1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

「させていただく」は正しい敬語なのか…言語学者が教える敬語の使い分け方とは

プレジデントオンライン / 2024年3月22日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/itakayuki

3月22日(金)発売の「プレジデント」(2024年4月12日号)の特集「伝わる文章、バカの文章」より、記事の一部をお届けします――。

■大谷翔平選手も使った「させていただく」

敬語は難しいと、多くの人が感じるのはなぜでしょうか。

敬語は、距離感を置くことによって相手への配慮や敬意を伝える言語的な「道具」です。適切な敬語とは、不動の正解といえるような型があるわけではありません。相手と自分の関係性(上下関係や親疎(しんそ)関係)や状況に応じて、ふさわしい敬語を柔軟に選ぶ必要があります。敬語には従来の尊敬語、謙譲語、丁寧語に、丁重語、美化語が加わり合計5種類あり、改まり方の度合い(丁寧度のレベル)も多様です。しかも相手、状況、トピックによってふさわしい敬語の種類を、その場その場でチョイスして使わなければなりません。難しいと感じるのも当然です。

そんななか、近年、爆発的に使用されているのが「させていただく」という敬語です。みなさんも毎日、さまざまな場で、この言葉を目にしたり耳にしたりしていることでしょう。会議やイベントが始まる際、司会者の「それでは始めさせていただきます」はお決まりのフレーズです。返答に困った政治家は「コメントは控えさせていただきます」、アイドルグループが解散するときも「解散させていただきます」という具合に多用されています。記憶に新しいところでは、米メジャーリーグで活躍する大谷翔平選手が、SNSで結婚の報告をした際にも、「結婚いたしました事をご報告させていただきます」とありました。

見聞きするだけでなく、自分でもよく使っているのではないでしょうか。今やこの言葉は社会全体に氾濫しています。

私はここ数年、アンケート調査や過去・現在のデータを分析して「させていただく」を研究していますが、この言葉は言語学者にとって謎に満ちた言葉なのです。というのも、これだけ多用されているにもかかわらず、一方では「させていただく」に違和感を覚える人も多い、不思議な言葉だからです。

■「させていただく」に実は敬意はない

「させていただく」という言葉は1870年頃に出現しました。その後、120年たった1990年代に使用されることが増え始め、さらに30年たった今、「ブーム」となっています。なぜ90年代に使用が増加したのでしょうか。戦後半世紀たってタテ社会のタテ性が緩み、そうした社会の変化が言語に反映し始めたからだと考えられます。

なぜ「させていただく」を使うのかを調査したところ、人々は丁寧さと謙虚さを示すために使うと答えています。

では人々が「させていただく」に込めているのは敬意なのかというと、必ずしもそうではありません。本当に込められているのは、その場で対面している「聞き手」への配慮。相手に直接敬意を向けるのではなく、自分の行為を丁寧に表現することによって、間接的に伝わる相手への配慮なのです。戦後のヨコ社会的人間関係において、目の前にいる「あなた」の前で自分がどうふるまうのかが大切になってきたからでしょう。このような敬語を「丁重語」といいます。「利用いたします」の「いたす」の部分や、「弊社」の「弊」などが該当します。謙譲語と丁重語は自分がへりくだる点は共通していますが、相違点があります。謙譲語は相手に向けた自分の行為に対して用いられるので、敬意が相手に向かう「表敬の敬語」です。一方、丁重語は自分だけで完結する行為を示すので、敬意が直接相手に向かっていきません。つまり、丁重語は自分の丁寧さや謙虚さを示す「品行の敬語」なのです。「させていただく」は、もともとは謙譲語なのですが、丁重語への変化過程にあると考えられます。

品行とは、わかりやすくいうと、「自分がまわりから見て望ましい性質を持っている人間であること」を示す表現です。ですから「させていただく」は、相手に敬意を向ける謙譲語というよりも、自分の丁寧さを示すシン・丁重語として使われていると考えられます。

ですから「させていただく」は、「ポライトネス」の概念を使って相手との距離感を捉え、それを微妙に調節していると考えるとしっくりきます。「ポライトネス」という単語は「丁寧さ」と訳されることもありますが、丁寧という言葉とは少し意味の異なる専門用語で、特にコミュニケーションにおける対人関係や対人距離に関する事柄を指します。つまり「させていただく」は相手への敬意を表す敬語ではなく、実は自分のことだけを丁寧に見せる敬語なのです。相手が誰でも通用するため、便利で使いやすい言葉なのです。

■「させていただく」を上手に使う3つのポイント

国語辞典編纂(へんさん)者の飯間浩明さんは、「させていただく」には「敬語の欠陥」を助ける働きがあるから多用されていると分析しています。「敬語の欠陥」とは、謙譲語がなかったり、へりくだった表現が作れなかったりすることです。

具体的には「帰る・使う・参加する・変更する」などのように、「お〜する」を使って謙譲語が作れない場合があることを指しています。そんなとき、動詞に「させていただく」を付けると、「帰らせていただく」「参加させていただく」というように、へりくだる言葉が作れます。「させていただく」は困ったときの「特効薬」として多用されているというのです。

飯間さんはご自身の著書で、「させていただく」の使い方には注意点があるとしています。その要点を私なりにまとめると、次の3つに集約されます。

①「謙譲形のある動詞は、それを使うこと」。たとえば相手のオフィスに行く場合、「伺う」という謙譲語がありますから「伺います」で済みます。それを「行かせていただきます」というと違和感がでてきます。

②「へりくだる必要のないところで使わないこと」。先日、私が旅行に行った際、ホテルの方から「今日のお造りは本鮪(ほんまぐろ)に加えて、タイと赤貝にさせていただいております」といわれました。一瞬、「ほかに何かもっとよいものがあったのに、タイと赤貝にしたということ?」と思ってしまいました。もちろん、ホテルの方は丁寧にいいたかっただけなのです。ただ言語学者の見立てとしては、「させていただ」かず、「今日のお造りはタイと赤貝でございます」のほうがわかりやすいと思います。

③「なるべく繰り返しを避けること」。ネット上の文章を見ていると、文章の中に「させていただきます」が4つも5つも入っている文章をよく見かけます。便利な特効薬とはいえ、これさえ使っておけば大丈夫というわけではありません。敬語にもバリエーションが必要です。

【図表】相手に違和感を抱かせない「させていただく」3つの注意点

■人は言葉遣いで相手を判断する

今も昔も敬語はなぜ、これほど重視され続けているのでしょう。それは私たちが言葉によって、相手を評価したり判断したりする傾向があるからです。

たとえば何か問題を起こした人のことをマスコミが取材するとき、近隣住民に「あの人はどんな人ですか?」と尋ねると、「ちゃんと挨拶(あいさつ)をする、感じのいい人でした」とか、「言葉遣いも丁寧で、礼儀正しい人でした」と答える場面を見かけます。どうも私たちは、挨拶ができるとか、敬語が使える人に対して「ちゃんとした人」とか「まじめな人」という印象を受けるようです。

言葉遣いは、人となりや人格、さらにいえば教養の有無といったことまで判断する材料になり、挨拶をする人やきちんとした敬語が使える人には、信頼を寄せる傾向があります。だからこそ敬語を間違ってしまったときに人は、自分の内面が疑われる、信頼してもらえない、人間関係や場面を正しく認識できていない人だと思われると感じ、恥ずかしくなるのです。

ビジネスでは、相手に対する印象を左右しますから、商談の成否にも関わります。私が夫の親と二世帯で住んでいた頃、それぞれの世帯で別々のメーカーのクルマに乗っていました。A社の営業マンはラフな言葉遣いであるのに対して、B社の営業マンはきっちりとした敬語を使う人でした。個人的にはA社の営業マンは話しやすかったのですが、冷静に比較してみた場合、信頼度が高いのはやはりB社です。敬語は気持ちよくお金を払っていただくための小さな魔法。そういうところで会社のブランドイメージは形成され、長い年月の間に大きな差がついてしまうと思うと、言葉遣いというのはビジネスにおいて重要だと感じました。

■敬語を使いこなす2つのポイント

では、敬語はどのようなことに気をつけて用いればいいのでしょうか。ポイントを2つ紹介しましょう。

1つ目は、敬語における“不規則変化”をする動詞を使いこなすこと。たとえば「言う」は、尊敬語が「おっしゃる」、謙譲語が「申し上げる」というように、原形をとどめない変化をします。そのような動詞は、ほかに「来る」「食べる」「見る」「知る」などがあります。中学時代に、英語の不規則変化動詞の過去形や過去分詞形を覚えたように(たとえばgo -went -gone)、尊敬語と謙譲語を丸暗記するとよいでしょう。これらは知識として知っていないと使えない敬語なので、使えれば知的な文章に見えます。

2つ目は、同じ表現ばかりにならないように、ふだんから意識してバリエーションを増やすことです。1つ目のポイントで触れた“不規則変化”をする動詞に加えて、尊敬語を作ることができる「お〜になる」「〜なさる」と、謙譲語を作る「お〜する」「〜いたす」「させていただく」などを合わせて使えるようになると、表現のバリエーションが広がります。

【図表】敬語は外国語だと考えよ!「デキる!」と思わせる敬語の使い方

以上がポイントですが、人間関係というのはやり取りしている間に距離が近づきます。いつまでも同じ距離感の敬語では、相手も戸惑うはずです。敬語は適切な距離感を掴(つか)み、それに合わせて使うのが基本。常に同じ距離感でいいとは限りません。

たとえば会話の場合は、相手の発言への反応で、「なるほど!」や「面白い!」などの「タメ語」を入れるのもよいと思います。もちろんすぐに敬語に戻すのですが、自分側のことを咄嗟(とっさ)に述べるとき、距離を縮める言葉を差し込むのがポイントで、より関係が良好になると感じています。

アメリカでは、親しみを込めることがポライトネス(礼儀)です。バイデン米大統領と菅(すが)義偉(よしひで)前首相は、「ジョー」「ヨシ」と呼び合っていました。ですが、アメリカのカルチャーでは、ファーストネームで呼び合う関係は特別親しいわけではなく、礼儀として行っているだけなのです。

そのように、お国柄によっても言葉遣いと親疎の関係は変わりますから、言葉を用いた距離感の取り方はいつも一定ではありません。大谷選手の結婚発表では、英語も同時に配信されていました。日本語はきっちりとした敬語でしたが、英文は友だちに話しかけるような、親しみのこもった文章でした。それがアメリカにおける「礼儀」だからです。アメリカのファンの特性をよく知ったうえでの文面だと思いました。

■言葉は生もの、絶対の「正解」はない

敬語を「使われる側」のときについて考えてみましょう。部下から「この本、拝読してもらえますか」などと謙譲語を使われたり、それほど親しくないと思っている人から「あ、どうも。久しぶり」とタメ語を使われると、不愉快になることはありませんか。

そこで私からの提案です。敬語の失敗に対して、太っ腹な気持ちで接してみてはいかがでしょうか。たとえ尊敬語を使うべきシーンで間違って謙譲語を使われたとしても、敬語を使おうとしている時点で「この人は私に敬意を示したいのだな」とわかるはずです。タメ語を使われたときは、「この人は、自分と親しくなりたいと思っているんだな」と考えればよいと思います。

言葉は大事ですが、もっと大事なのは相手の気持ちです。この言葉によって何を伝えたいのか、バカにしているのか、敬意を示したいのかはすぐにわかるはずです。言葉は発するほうの配慮も大切ですが、受け取る側が相手の意図を汲(く)む姿勢も大切です。

【図表】「気持ちが伝わる」が一番大事! 敬語は間違えてもいい

冒頭でも言った通り、敬語に絶対の正解はありません。少し前まで正しいとされていた言葉も、時代によって変わっていくからです。「させていただく」も、ブレイクする前までは、「させてくださる」のほうが一般的でした。

また、言葉には「敬意漸減(ぜんげん)」といって、人々に使われているうちに敬意が薄らいでいくという特性があります。今の50〜60代の人たちが30年前に覚えた言葉と、今の言葉は違うのです。たとえば「あなた」とか「きみ」という言葉。一昔前は相手を尊重した丁寧な言い方でしたが、今は「おまえ」のような突き放した意味が込もった言葉になっています。その「おまえ」にしても、かつては「御前」と相手を敬う意味がありました。

こうして敬意が薄れるからこそ、敬語のインフレーションが起こり、敬語は変わっていくのです。「拝見させていただきます」といった二重敬語もよく見かけるようになりましたが、正しいとか間違いとか論じる前に、これもある意味自然な現象なのです。

ですから話す側も、100%正しい日本語を使わなくてもいいや、という鷹揚(おうよう)な気持ちが必要です。確かに、正しい敬語を使うことで信頼度が上がるので、適切に使いこなすに越したことはありません。ですが、「気持ちを伝える」ということにおいては、必ずしも厳密さは必要ありません。

言葉は明らかな誤用であっても、全体の6割の人が使い始めたなら、その時代の正解になってしまうもの。そう思うと、敬語一つにカリカリしても仕方がないと思いませんか。上の立場になった人は、彼らに見本を示しつつ、若い人たちから「今はその言葉、使いませんよ」と教えてもらえるような近い関係性を築き、彼らからも学びながら敬語をアップデートしていってはいかがでしょうか。

私たちは言葉をいろいろな形で使い分けます。だからこそ辞書的な意味以上のメッセージが伝わるのです。その点で、AIが文章を書くような未来が到来しても、人と人との関係性で成立する敬語は生き続けると思います。

----------

椎名 美智(しいな・みち)
法政大学文学部 教授
宮崎県生まれ。言語学者。お茶の水女子大学卒業、エジンバラ大学大学院修士課程修了、お茶の水大学大学院博士課程満期退学、ランカスター大学大学院博士課程修了(Ph. D.)、放送大学大学院博士課程修了〔博士(学術)〕。専門は歴史語用論、コミュニケーション論、文体論。『歴史語用論入門』(共編著、大修館書店)、『歴史語用論の世界』(共編著、ひつじ書房)、『「させていただく」の語用論』(ひつじ書房)など著書多数。近著に『「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ』(角川新書)がある。

----------

(法政大学文学部 教授 椎名 美智 構成=大島七々三)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください