1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. カルチャー

ムッシュかまやつの「ポール・マッカートニーよりも早かった」日本初の画期的アイデアとは? 内田裕也も「すごいよ! あのレコード」と興奮

集英社オンライン / 2024年3月1日 11時1分

「ムッシュかまやつ」の愛称で多くの人に愛された、かまやつひろし(2017年3月1日に他界、享年78歳)。ザ・スパイダースで『バン・バン・バン』『あの時君は若かった』などをヒットさせ、海外にもファンが多い日本ポップス界のレジェンドの逸話を紹介する。(サムネイル/1978年1月25日発売『ムッシュ・ファースト・ライヴ』(トリオ・レコード)のジャケット写真)

日本で2つの“初”を発表した、ザ・スパイダース

1965年に日本で最初のオリジナルのロック・ナンバーとなった『フリフリ』(作詞作曲/かまやつひろし)を発表したザ・スパイダースは、日本語のロックの原点と呼ぶべき存在だろう。

『フリフリ』が誕生したのは新メンバーとして加入した、かまやつひろしにリーダーの田邊昭知が「かまやつ、何かひとつオリジナルを作れ」と指示したからだった。


1965年5月10日に発売された『フリフリ』(クラウン)のジャケット写真。堺正章と井上順がモンキーダンスのポーズをとっているが、作詞作曲したかまやつは、撮影当日遅刻したため、ここには写っていないという

それから約1年後の1966年の4月15日。日本のバンドとしては初の全曲オリジナル・ソングによるアルバム『ザ・スパイダース・アルバムNo.1』が発表された。

ロックバンドのジャックスが1968年に作ったアルバム『ジャックスの世界』よりも2年、1970年に発表された、はっぴいえんどのデビュー・アルバム『はっぴいえんど』よりも4年も早い。

しかし当時は誰もそのことに関心を払わなかったし、シングル盤のヒットが出なかったのでさほど話題にもならなかった。

そのためレコード会社の意向で、ベテランのソングライター・浜口庫之助が書いた『夕陽が泣いている』を、スパイダースはシングルとして出すことになった。

グループサウンズ(GS)ブームと沈静化

1966年の秋に発売された『夕陽が泣いている』は、スパイダースがヨーロッパで発売されたアルバム『サッド・サンセット』のプロモーションで、3週間ほどヨーロッパ・ツアーに出かけている間に日本でヒットし始めていた。

ヨーロッパから帰国したメンバーたちはヒットに気をよくしつつも、6月のビートルズ来日公演が及ぼした影響によって、歌って演奏するバンドが一斉に誕生してきたことに驚かされる。

ビートルズを体験した直後に加瀬邦彦が結成したザ・ワイルドワンズを筆頭に、以前はブルー・コメッツとスパイダースしかいなかったヴォーカル・インストゥルメンタル・グループが、あっという間に増えていたのだ。

1966年9月15日に発売された『夕陽が泣いている』(フィリップス)は、もともとはザ・スパイダースの映画『涙くんさよなら』の挿入歌として使用された曲だ。それまでいわゆるロックンロール中心で曲を出していたスパイダースだったが、この歌謡曲っぽいメロディが評判になり大ヒットに

そしてワイルドワンズのデビュー曲『想い出の渚』が11月から大ヒットし、年が明けた2月にはタイガースが『僕のマリー』でデビューして、グループサウンズ(GS)の時代がやって来る。

それに続けとばかりにカーナビーツ、ジャガーズ、ゴールデン・カップス、テンプターズ、ビーバーズ、491、アウトキャスト、リンド&リンダーズ、ヴィレッジ・シンガーズ、モップス、ダイナマイツ、オックスなど、その数300ともいわれるGSのブームが巻き起こった。

しかし1967年から68年にかけて大きな盛り上がりをみせたGSブームは、過剰なまでの競争と商業主義の常で、ヒットを狙った曲が量産されたためにマンネリ化し、1969年に入ると波が引いたように退潮してバンドの解散が相次いだ。

すっかりGSブームが沈静化してしまった1970年。かまやつひろしはユニークなソロ・アルバムを制作する。

「ポール・マッカトニーよりは早かった」

技術の進歩で多重録音ができるようになったことから、自分でプロデュースしてワンマン・レコーディングのアルバムを思いついたのだ。

今では目新しさもないワンマン・レコーディングだが、まだマルチ・テープレコーダーが8チャンネルから16チャンネルに移行しつつあった時代に、アルバム全てをそれで統一するのは画期的なアイデアだった。

スパイダースのアルバムの中でも、かまやつひろしは一人ですべての楽器を演奏して自分で歌った曲をすでに3曲発表していた。

それらも加えたアルバムの全曲の作曲・編曲がかまやつひろし、作詞には俳優の石坂浩二、作詞家の安井かずみとなかにし礼、テンプターズの萩原健一などが参加した。

こうして幅広い交友関係の仲間たちとともに、ジャンルの壁を越えた遊び心のある実験的な作品ができあがった。

「当時としては自分が世界初じゃないかと思っていた。ところが。実はジャズ・ピアニストのキース・ジャレットがすでに試みていたのだ。ただ、ポール・マッカトニーよりは早かった。自慢じゃないが」

1970年2月25日発売『ムッシュー かまやつひろしの世界』(フィリップス)のジャケット。作曲・編曲だけでなく、多重録音を駆使して全楽器の演奏、ヴォーカル、コーラスも全てムッシュ自身が手がけた日本初のワンマン録音アルバム

アルバム『ムッシュー かまやつひろしの世界』を聴いて、すぐに反応したのが内田裕也で、「すごいよ! あのレコード」と、真夜中に興奮した声で電話がかかってきた。

スパイダースが解散した後のかまやつひろしは、フォークの若い世代と積極的に交流を持ち、中津川フォークジャンボリーに参加するなど、ジャンルを軽々と越境して自由自在に音楽を続けて、吉田拓郎が書いてくれた『我が良き友よ』で大ヒットを放った。

なお、大瀧詠一によれば、かまやつひろしは、はっぴいえんどのファースト・アルバムを、「先輩および現役ミュージシャンとして一番早く評価してくれた人」だったという。

文/佐藤剛 編集/TAP the POP

参考・引用文献
『エッジィな男 ムッシュかまやつ』サエキけんぞう/中村 俊夫 著 (リットーミュージック)
『ムッシュ!』ムッシュかまやつ 著(文春文庫)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください