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覚醒剤の元売人や知的障害者が売る「西成のクラフトビール」が、世界的ビールコンテストで銀賞を取った理由

プレジデントオンライン / 2024年3月19日 13時15分

「クラフトビール事業をはじめるなんて想像したこともありません」(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/LauriPatterson

ドヤ街から抜け出すにはどうすればいいのか。ノンフィクション作家の石井光太さんの書籍『無縁老人 高齢者福祉の最前線』(潮出版社)より、大阪・西成の福祉事業のケースを紹介する――。(第2回/全2回)

■釜ヶ崎のベンチャー企業

釡ヶ崎と隣接するアーケード街には、立ち飲み屋が並び、朝から酔っ払いの歌声が響いていた。道端には地べたにすわって酒盛りをする人たちや、独り言を言いつづけるホームレスの姿があり、電信柱の下の吐瀉物や立小便の跡から悪臭が立ち込めている。

アーケード街を少し行ったところに、目指していたクラフトビールの醸造所が建っていた。

このあたりの街の風景には似つかわしくない、デザイン性豊かな2階建ての建物だ。ベンチャー企業のオフィスと言われても疑わないだろう。

醸造所を運営しているのは、株式会社cyclo(以下「シクロ」)だ。訪問介護事業、通所介護事業、就労支援事業など、西成に暮らす高齢者や障害者を対象とした福祉サービスを主に行っている。

会社の会議室では、代表の山﨑昌宣(あきのり)氏(43歳)がインタビューに応じてくれた。山﨑氏は次のように語る。

■「クラフトビール事業をはじめるなんて想像したこともありません」

「僕がこの会社を作ったのは2008年のことでした。もともと僕は福祉関係の別の会社に勤めていたんです。当時は、まさか自分が会社を経営するとか、ましてや介護事業の他にクラフトビール事業をはじめるなんて想像したこともありませんでした」

この会社を設立する前、山﨑氏は大阪で広く介護事業を行う会社に就職し、エリアマネージャーとして働いていた。西成、生野、今里、難波といった地区で働くケアマネージャーを管理する立場だった。

だが、その会社が訳あって倒産することになった。山﨑氏は地区の責任者として、利用者たちが継続して必要なサービスを受けられるように、別の介護事業者に引き継ぎをしなければならなかった。

■「そのためなら、なんぼでも協力するで」

ただ、利用者にしてみれば、まったく知らない事業者より、自分のことをわかっている人たちに介護をしてもらいたい。そこで彼らは次のような声を上げはじめた。

「会社が倒産するなら、山﨑さんが新しく会社を起こせばいいやないか! そのためなら、なんぼでも協力するで」

大勢の人からそう言われたことで、山﨑氏は目を開かされた。

自分たちは会社の都合を一方的に利用者に押しつけて不安に陥らせていただけではないか。それなら、自分が腹をくくって、彼らにとって最良のサービスを届けたい。

山﨑氏はそう考え、知人ら4人と共に西成区で起業した。それがシクロだった。

昔も今も釡ヶ崎の周辺には、元日雇い労働者や元暴力団組員が大勢住んでおり、福祉のサービスを必要としている。

予想していたことだが、その近くに事務所を開設すれば、自ずとそうした者たちが利用者となる。障害といっても、覚醒剤の後遺症、アルコール依存、統合失調症といった問題を抱えている人たちを相手にサービスを提供しなければならないのだ。

■わざと刺青を見せて威嚇する者も

介護者にとってこのような地域で仕事をするのは簡単ではない。後遺症や精神疾患で激しい幻覚に苦しんでいたり、人格が破綻してしまっていたりする者もおり、そもそもまともなコミュニケーションができないのだ。

若いスタッフたちを見下し、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせたり、わざと刺青を見せて威嚇(いかく)したりする者もいる。

刺青がある人のイメージ
写真=iStock.com/jjpoole
わざと刺青を見せて威嚇する者も(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/jjpoole

開業当初、会社のスタッフはそうした人たちへの適切な対応法がわからず、正論で向き合っていた。

だが、社会の底辺を這うように生きてきた利用者の方がはるかに狡猾で、口が達者だ。彼らはこうがなり立てた。

「あんたら偉そうに言ってるけど、わしらがいるから給料もらえるんとちゃうか。どうせ給料だって安いんだろ。わしらが若い時はもっと働いてがっつり稼いでたわ! 偉そうな口を叩くな!」

■福祉だけでなく就労の機会を与える

万事がこうなので、若いスタッフは働けば働くほど心が削られていった。なんでこんな人たちの介護をしなければならないのか。自分は必要とされていないのではないか。志を持って入ってきても、1年もたたずに辞めていってしまう。

山﨑氏は事業をつづけるためには、スタッフの心を守らなければならないと考えるようになった。それには、トラブルを起こす利用者に変わってもらわなければならないが、容易(たやす)いことではない。

仲間と散々話し合って出たアイディアが、彼らに福祉サービスを提供するだけでなく、就労の機会を与えることだった。彼らは誰からも必要とされず、することもないので、朝から大酒を飲み、酔った勢いでスタッフに当たり散らす。それなら、彼らに役割を与え、生活を落ち着かせてはどうかと考えたのだ。

こうして山﨑氏らが立ち上げたのが、カフェ事業だった。町中に小さなカフェをオープンさせ、そこで利用者にアルバイトをしてもらう。仕事を通してやりがいをつかめば、いろんなことに前向きになれるはずだった。

カフェのカウンターのイメージ
写真=iStock.com/Weedezign
町中に小さなカフェをオープン(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/Weedezign

■「周りに迷惑だからカフェを畳んでくれ」

2015年に開始したカフェ事業はすぐに軌道に乗ったが、しばらくして横やりが入った。

地元住人からクレームが寄せられ、営業が難しくなったのだ。

「周りに迷惑だからカフェを畳んでくれ」

カフェに釡ヶ崎の高齢者が大勢出入りすることで、周辺の店や家の人たちが不安を口にするようになったのである。

逆の立場に立てば、そう言いたくなる気持ちもわからないではない。

カフェ側は彼らと話し合いもしたが、理解を得ることができず、志半ばで閉店を決めた。

次に山﨑氏が手掛けたのが、リサイクル品のバザーだった。カフェ経営よりハードルが低いと考えたのである。

衣服や食器や家具を方々から集め、利用者に搬送から物販までを手伝ってもらった。

だが、こちらは利用者からの評判があまり芳しくなかった。バザーで売る商品にさほど興味がなかった上に、売り上げも低い。利用者がやりがいを見いだすにはほど遠かった。

■「西成の人間は、みんな朝から飲んでる。ここは酒の街や」

他に何かいい仕事はないだろうか。そんなことを考えていた矢先、山﨑氏のところに一人の利用者がやってきた。軽度知的障害のある男性だった。彼は言った。

「わしは昔、ここらで酒を造ってたんや。うまい酒が造れんねん。西成の人間は、みんな朝から飲んでる。ここは酒の街や。もし社長(山﨑)が酒を造ってくれたら、わしがなんぼでも売ってやる。頑張らんかい!」

かつてこの近辺では、人々が自家製のどぶろくを密造して飲んでいたり、それを居酒屋に売って稼いだりしていることがあった。男性もそのように密造酒を造った経験があったのだろう。

山﨑はその場では返事を濁(にご)したが、日が経つにつれて「釡ヶ崎のおっちゃんたちに、酒造りや販売は合っているのではないか」と考えるようになった。ただ、今の時代に酒を密造して売るわけにはいかない。

■わずか1日半で1本800円のビールが完売

そこでまず、山﨑氏は他県の工場からOEM(委託者ブランド製造)でビールを500本買い付け、それに自社で作ったラベルを貼り替えて売ってみることにした。リスクの低い方法で試してみたのである。

発案者の男性を含めて15人ほどの利用者に声をかけて営業してもらったところ、驚いたことにわずか1日半で1本800円のビールが完売した。

大量のビールのイメージ
写真=iStock.com/FreshSplash
わずか1日半で1本800円のビールが完売(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/FreshSplash

利用者たちは毎日のように朝からドヤ街で飲み歩き、酒屋の店主や常連客と仲が良い。そのコネを使って売りさばいたのだ。

利用者たちは口々に言った。

「社長、酒ならどれだけだって売ってみせるで!」

■500リットルのタンクを5つ設置

その後、山﨑氏は同じように4度にわたってOEMで500本のビールを仕入れて販売を行ったところ、いずれもすべて1日で完売した。売上金は分配され、利用者が得た日当は3万円にもなった。何より、彼らの顔には自信が溢れていた。

山﨑氏はこの経験から、自社でクラフトビールを醸造し販売してみようと決意した。勝算が見えたのだ。そして銀行から融資を受けて、建物を改築して醸造所を建て、500リットルのビールを造ることができるタンクを5つ設置した。

ビールのタンクのイメージ
写真=iStock.com/master-c
500リットルのタンクを5つ設置(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/master-c

2018年、こうしてクラフトビール醸造所「ディレイラブリューワークス」が完成したのである。

山﨑氏は言う。

「これまでうちでは、32種類のビールを造ってきました。フルーティーな種類や、キレのある種類など様々です。レギュラーの商品は7、8種類ですが、それ以外は季節ものなど個性のあるものをバラバラに造るようにしています。タンクでビールを造るには1カ月かかるので、最大でも月に5種類が限度なのです」

■約80名の就労先を生み出した

酒税法では、発泡酒は年間に6000リットル以上を造らなければならないが、タンクが5つあれば十分だ。

ビール造りはワインとは異なって、麦芽など必要な原材料は外部からすべて買い付けることができる。原材料の組み合わせによって味を決めれば、その後の工程はさほど複雑ではないし、製造期間は1カ月ほどと短い。

ビール造りは専門の知識を持った職員がやるにしても、それ以外の仕事――ラベル貼り、配送、販売といった仕事は障害のある高齢者にも任せることができる。

さらに山﨑氏はビール造りだけでなく、西成区内にカフェやパブをオープンさせてそこで自社のビールを販売したり、酒造の過程で出たものを肥料として利用する事業をはじめたりした。

これによって、シクロは約80名の就労先を生み出すことができるようになったのである。

山﨑氏はつづける。

「この地区のおっちゃんたちはみんな酒好きで、それにかかわって稼ぐことにプライドを持っています。だからこそ、酒造りとか、酒の販売を心から楽しんでやってくれるし、それで賃金を得ることが自信につながる。この事業に携わったことで、人生が変わったという声もたくさん聞きます」

■暴力団組員に頼み込み、覚醒剤の密売に手を出す

・戸山隼人(とやまはやと)(仮名、66歳)の場合

釡ヶ崎の一帯は、覚醒剤をはじめとした違法薬物の密売が多い地域として知られている。売人の中には暴力団や半グレだけでなく、ホームレスもいる。

隼人は若い頃から日雇い労働で生計を立てていたが、そうした中で覚醒剤を覚えて長らく使用してきた。そのせいで、精神障害を患い、日雇い労働をすることができなくなった。

当時、彼は結婚をして妻と子がいたため、別々に生活保護を受給するために偽装離婚することにする。

隼人は単独で、妻は子と二人で生活保護を受けたものの、生活の乱れた彼らは、その金額だけではやっていけなかった。

隼人は金を作るため、知人の暴力団組員に頼み込み、覚醒剤の密売をやらせてもらうことにした。

■覚醒剤の密売は三人一組

生活保護受給者は、アルバイトなどをすれば、その分の収入が受給金額から引かれてしまう。だが、覚醒剤のような裏の仕事をすれば、その儲(もう)けを丸々手にすることができる。

それが覚醒剤の密売をはじめた理由だった。

釡ヶ崎の周辺では、覚醒剤の密売は三人一組で行われる。

「見張り役」「売人」「売人を逃がす役」だ。一人が警察がいないかどうかを見張り、もう一人が密売をする。仮に警察が来れば、さらにもう一人がおとりとなって密売人を逃がすのだ。

パトカーのイメージ
写真=iStock.com/akiyoko
一人が警察がいないかどうかを見張り、もう一人が密売をする(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/akiyoko

覚醒剤の密売の仕事はそこそこ儲かったが、隼人は毎日気が気でなかった。

自分が逮捕されて刑務所に送られれば、妻子までもが苦境に陥ることになる。毎晩、その恐怖とストレスで眠れないほどだった。

■暴力団に数万円を払って脱退

ある日、仲間の一人が密売から足を洗うと言いだした。聞くと、シクロという会社がクラフトビール事業をしており、そこで働かせてもらうという。

隼人はそれを聞いて、自分も密売の仕事をやめて、シクロで働きたいと思った。

収入は減るだろうが、歩合制なのでがんばればそれなりの額になるかもしれない。

妻に相談したところ、たまたまシクロのクラフトビール事業を紹介するニュースを見ており、このように言った。

「シクロだったらええんやない? 収入が減ってもええから、そこで働きなよ」

覚醒剤の密売グループを抜けるには、暴力団に話をつけなければならない。

広げたお金を見る人のイメージ
写真=iStock.com/kuppa_rock
暴力団に数万円を払って脱退(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/kuppa_rock

隼人は暴力団事務所へ行って数万円を支払うことで脱退を認めてもらった。そして、シクロのクラフトビール事業に加わったのである。

■社会で自立して生きているプライドを取り戻す

現在、隼人はシクロが運営する飲食店で働きながら、稼いだ金の一部を妻子に渡している。

覚醒剤の密売をしていた時よりは収入は減ったが、その代わりに正業に就いたことで毎日が輝いているそうだ。

山﨑氏は話す。

「クラフトビール事業をスタートして気づいたのは、利用者さんたちの『やりたいこと』や『やっていたこと』をすることの大切さです。うちに来る利用者さんは先天的な障害がある方より、アルコールやドラッグで中途障害になった人たちが大半です。つまり、若い頃はバリバリに働いていた。だからこそ、それができなくなった自分に負い目を感じていたり、心が荒んでしまったりしている。それなら、きちんと彼らがやりたいことや、やってきたことをしてもらうことで、社会で自立して生きているというプライドを取り戻してもらいたい。そうすれば、どんなに年を取っていても、前を向いて生きていけるようになると思うんです」

■2018年インターナショナル・ビアカップで銀賞を受賞

シクロのクラフトビール事業にとっての大きな転機は、2018年に開催されたインターナショナル・ビアカップだった。

ここで同社のクラフトビール「新世界ニューロマンサービール」が銀賞を受賞したのである。

銀賞を受賞したクラフトビール「新世界ニューロマンサービール」
写真=Derailleur Brew Works提供
銀賞を受賞したクラフトビール「新世界ニューロマンサービール」 - 写真=Derailleur Brew Works提供

これをきっかけに、メディアに取り上げられることも増えた。

利用者もまたこの受賞を喜び、自分の仕事について自信を深めた。

「自分は社会に認められたクラフトビールを売っているんだ」「今はもう生活保護だけに頼って生きているわけじゃない」「社会の中で必要としてもらっている」「酒の知識を活かすことができている」……。そう考えられるようになったことで、自尊感情を膨らましたのだ。

そんな利用者の中には、自分がメディアのニュースに載ったことで、何十年も連絡を取っていなかった家族のところに電話をかけることができるようになった者もいるらしい。

■タンクを7倍にして、缶ビール製造も始める

山﨑氏は言う。

「最近は、クラフトビールの製造を主導している職員たちの意識もだいぶ変わってきました。彼らは職人気質なので、いわゆる王道のビールしか造りたがらなかったのですが、利用者さんたちの意見を聞いたり、働き方を見たりしているうちに、現場のニーズに合わせていろんな種類のクラフトビールを造るようになった。それだけ視野が広くなり、様々な人の意見に耳を傾けられるようになったのでしょう」

石井光太『無縁老人 高齢者福祉の最前線』(潮出版社)
石井光太『無縁老人 高齢者福祉の最前線』(潮出版社)

受賞した「新世界ニューロマンサービール」は、乳製品などに含まれる糖を加えてまろやかにし、そこにバナナやモモを組み合わせたものだ。ミルクやフルーツの香りと共に、ビール特有の苦みが口の中で広がる。職場を取り巻くいい雰囲気が、こうした味に結実しているのだろう。

山﨑氏はつづける。

「今、醸造所の上にコレクティブハウスの建設をしているんです。シェアハウスみたいな感じで、個室が14部屋あって、誰もが使える共同部屋なんかもできます。醸造所に出入りする人たちが利用することで、距離が縮まり、仕事に愛着を抱けるようになることもあるかもしれません。介護する人と、介護される人とを区別するのではなく、いろんな人たちがここで生きがいを見つけられるようにしていきたいと思います」

シクロでは、2020年の末に、もう一つ醸造所を完成させ、これまでの7倍もの規模のタンクを置いて、缶ビールを製造できる機械を導入するという。収益を増やせば、従業員たちの生活の向上にもつながる。

西成の片隅で生まれた魔法のクラフトビール。その力はまだまだ天井知らずだ。

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石井 光太(いしい・こうた)
ノンフィクション作家
1977年東京生まれ。作家。国内外の貧困、災害、事件などをテーマに取材・執筆活動をおこなう。著書に『物乞う仏陀』(文春文庫)、『神の棄てた裸体 イスラームの夜を歩く』『遺体 震災、津波の果てに』(いずれも新潮文庫)など多数。2021年『こどもホスピスの奇跡』(新潮社)で新潮ドキュメント賞を受賞。

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(ノンフィクション作家 石井 光太)

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