障害者に遠慮してはいけない…個性豊かな大学病院の清掃スタッフを束ねる"おばあ"が絶対に使わない言葉
プレジデントオンライン / 2023年5月31日 14時15分
2020年からスタートした、鳥取県で障がい者雇用を積極的に行なっていた『さんびる』と障がい者就業生活支援センター『しゅーと』と『鳥取大学医学部附属病院』という3者での新しい取り組み。写真中央の清掃員・坂川ルミ子は、この枠組みで重要なポジションを担っているスタッフだ。 - 写真=中村治
※本稿は、鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 13杯目』の一部を再編集したものです。
■「掃除だからできるだろう」と軽い考えで入社したが
坂川ルミ子の朝は早い。
朝5時に起床すると、まず洗濯機を回す。夫、2人の息子の洗濯物のうち、分厚い作業着などは乾燥に時間が掛かるからだ。そして朝食の支度に取りかかる。
食事を取った後、7時半には職場である鳥取大学医学部附属病院に到着。7時45分、渡り廊下の一角に彼女が束ねる「チーム」が集合する。
日によって人数は左右するが、だいたい4人から6人。年齢は20代前半から30代後半まで。まずは道具確認を済ませ、担当する部屋、作業を指示する。
「はーい、始め」
坂川の声とともに、モップ、ブラシ、タオルなどの道具を手にしたスタッフが一斉に散らばっていった。病院長室を含めた部屋の掃除は使用開始時間である9時までの約1時間に限定されているのだ。
大規模な事業所、ビルではこうした清掃風景は日常である。他と違うのは、坂川のスタッフがみな、心の病を抱えていることだ。
坂川は1971年に米子市で生まれた。
「(米子市)公会堂から歩いて3分ぐらいのところに住んでました」
当時は米子駅から縦横に商店街が広がっていた。特に週末には“土曜夜市”が開かれており、屋台が出て華やかな雰囲気となった。夏になると、商店街の通りには花を中に凍らせた氷の柱が設置され、坂川は手で触って溶かして遊んだ記憶がある。
最初の仕事場は米子市内の洋食レストランの厨房だった。
「しばらくしたら調理師免許をとらんといけなくなったんです。(料理は)面白いなって思ったんだけれど、(分量の)計算難しそうやなって思って、逃走しました」
勉強好きじゃないんですと坂川は笑う。その後は建築現場などで働き、結婚を機に一度は仕事をやめた。育児が一段落してまた調理などの仕事をしていたある日、街を車で走っているとビルの清掃をしている婦人たちの姿が眼に入った。
「なんか楽しそうに掃除しとーなーって。掃除だったら主婦の(仕事の)延長だよねー、みたいな軽い感じで、『さんびる』に入ったんです」
さんびるは1977年設立、山陰を中心に中国地方でビル管理、清掃業を手がける企業である。山陰地方でテレビコマーシャルを流しており、坂川は親近感を感じていたという。今から約7年前のことだった。
「掃除だからできるだろうと軽い考えで入ったら、深かった。こうしたらもっと時間が短縮できるとか、綺麗になるとか突き詰めていくと面白くなった」
2020年秋、坂川は取締役である樋口純一から呼び出された。とりだい病院で障がい者をスタッフとした新しい事業が立ち上がることになった、そのまとめ役――“サポーター”になってくれないか、というのだ。
■「自分の気持ちもぶつけなさい」
始まりはとりだい病院総務課からの働きかけだった。
とりだい病院で障がい者雇用に力を入れているが、なかなか定着しない。障がい者の方がやりやすい仕事――清掃業を検討しているので相談に乗って欲しいという打診だった。
樋口はこう振り返る。
「我々の会社は2001年ぐらいから障がい者雇用に積極的に取り組んできました。お掃除をメインにして市役所や病院などで、“サポーター”をつけて障がい者の雇用を継続してきました。
ただ、とりだい病院からの提案は病院で雇用するという前例のない形でした。清掃技術を教えるノウハウはありますが、障がい者の方を集めるとなるとまた別の話になる。そこで障がい者就業生活支援センターに入っていただくことになりました」
米子市の障がい者就業生活支援センター『しゅーと』が募集、とりだい病院が希望者を面接して採用、さんびるが清掃指導を担当するという形を取ることになった。
当初、現場を任された坂川は戸惑いの連続だったという。
「最初にこの人はこういうタイプです、こういう癖がありますっていう表を見せてもらったんです。でもそれは個人情報に関わるのですぐに回収されてしまって、参考にはならなかった。
でもこうも思ったんです。紙の上では病名になっているかもしれないんだけれど、その人が持っている体質と捉えよう、その体質をどげに理解しようかなと。スマホでピッピッとやったら色々と出てくるかもしれないけれど」
私、勉強嫌いじゃないですかとおかしそうに笑った。
「それならばプロの門を叩けって、就労者支援センターに行ってみたんです。最初は嫌な顔されるかなーって思ったんだけど、行ってみたらすごく感じのいい人だった。(障がい者と接する)経験がないのにやるんですか? ああ、分かりました、私で役に立てるならばどうぞ、どうぞと」
どのような人間がいるのか、どこまで求めるのか聞いた上で助言をしてくれた。最も印象に残っているのは「あなたが我慢してはいけない」という一言だった。
「相手の気持ちを尊重するのはいいけど、自分の気持ちも相手にぶつけなさい、そうしないと伝わらんけんって。
彼ら、彼女らは、この人は遠慮してるんだ、やっぱりぼくたちのことを考えていないって思ってしまう。1つのチームにするには、どんどんぶつかりなよって言われました」
■「突然、帰っていいですか」への返答
掃除には手順がある。例えば入り口から最も遠い場所、窓際から始めて、自分たちの跡を消すようにして出ていく。
「マイルーティンというか、手順にこだわりがある子が多いんです。時にそれを崩さなくてはならない。最初は無理ですって言うんです。大丈夫、分かっているから、少しずつ変えなさいって。最初はできんと思う、時間は掛かるかもしれないけれど、習得していけばいい。そうしたら、自分が変われたって思うからと」
坂川の言葉に気分を害するスタッフもいた。
「突然、帰っていいですかって言われたので、ああ、分かった、帰ってもいいよ、その代わり、明日は来いよって。そうしたら、んっ? ていう顔をするんです。今日はメンタルが疲れたんでしょ、疲れて帰りたいのは分かる。これから帰って明日の朝まで休憩すればいい。明日には元気になっているから来いよって」
すると、はい、分かりましたという返事が戻ってきた。
時に仕事で手を抜くスタッフには注意することもある。
「重たく言っちゃったら、(精神的に)抱えこむなっていうタイプの子もいる。そのときは、おちゃらけて、“ねぇ、先生、ちょっといい加減にしてくれないかしらー、ここ散らかってますよ”とか、コメディチックに注意したり。すると、分かりましたってにこって笑ってくれる」
やがて就労者支援センターの担当者が言ったことは正しかったと確信するようになった。
「こちらが(障がいがあるからと)遠慮したり我慢したりして、何も言わんようになったら、本人がしんどくなっちゃう。
我が家の息子2人と同じ接し方をするようにしました。いいことはいい、悪いことは悪いと言う。みんなにはしっかりと見てやるけん、第二の母と思いなさいって言ってます」
■不備があれば指摘はするが、頭ごなしに否定はしない
朝9時に部屋の掃除が終わると、再びスタッフが坂川の元に集まる。次は部屋以外、トイレ、洗面台、廊下、階段の掃除が待っている。
「だいたい1人で(管理棟の)1階と2階、3階と4階とか、2フロアを担当するんです。私は、何これーっ、手ぇ抜いているよー。これやっていないんじゃない? 疲れてるの? 今度はやろうなとかいう風に確認して声を掛けていくんです」
不備があれば指摘はするが、頭ごなしに否定はしないことを坂川は心がけている。そして、14時50分に全員集合、仕事は終わりとなる。
「どこそこの汚れが気になりますとか、自分では落とせませんでした、時間内にできませんでしたといった報告をしてもらうんです。
できていない場合は翌日、近くのフロアの子で誰か応援してくれないかという話をします。誰も志願者がいない場合は強制的に指名。みんなが不公平に思わないように分担してもらいます」
スタッフを帰した後、坂川は一人でもう一度、現場を見て回ることにしている。その後、買い物をして帰宅する。
「帰ってきて、ダーッと着替えて、掃除、残っていた洗濯をして、はいオッケーとなったら夕食の準備。夕食の片付けが終わった後は、もう根が生えたようにテレビの前から動かないです。
テレビ大好きなんです。恋愛物以外のドラマはとりあえず見る。恋愛物は、あー、まだぁ、もういいじゃんっ、みたいになっちゃうから。あとはゲームやったり」
■「あの子たちが出ていくとき、おばあは泣くと思う」
地方都市において、大学病院は敷居が高いとされている。坂川もとりだい病院で働くまでは、しかめつらの先生や冷ややかな看護師たちばかりだと身構えていたという。
しかし、実際は違っていた。以前、『カニジル』の裏表紙に坂川が写っていたことがあった。直後、医師らしき男が「カニジルに載っとったね、見たよ、すごいね」と話しかけてきた。
「すいません、掃除のおばあをわざわざ取り上げてくださいましたと答えたら、いい感じだったよと」
坂川は米子の方言で自分のことを「おばあ」と呼んでいる。
「名前も知らないけど、いつも会うと世間話をする先生なんです。ナースの方々も本当にお行儀がいい。ちゃんと患者さん、命と向き合っている感じがする」
とりだい病院とスタッフの雇用期間は5年間。再来年、第1期生が巣立っていく予定だ。
「1期生は最初7人おったんだけど、しんどいですと辞めていく子がいて、今残っているのは2人。おばあも、あなたたちのタイプと一緒に仕事するのは初めてだから、わからんもん同士。
そこは気にせずに何でも言ってくださいからスタートしている。わからんだったら、わからんでもいい。そう言ってくださいと」
あの子たちが出ていくとき、おばあは泣くと思う、今から考えるだけで悲しくなると、微笑んだ。
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ノンフィクション作家
1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て独立。著書に『偶然完全 勝新太郎伝』『球童 伊良部秀輝伝』(ミズノスポーツライター賞優秀賞)『電通とFIFA』『真説・長州力』『真説佐山サトル』『全身芸人』『ドラヨン』『スポーツアイデンティティ』(太田出版)など。小学校3年生から3年間鳥取市に在住。(株)カニジル代表取締役。今年8月より東京と米子の二拠点生活中。
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(ノンフィクション作家 田崎 健太 写真=中村 治)
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