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教室が暗くても誰も電気をつけず黙って座っている…日本の大学でそんな不気味なことが起きる衝撃の理由

プレジデントオンライン / 2023年9月28日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mapo

現代日本の大学生はどんな大学生活を送っているのか。京都精華大学准教授の白井聡さんは「いまの大学生を観察していると、ともかく窮屈そうだ。授業をしに教室に行くと、学生はいるのに電気がついていないことがある。自分が率先して電気をつけることで周囲から突出したくないようなのだ」という――。

※本稿は、内田樹、白井聡『新しい戦前 この国の“いま”を読み解く』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

■小学3、4年生頃から「縮こまる」子どもたち

【白井】前にも「子どもたちが萎縮している」という議論はしましたよね。園児たちはみんなすごく伸び伸び元気にやっているけれども、小学3、4年生頃から縮こまるようになって、大学生になると本当に覇気がなくなって萎縮している。その背景には、特に90年代後半から組織文化の中に評価や査定が持ち込まれたことがあると。

【内田】「縮こまる」といういまの白井さんの表現は適切だと思います。2016年に米誌「Foreign Affairs」が日本の大学教育について特集したことがありました。記事は「この四半世紀の日本の大学教育、教育行政は全部失敗した」と総括していましたが、印象に残ったのは、教員や学生に対するインタビューで、大学教育についての感想として、教師も学生も似た形容詞を使っていたことでした。彼らが大学に対して感じることとして選んだ形容詞は三つで、「trapped(罠にかかった)」と「suffocating(息ができない)」と「stuck(身動きできない)」でした。狭い穴の中に押し込められて、身動きの自由がきかず、息が詰まるというのが学生たちの大学生活の身体実感なわけです。

■「体育座り」は自分自身を縛り付けている

【白井】いわゆる閉塞感ですよね。

【内田】閉塞感が心理状態というよりほとんど身体実感となっている。子どもたちが身動きできず、ゆっくり息もできないと感じているのは、制度的に管理されているというだけじゃないと思います。子どもたち自身が自分で自分の心身を管理し、抑圧している。

その典型が「体育座り」です。膝を抱え込んで床に座る体育座りは、自分の腕と足を檻にして自分自身を縛り付ける体位です。胸が締めつけられているから深い呼吸ができない。手遊びができない。立ち歩きができない。子どもたち自身が自分の身体を身動きできない状態にしている。竹内敏晴さんはこの「体育座り」を「日本の学校教育が子どもたちに及ぼした最も罪深い行ない」だと批判していました。

体育座りは今の学校教育を身体的に表象していると思います。子どもたちは自分自身で自分の心身を縛り付け、息ができないようにしている。子どもたち相互でも、お互いがお互いの檻に相手を閉じ込めていく。それぞれが囚人でありかつ看守であるという仕方で相互に監視し合っている。教師や親も子どもたちを監視している。だから、彼らが「罠に嵌(は)まって」、「身動きできず」、「息苦しくてたまらない」という身体印象を語るのは当然なんだと思います。

■「キャラ」は自分自身を閉じ込める檻

【内田】前に「中高一貫教育は非常によくない」という議論をしましたね。12歳の時に設定したキャラクターを18歳までに変えられないからよくない、と。中高一貫の男子校出身の白井さんはあまり同意してくれなかったけれども(笑)。思春期には劇的に心身が変化します。読む本も聴く音楽も観る映画も変わる。性的指向も変わる。当然、それまでの友だちとは話が合わなくなる。でも、孤立は怖い。だから仲間にとどまろうとして無理しても同じキャラを演じ続ける。キャラを演じている限りは集団内部に居場所がある。でも、このキャラなるものは、自分自身を閉じ込める檻でしかないわけです。その檻の中にとどまるということは、自分の変化や成長を自分自身で妨害しているということになる。

日本社会は、学校に限らず、あらゆる組織が個人を檻の中に閉じ込める仕組みになっているように見えます。子どもたちが「有名になりたい」という欲求を持つ理由は単純ではないですけれども、有名になることによって、押し込められて、息ができなくなっている檻の中から解放される。そういう夢を託している面があるのではないかという気がします。

■教室の電気をつけない大学生たち

【白井】なるほど、ずうっと自分が閉じ込められていたキャラクターから有名になって脱出すると。確かにいまの大学生を観察していても、ともかく窮屈そうです。たとえば、授業をしに教室に行くと、教室の電気がついていないんですよ。薄暗い部屋で、黙ったままボオッと席に座っている。まことに不気味な光景ですが、私は何度も遭遇していますし、多くの同業者が同じ証言をしています。どうやら、自分が率先して電気をつけるという行為によって周囲から突出したくないようなんです。そのような状態がいかに異常なものか、当人たちが気づいていない。この光景に遭遇する度に、私は説教をかますようにしていますが、それでもこの光景が減らないところを見ると、他の大学教員たちはこの状況を肯定してしまっているようです。

学校の空き教室
写真=iStock.com/smolaw11
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/smolaw11

こうした精神状態で知的発展というものができるわけがない。ほとんど引きこもりのような精神状態です。

例外的にそうした状態と無縁の学生はいて、そのような学生に限って社会的関心は高く、勉強熱心でもあります。そして、私が見る限り、そうした学生は精神疾患の発生率が高くて、程度はいろいろですが、鬱病が多いです。調子のいい時はいいけれども駄目な時は駄目で、普通に見えても、実はずっと服薬しているといったケースをよく見聞きします。

■殻を破ることは「心身の健康のリスク」と引き換え

【白井】つまりは、この閉塞状況の危うさを正面から受け止めてしまう感受性があると、心身に変調をきたす確率が高まっている。これはまことに悲劇的な事態です。この時代の社会が課してくるある種の殻を破ろうとすると心身の健康のリスクと引き換えにしなければならない。

【内田】僕は高校2年で学校にうんざりして高校を中退しましたけれど、そのとき親に「高校を辞める」と言ったら、頭がおかしくなったと思われて精神科に連れて行かれました(笑)。ほんとうに病気になったと思ったらしい。

【白井】息子が変なことを言い出したから医者に連れて行く。そう発想したお父さんは開明的と言うべきですよ。素人目から見ても明らかにおかしい、医者の診断を受けたほうがいいという時に、むしろ親が診療を止めるケースがすごく多いわけです。我が子の精神の不調を一種の恥辱のように感じて、それを認めたくなくて、それで治療的介入が遅れて悪化させるというケースが多いんですね。

精神的健康問題に苦しむ男性患者へのカウンセリング
写真=iStock.com/pcess609
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/pcess609

■大学入学時点では「壊れている」

【内田】さいわい僕の場合、精神科医は「どこも悪くありません」と言ってくれたんですけれどね。でも、親はそれでよけい混乱したみたいです。せっかく進学校に入学して大喜びしていた息子が、いきなり「高校辞めて、中卒労働者になる」と言い出したんですから。でも、思春期ってそういうものじゃないですか。僕の頭の中ではつじつまの合った行動だったんですけれど、教師や親や中学時代の友だちからしたら「頭がおかしくなった」ようにしか見えない。実際に、僕の方も自分の感情や行動をきちんと言い表すだけの言語能力がない。だから、「頭がおかしくなった」と言えば、そうなんです。僕もちょっと壊れていたと思う。

思春期の子どもって精神的に壊れやすいんです。程度の差はあれ、みんなちょっとずつ壊れている。だから大学に入学時点では、中等教育におけるプレッシャーで心身がかちかちになっている。あれも「過剰に防衛的になっている」という仕方で「壊れている」んです。

でも、それも仕方がないんです。傷つけられまいとして、外殻を固めて、自分の本心を明かさないようにして、与えられたキャラを演じて、何とか大学までやってきたんですから。そのかちかちになった外殻を取り除いて、彼らの自己防衛を武装解除するのに2年ぐらいかかる。「ここは君たちを査定したり、格付けしたり、ルール違反を処罰したりするための場所ではありません。君たちが好きなことをして、思っていることを言葉にして構わない場所です。ここは深呼吸していい場所です」という言葉を信じてもらうのに2年かかる。

■1年生の頃は伏し目がちだった子が、前を見るようになる

【白井】もう半分、終わっているじゃないですか。

【内田】そうです。僕がいた大学では入学してすぐの基礎ゼミから2年間ずっと僕のゼミを履修する学生がけっこういました。その子たちはそのまま3年生になって僕の専攻ゼミに入ってくる。だから、1年生からの経年変化がよくわかる。1年生の頃は、腕を組んで、伏し目がちに座っていた子たちが、まっすぐ前を見て座るようになる。ニットキャップを目深にかぶって目を隠していた子がある日キャップを脱ぐようになる。そうやってしだいに胸襟を開いて話し出す。この子はこんな声だったのかということを入学して2年経って初めて知る。

【白井】はい、姿勢の悪さ、眼差しの無力感、気になりますよね。心理状態が身体の挙措にまで現れている。結局、自己防衛なんですよね。

【内田】中等教育で相当痛めつけられてきたんだなという感じがします。

アジアの落ち込んだ女子学生が携帯電話を見て、動揺している
写真=iStock.com/PonyWang
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PonyWang

■「何かを主張する」ことのハードルが高い

【白井】いまのお話はとても参考になります。まずはコチコチになっている心と身体をほぐさなければならない。

私も大学で基礎ゼミをもたされてレポートの書き方の指導なんかをしなければならないのですが、これがなかなか難物だと感じてきました。「書きたいことを書けばいいんだよ」などと身も蓋もないことをつい言ってしまうのですが、実際自分は「書きたいことを書く」ことしかしてこなかったんで、それ以外言うことがない。主張のない論文はつまらないですから。

しかしどうやら、問題は「書きたいことを書く」以前のマインドセットにあったようですね。「書きたいことを書く」とは、要するに何かを主張することです。だから私の指導は、「何かを主張しなさい」という命題に約言されるわけです。しかし、「言いたいことを言う」「何かを主張する」という行為が、いまの若者たちにとってとてもハードルが高いというか、前代未聞の課題として現れてしまうわけですね。「え!? そんなことしていいのか?」と。この戸惑いを解いていくところから始めなければならないんですね。

これが解けないで、ある時ぱんっと弾けてしまうと……。

【内田】精神疾患のようなかたちで発症する子もいるだろうし、暴力衝動のようなかたちで出る子もいるだろうし、出方はいろいろあると思います。

■ある時期までは、体育座りは忌避されていたのではないか

【白井】ただ、私の時代の中等教育が今日よりもずいぶんよかったかというと、そうとは思えません。それこそ体育座りもさせられていた。内田さんの時代もそうじゃないですか。

内田樹、白井聡『新しい戦前 この国の“いま”を読み解く』(朝日新書)
内田樹、白井聡『新しい戦前 この国の“いま”を読み解く』(朝日新書)

【内田】体育座り、僕は覚えがないです。僕たちの時代の教師たちはおおかたが戦中派でした。男の先生たちはほとんど戦争に行って、敗けて、ひどい目にあって復員してきた人たちです。だから、この世代の先生たちは基本的に国家を信じていないというところがありました。目の前で大日本帝国が瓦解するのを見たんですからね。昨日までの軍国主義教育が一夜明けたら民主主義教育になった。だから、「国家というものは信じられないものだ」ということは、どんなに権威主義的な教師でも、経験知として内面化していた。

虚無的で、いかなる権威も認めないという不敵な教師もいました。おそらく戦中に「人間というのは信じられないことをするものだ」という口にすることのできないような経験をしてきたんでしょう。そういう絶望的に虚無的な教師たちもかなりいましたから、戦後のある時期までの中等教育では、体育座りのような軍国主義的な管理は忌避されていたんじゃないですか。

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内田 樹(うちだ・たつる)
神戸女学院大学 名誉教授、凱風館 館長
1950年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。2011年、哲学と武道研究のための私塾「凱風館」を開設。著書に小林秀雄賞を受賞した『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)、新書大賞を受賞した『日本辺境論』(新潮新書)、『街場の親子論』(内田るんとの共著・中公新書ラクレ)など多数。

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白井 聡(しらい・さとし)
京都精華大学准教授
1977年東京都生まれ。思想史家、政治学者。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻博士後期課程単位修得退学。博士(社会学)。著書に『永続敗戦論──戦後日本の核心』(講談社+α文庫、2014年に第35回石橋湛山賞受賞、第12回角川財団学芸賞を受賞)をはじめ、『未完のレーニン──〈力〉の思想を読む』(講談社学術文庫)など多数。

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(神戸女学院大学 名誉教授、凱風館 館長 内田 樹、京都精華大学准教授 白井 聡)

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