勉強しているのか。東京大学とマサチューセッツ工科大学(MIT)にダブル合格し、現在は起業家として小中学生向けオンライン教育プラットフォーム「スコラボ」を運営する前田智大さんは「頭のいい人は原理原則に沿った勉強をしている。たとえば数学の公式は丸覚えするのではなく、その公式の意味を理解することを目指したほうがいい」という――。

※本稿は、前田智大『灘→東大→MITに合格した私の「学びが好きになる」勉強法』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

■頭のいい人は「原理原則」にあった勉強をする

「頭がいい」というと、皆さんはどんな人をイメージしますか?

偏差値の高い学校に通う人? 難しい問題をスラスラ解ける人?

それらはたしかに、頭の良さの「一つの側面」ではあるでしょう。しかし私は、本当の頭の良さはもう少し根本的なところにあると思っています。

私が考える「頭の良い人」は、「原理原則から考える人」です。

「原理原則って、いったい何?」と思われたでしょう。

原理原則から考えるとは、まさに「○○って、いったい何?」という問いの先にたどり着く、物事の本質にのっとって考えることです。

もう少し、具体的に話しますね。「勉強法」を例に挙げましょう。

皆さんは、学校で習う「英数国理社」に、それぞれどんな勉強法が適しているかを考えたことはありますか? たとえば、それぞれの科目に「暗記」はどれだけ必要でしょうか。

5科目のうち、もっとも暗記を大事にするべきなのは「英語」だと私は思います。

「英語とは、いったい何?」と考えると、その理由がわかります。

英語は「言語」です。言語には文法などのルールがありますが、そもそも言語を習得するとき、人は「覚える」ことから始めなくてはなりません。私たちもそうやって日本語を話せるようになりました。英語を話す国の人たちも、赤ちゃんのときから、単語や文の組み立て方を覚え続けて、今に至っているのです。

ですから、私たちが英語を学ぶときは、とにかく覚えるのが先。単語量を増やすことが最優先です。文を解釈したり思考したりするステップは、その基礎を固めたあとの話です。

一方、数学はその逆。「覚える」よりも「理解する」ことを優先すべき科目です。

「いや、数学も公式を覚えたりしますよね?」と思ったでしょうか?

ここで再び、「数学とは、いったい何?」と考えてみましょう。

数学は、言語とは本質的に違います。言語は人間が作り出したものですが、「1+1=2」は、この世に元からある法則を数字を使って表したものです。

ですから「『知識』は英語で言うと『knowledge』である」という決まりは、覚えなくてはいけません。しかし「1に1を足すと2になる」という決まりは、考えれば理解できますね。

算数の決まり事や数学の公式は、すべてそうです。台形の面積を出すときの「(上底+下底)×高さ÷2」も、「a二乗+b二乗=c二乗」も、そうなる理由がきちんとあります。

ですから、「なぜこの公式になるのだろう?」と考えて理解するのが、数学の理想的なアプローチ。逆に「公式の丸覚え」は、原理原則に沿っていない勉強法となるのです。

■原理原則に合わない勉強をしている人が多い

各科目の本質を、自分の頭で考えて判断、実践する。これが、原理原則に基づいた勉強法です。とても理に適(かな)った、ある意味「当たり前」の方法です。

しかし実際のところ、それを実践していない人たちが、非常に多いのです。

中学生や高校生の皆さん。数学の公式や解法を「暗記」していませんか?「この問題はこのパターンで解ける」と、機械的に当てはめてはいないでしょうか。

その方法でも、一定のレベルまでは通用するでしょう。しかしある段階で、きっと解けなくなるはずです。それは「理解」とは別物だからです。

はたまた、英語の勉強を、最低限の単語や文法を覚えるにとどめ、長文を読むときに「推理」で乗り切ろうとしていませんか? そのやり方では、どんな文章も「虫食い」状態。知らない単語が登場するたび、推測や想像で補わなくてはなりません。そんなところに思考を使うのは、非効率ではないでしょうか。

偏差値の高い学校に通っているような、いわゆる「できる子」の中にも、そうしたやり方をしているケースがしばしばあります。なぜ、確実性の高い「原理原則」のやり方から、こうも多くの生徒が離れていってしまうのでしょうか。

教室で勉強をする学生
写真=iStock.com/urbancow
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/urbancow

■人は易きに流れる

そこには、いくつかの理由があります。

一つ目の理由は、いたってシンプル。原理原則に基づく勉強は、「すぐに結果が出ない」からです。

数学の公式を、ひとつひとつ「なぜそうなるのか」まで掘り下げたり、多量の英単語をひたすら覚えたりするのは、とても地道な作業です。それでいて、最初のうちはなかなか点数に反映されません。

ならば、「数学はあれこれ思考するより、公式を丸覚えしてしまおう」「英語は暗記にとらわれないで、前後の文脈で推理してしまおう」と、考えてしまうわけです。

そもそも、暗記という作業が「楽しくない」ことが困りもの。

英語で求められる暗記量は膨大ですが、つまらないし、やりたくない。だから「推測でお茶を濁そう」という気持ちが起こります。逆に、数学で求められる暗記量はわずかです。だから、「いくつかのパターンだけ丸覚えすれば、なんとかなりそう」と思ってしまいます。

要は、楽に流れたい心理が働くわけですね。でも……。

再び、当たり前のことを言います。

暗記すべきものが多い教科は、多く暗記をすべきです。

暗記すべきものが少ない教科なら、暗記に頼らず、思考すべきです。

理に適った方法でアプローチすることが、最終的に、良い学びにつながるのです。

■原理原則から外れる日本の学校教育のあり方

早く結果を出したい心理と、楽に流れたい心理。これに拍車をかけているのが、日本の学校教育のあり方です。

心理学者のエドワード・デシとリチャード・ライアンの「自己決定理論」によると、人が勉強をする動機は、「報酬/罰」「罪悪感」「目的」「興味」の四つがありますが、今の日本のほとんどの教育環境は「報酬/罰」と「罪悪感」に訴えて勉強をさせます。

「勉強する子は感心だ、しない子はけしからん」という大人たちの価値観を、子どもは多かれ少なかれ、感じ取りながら生きています。だからどこかで、「勉強しなきゃいけないんだけどな……」という罪悪感を担わされています。

そこに、「報酬/罰」も絡んできます。褒められる・叱られることもそうですが、もっとも明確なのは、テストの結果です。

形あるご褒美やペナルティがなくとも、「結果が良ければ嬉(うれ)しい、悪ければ落ち込む」という本人の一喜一憂が、十分な報酬と罰になっているのです。

定期テストは年に5回と、頻繁にあります。受験期になれば、模擬試験も加わってきます。しょっちゅうやってくる「報酬/罰」を前にすると、早く成績を上げたくなるのも無理のない話です。

教室でテストを受ける学生
写真=iStock.com/smolaw11
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/smolaw11

■大切にしたいのは「目的」と「興味」

では、あとの二つの「目的」「興味」についてはどうでしょうか。

こちらは、前の二つとは逆。原理原則の学びと結びつきやすい動機です。

「この分野を勉強して、将来は○○の研究者になりたい」といった目的があれば、自然とそれに適した学び方を、自分の頭で考えるでしょう。「次のテストで何番以内に入る」といった短期的目標ではなく、長いスパンで捉(とら)えているため、成績がすぐに伸びなくても、心理的ダメージはわずかです。

そして「興味」は、原理原則の学びに直結する、最強の動機です。興味とはすなわち、「もっと知りたい」「本質を探究したい」という気持ちにほかならないからです。

目的意識と興味を持てるか否かは、高い思考力や深い理解、つまり「真の知識に至れるか否か」の分岐点と言ってもよいでしょう。

しかし日本の教育環境で、子どもたちに興味を持たせることは至難の業です。

学校の先生方も、何も好き好んで「報酬/罰」に走っているわけではありません。持たせたくても、できないのです。

学校の授業にも試験にも、複数の科目があります。その全科目に興味を持てる子など、そうそういるものではありません。

目的に関しては、1クラス30人前後という多人数が障壁になります。生徒たちは、学力レベルもモチベーションも、将来の希望も一人一人違います。

その子たちを、まとめて勉強に向かわせるにはどうするか……。

「いい学校に合格すべし!」が、もっともわかりやすい動機付けになります。最大公約数的で短期的な、最大の「報酬/罰」というわけです。

■AIに確実に負ける勉強法

現代人の心配事の一つに、「AI(人工知能)に抜かされる」というプレッシャーがありますね。

いつかAIが人類の知能を超えてしまう、今ある仕事の50%はAIに置き換えられる、という話を聞くと、ふと不安になる人も多いでしょう。

しかし人間の知性は、それほど弱くはありません。とりわけ、原理原則に基づいた思考ができる人なら、その危惧は不要と言っていいでしょう。

その理由は、主に二つ。一つ目は、「AIは新しいことができない」ということです。

現時点でのAIの主な機能は、パターン認識です。たとえば、大量の写真の色のパターンを見て、「これは犬」「これは猫」と判別する、膨大なユーザーのデータから「この層はこういう商品を好む」といった傾向を見出すなど。

コンピュータは、そうした大量のデータを読み込んで、すごいスピードで解析し、パターンを見出します。人が気づかないようなことでも一瞬で発見してしまうので、「これでは太刀打ちできない」と思ってしまいがちです。

しかし、お気づきでしょうか。データからパターンを見出す能力は、「詰め込み学習」と同じです。たくさんの問題を見て、そこにマッチする解答のパターンを当てはめ、テストでの点数に結びつける。この作業は、AIが行っていることとそっくりです。

人間がそれを行ったところで、AIほどの大量かつ高速な情報処理はできません。競争すれば、現時点でも負けます。

■新しいものを生み出すのは人間

その代わり、人間にできて、AIにできないこともあります。

AIは、「これまで見なかったもの」を定義づけることができません。

たとえば、魚の新種が発見されたとします。人間なら、「これは、既存の魚とこういうところが似ているから、新種の魚ではないか」と、なんとなく推測することができるでしょう。しかしAIなら、答えは「わかりません」になります。

考えるAIヒューマノイドロボット
写真=iStock.com/NanoStockk
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/NanoStockk

なぜならAIは、「○○だから、○○だろう」という理由付けが苦手だからです。データから一定のパターンを見つけ出すことはできても、それは「~だから」こうなるという発見ではなく、単に並列的な関係を述べたにすぎません。

今後研究が進めば、理由付けのスキルも身につく可能性はありますが、実用段階に入るのはまだまだ先。断然、人間のほうにアドバンテージがあります。

「なぜ、この公式が必要なのだろう」「なぜ、こうなっているのだろう」と考える力は、「新しいこと」を考えつく力でもあります。

「今、これがないから、これを作ろう」と新規の決定をする、理由をつけて行動に移す。それは、原理原則から考えられる、人間ならではの能力なのです。

■データのないことにチャレンジできる人が強い

つまり、人間がAIよりも優れているのは「創造性」です。

もちろん、AIにも創作はできます。これまでにヒットした曲を膨大に聞かせたら、「それっぽい」曲を作ることはできるでしょう。しかしそれらは、過去のデータの延長線上のものであり、聴いたこともないような新しい音楽ではありません。

前田智大『灘→東大→MITに合格した私の「学びが好きになる」勉強法』(PHP研究所)
前田智大『灘→東大→MITに合格した私の「学びが好きになる」勉強法』(PHP研究所)

今後の社会で強く求められるのは、「見たこともない、聴いたこともないもの」です。変化の激しいこの時代、過去の延長線上にあるアイデアでは、とても対応できないからです。

「でも人間だって、過去の経験からアイデアを出しているのでは?」という意見もあるでしょう。たしかにその通りです。しかしそこにも、人間とAIとの間には決定的な差があります。

これが、AIに負けない二つ目の理由。人間は、AIのように膨大なデータを吸収しなくとも、少ない経験から「ピンとくる」力があるのです。

AIは、過去の消費者動向から「受ける商品のパターン」を見つけることはできても、新しいニーズに応(こた)えるアイデアは出せません。なぜなら、データが少なすぎるからです。対して人間は、100万人に意見を聞かなくとも、数百人にリサーチするだけで、「こうすればいいのでは?」という仮説やインスピレーションが浮かんできます。

初対面の人と話すときにも、同じことが言えます。お互い「どんな人か」をなんとなく見定めて、何を話せばスムーズに会話できるか推測して、話すことができますね。

その推測がはずれて、失敗することもときにはあるでしょう。それでも、推測するときに必要とする情報量が「とても少ない」ことこそが、人間のすごい力です。AIなら、何億人分のデータを吸収しないとできない芸当です。

なぜ人間には、そんなことができるのでしょう。それは、私は人間が「生き物」として、少ない情報から正確に一般化をするという力を身につけているからだと思います。

生き物には生存欲求がありますから、危険を察知する感覚が備わっています。太古の人間は、飢餓や天災や猛獣など、命を脅かされる状況に事欠きませんでした。そんなとき、「ここは猛獣が出る」と100回経験するまでわからないようでは、命がいくらあっても足りません。少ないデータでパッと判断できる能力の源は、おそらくここにあります。

ちなみにこの能力、弱点もあります。テレビの街頭インタビューを見ていて、「世の中の意見はこうなのか」と思ってしまうことはありませんか? しかし、たまたまテレビが面白おかしく取り上げた数人の声など、サンプルとして少なすぎますし、偏りすぎています。安易に一般化するのは間違いの元です。

そう、人間の仮説やインスピレーションは、ときどき間違うのです。大量のデータから統計的に答えを割り出すAIのほうが、正答率は上でしょう。

しかし、社会を変えるような新しいアイデアを創出するとき、過去のデータはほぼゼロ。となれば、少ないサンプルから一般化するしかありません。間違ってもいいから賭(か)けてみる。そして、失敗したときにそこから学ぶ。――これからの時代に活躍できるのは、そうした気概とインスピレーションを持つ人なのです。

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前田 智大(まえだ・ともひろ)
Mined 共同創業者
1995年生まれ。大阪府和泉市出身。灘中学・高校から米マサチューセッツ工科大学(MIT)に進学。2018年MIT工学部電子工学科卒業。2020年MIT Media Lab修士課程を卒業。光学とコンピューターサイエンスを組み合わせて、皮膚の下や曲がり角の先など、見えないものを見るテクノロジーの研究に励み、国際学会で最優秀論文賞を受賞。大学院在学中に、ソフトバンクグループ会長兼社長の孫正義氏の「孫正義育英財団」に応募し選抜された。2020年に帰国後、株式会社Minedを起業し、現在は小中学生を対象としたオンライン教育サービス「スコラボ」を開発・運営しながら、講師も務めている。

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(Mined 共同創業者 前田 智大)

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