「あの頃が一番おもしろかった」美容家・川邉サチコ86歳が語る山本寛斎、三宅一生とのむちゃくちゃな仕事内容
プレジデントオンライン / 2025年1月11日 7時15分
■陰気な自分を変えたきっかけは「結核」
渋谷の喧騒から少し離れた閑静な住宅街。そこに美容家・川邉サチコさん(86歳)が、娘のちがやさんと運営する「KAWABE.LAB」がある。室内に一歩足を踏み入れると、高い天井と大きな窓が広がる開放的な空間に、センスを感じさせる家具が並ぶ。その一角には、大きな鏡と椅子。ここで川邉さんは顧客を美しく生まれ変わらせている。
ふんわりとしたホワイトブロンドのヘアをアップスタイルにまとめ、トレードマークにもなっているメガネ、そして華やかな赤い口紅のメイクで立つ姿は、まさに凛とした大人の女性そのものだ。華やかなファッション業界の第一線で活躍していた往年の姿が今も伺える。
自宅兼オフィスとなっているこの場所で、現在は娘夫婦、そして孫夫婦との三世帯暮らし。愛犬のトイプードルが相棒だ。
川邉さんのルーツは、東京・日本橋。ハンカチ問屋の娘として生まれたが、小さい頃は引っ込み思案のいじめられっ子だった。転機が訪れたのは、中学2年生のとき。結核で余儀なくされた1年半の自宅療養中に、“陰”から“陽”へと性格が180度変わったという。
「自分はもう死んでしまうと思い込んでいたのね。だから、すごく自分に向き合っていろいろ考えたんです。もし元気になったらどう生きたいか、と」
結核が治り学校に戻ったときには、周りから「人が変わったようだ」と驚かれるほど自分を主張する性格に。「あのとき、今の自分ができ上がったような気がします」と川邉さんは笑う。
■「花嫁修業はしたくない」と美大へ進学
当時のおしゃれの最先端は、日本橋に隣接する銀座。多感な10代を時代の最先端の空気の中で過ごす。海外のファッション誌を眺めながら、米軍の放出品が並ぶ上野のアメ横へ出かけてはおしゃれを楽しんでいた。
高校を卒業すると、女子美術大学図案科へ進学。女性の大学進学はまだまだ珍しい時代だったが、高校卒業後は花嫁修業をしてお嫁に行くという感覚はなかった。「美大に進学したのは、花嫁修業も結婚も嫌だったからなのよ」と川邉さん。
大学卒業後、23歳で幼馴染の男性と結婚。義母が美容家だったことが、川邉さんのその後の人生を大きく変えていく。ある日、義母から誘われ、23歳で渡欧。フランスとイタリアに1カ月半ほど滞在し、フランスではマキアージュスクールにも通いメイクアップのライセンスを取得した。
「結婚の条件は、仕事をしないこと」だったが、この渡欧をきっかけにヘアメイクとしてのキャリアがスタートすることになる。
そもそも、結婚後は「仕事をしない」という条件は、働くのが嫌だったからではない、と川邉さんは語る。子ども時代、両親は店で忙しく、食事はきょうだいだけで済ませるのが当たり前の環境で育った。しかも、両親は店の経営のことで言い争うのもしょっちゅうだ。自分はもっと家族の時間を大切にできる家庭を持ちたい。そんな思いから出した条件が「仕事をしない」だった。
「逆に、小さい頃から働く母の姿を見てきたので、働くのは当たり前だと思っていましたから。加えて、戦後の母親たちのたくましさを見てきましたから、世の中は女の人が働くことで回っているという感覚がありましたね」
■フランスで実感した「美容×ファッション」のおもしろさ
フランスでの経験は、すべてが新鮮な驚きにあふれていた。買い物ひとつとってもカルチャーショックの連続だ。手袋を買うときは、専門店で椅子に座りクッションの上に手を置いて、店員が持ってきた手袋をはめてもらって試着する。「勝手に商品を触るなんてマナー違反。どんな小さな店でも同じような感じでしたね」
街並みやライフスタイルの違いもさることながら、何よりおもしろみを感じたのは、美容とファッション業界が密接につながっていることだった。
「一流の美容師から直接、技術を教えてもらったり、ディオールのアトリエを訪れたり。ファッションショーのバックヤードものぞかせてもらいました。そこで美容とファッションが同じカテゴリーで仕事をしているのを見たのが、ヘアメイクという仕事に興味をもった最初です」
その後は、25歳での出産を挟んで、頻繁にフランスへ。海外のすごさと同時に、日本の優れているところへの理解も深まり、カルチャーの捉え方も大きく変わっていった。
■ショーやCM、舞台…一流の仕事が舞い込む日々
ヘアメイクとしてのスタートは初めての渡仏から帰国後すぐだった。大御所カメラマンからポスター撮影の仕事を依頼されたのだ。当時、髪もメイクもできる、いわゆるヘアメイクができる人材は少なく、フランスで学んできたキャリアも武器となった。
さらに、義母に依頼がきたディオールのショーのヘアメイクも任せられることに。ライセンスはあっても、本格的なショーのヘアメイクなんて……。そう尻込みする川邉さんを義母は「優秀なスタッフをつけるから大丈夫よ」と送り出した。
目まぐるしいショーの舞台裏で、川邉さんはトップモデルの河原日出子から「あなた、私のヘアメイクやってよ」と声をかけられる。「こわごわやってみるのですが、当然、全然ダメ。河原さんはとても厳しい人で、めちゃくちゃに怒られました。でも、それが仕事へのやる気に火をつけてくれたんです」
現場を必死でこなすうちに、オファーがどんどんやってくるようになる。ディオール、サンローラン、ヴァレンティノ……。名だたるオートクチュールのショーでは、いつも指名されるほどになっていった。ほかにもCMや舞台、タレントのイメージ戦略にもかかわるようになっていたという。
多忙を極める中、29歳で東京・南青山に自分の店として、美容室「コワフュール芝山」をオープン。女性スタッフばかりの義母の店で人間関係に嫌気がさしていたこともあり、スタッフは全員男性で揃えた。
「私は男社会の問屋で育っているから、女性特有の人間関係がわずらわしくて仕方がなかったの。男性のほうが、言うことがストレートに通じて気が楽だったのよ」
■新進デザイナーとの海外への挑戦
35歳で離婚をするが、仕事はますます忙しくなっていく。交友関係も広がっていった。店が隣同士で親しくなったデザイナーのコシノジュンコから紹介され、流行の最先端を行く著名人たちとも親しく付き合うように。
グループサウンズのタイガース、キャンティオーナーの川添象郎、加賀まりこ、渡辺プロ(現ワタナベエンターテインメント)の渡辺美佐……。おしゃれで華やか、アバンギャルドな人々に囲まれる刺激的な日々を過ごすようになる。
その一方で、新進デザイナーの山本寛斎や三宅一生との新しい挑戦にも、のめり込んでいく。寛斎が日本人として初めてロンドンでショーをしたときも、一生が初めてパリでショーをしたときも、その傍らには川邉さんがいた。
海外のファッションショーに精通し、クリエイティブなセンスを発揮する川邉さんは、新人デザイナーの海外進出には欠かせないパートナーだった。とはいえ、「海外に殴り込みに行く!」という熱量で進められた準備は、大変なことの連続だ。
「彼らは全然お金がないから、ほぼ持ち出し(笑)。それでも『やるっきゃない』ってね。本番30分前に、一生がすべてのコーディネートを変えると言い出したこともあったの。もちろん、ヘアメイクもすべてやり直しで、本当にむちゃくちゃでしたね。でも、あの頃がいちばんおもしろかったわ」
そもそも一流のクリエーターには、「これでいい」というものがない。常に前進することしか考えていないからこそ、オリジナルの価値を創り出せるのだ。デビッド・ボウイのヘアメイクを担当したときも、その一流が持つこだわりを感じたという。ボウイは川邉さんが施したメイクからインスピレーションを受けて、決まっていた衣装のスタイリングはもちろん、曲すら変更してしまったのだという。
「決められていないものをやるからこそ、おもしろいんですよ。そんなクリエイターたちと仕事をするのが本当に楽しかった」
しかし、キャリアを重ねるにつれ、仕事へのスタンスを変えたいという気持ちも生じてきた。そこで始めたのが、「大人のトータルビューティ」を提案する川邉サチコ美容研究所(現KAWABE LAB)だ。(後編に続く)
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トータルビューティークリエーター
1938年、東京生まれ。女子美術大学卒。パリのメイクアップアーティスト、ジャン・デストレのスクールで学ぶ。ディオール、サンローラン、ヴァレンティノをはじめ、イッセイ・ミヤケ、 KANSAIなど国内外の著名デザイナーのコレクションや、海外アーティストのヘアメイクを担当。著書に『カッコよく年をとりなさい グレイヘア・マダムが教える30のセオリー』(ハルメク)、『あの人が着ると、 パーカーがなぜ おしゃれに見えるのか』(主婦と生活社)など多数。
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(トータルビューティークリエーター 川邉 サチコ 構成=工藤千秋)
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