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当時の表紙は佐々木希、桐谷美玲、本田翼、波瑠…「雑誌の後ろのほうしか出られない自分なんて」と落ち込むばかりの岡田紗佳のnon-noモデル時代

集英社オンライン / 2024年3月16日 11時1分

麻雀のプロリーグ、Mリーグに所属する岡田紗佳さん。大人気の彼女だが2011年に雑誌『non-no』の専属モデルになりたてのころ、大きな挫折を経験したという。佐々木希、桐谷美玲、本田翼、波瑠が同時期に専属モデルとして活躍するなか、露出の少なかった当時の心境を岡田紗佳さんのフォトエッセイ『おかぴーす!』より一部抜粋・再構成してお届けする。

#2

念願のモデルデビュー
待ち受けていた厳しい現実

芸能界に憧れを抱き、「スカウトされたい」という理由で入った青山学院高等部。この「青学」は世間のイメージと違わず、とても華やかな学校でした。

同級生にはタレント活動をしている人もいれば、実家がお金持ちで、当時、日本では誰も持っていなかったiPhoneを海外で入手し、使いこなしている子もいました。私は当初の思惑通り、学校帰りにはアバクロやラルフローレンの大きなワッペンが付いたポロシャツと紺色のミニスカート姿渋谷の街を歩いていました。



友達と109やカラオケ、休日にはディズニーランドに遊びに行ったりするのが楽しかったなあ。

2011年は、人生が大きく動いた年でした。高校3年生の夏、渋谷109の前で今の事務所にスカウトされました。入所するとほどなく、募集がかかっていた「第43回『non-no』モデルオーディション」に応募することになりました。

オーディションは書類選考後、『non-no』誌面での読者投票があったのですが、誌面に掲載する写真をスタジオで撮影したときは、もう大変でした。なんせ、プロにメイクしてもらうのも、たくさんの大人たちに見られて写真を撮られるのもはじめての経験です。どうやってポーズを取っていいか、まったくわからずに終始テンパっていました。

結果はありがたいことにグランプリを受賞。そのとき受かったメンバーの中で、モデル経験がなかったのは私だけ。最初は、「なにかの間違いじゃないの?」と思いました。「身長が高いから、目立ったのかな?」とも考えていました。夢が叶った喜びと期待、そして不安な気持ちを抱え、翌年の2月号から『non-no』専属モデルとしての活動がスタートしたのです。

今も『non-no』は若い女性に絶大な人気を誇っていますが、私が専属モデルとなった当時は、佐々木希さん、桐谷美玲さん、本田翼さん、波瑠さん……という、今も芸能界の最前線で活躍されている顔ぶれが表紙を飾っていた時代です。

よく「モデルの世界」といえば、「女の敵は女」といわんばかりにライバル同士が火花を散らす……なんて話が漫画では描かれていますが、これはあくまでフィクションの世界の出来事だと思います。少なくとも私が見てきた『non-no』の撮影現場では、どのモデルさんもとても穏やかで優しくて、良い意味でマイペース、本当に良い方ばかりでした。

モデルさんたちは、みんなキラキラと輝いていました。常人離れしたスタイルの人、顔がものすごく小さくてお人形さんのような人、ファッションセンスが飛び抜けて良い人、子ども時代からモデルをしている人……それぞれの魅力が十二分に光っていて、芸能界、いや、世界屈指の美女たちが集まる撮影現場は、眩しすぎるほどでした。

「ようやく一人前になれた!」

圧倒的な輝きを放つモデルさんたちを前にすると「同じ土俵で闘おう」なんて気持ちは、なくなっていきました。当初、まだ高校生だった私は最初の頃こそ「自分もキラキラしたモデルの一員になったんだ!」と浮かれていましたが、そんな思いも消え失せていきました。

表紙はおろか、雑誌の後ろの方にあるページにしか出られない自分に「どうせ私なんて……」と卑屈になった時期もあります。

あくまで一般人として生活していたら「スタイル良いね!」とチヤホヤされても、モデルとしていざ表舞台に立つと、常に周囲と比較され、「あの子はまだまだだね」なんて、扱き下ろされるのは日常茶飯事です。中学生の頃に抱いていた「いつか私も雑誌の表紙になりたい」という淡く甘い夢は、もろくも打ち砕かれていったのです。

「モデルになりたい」という夢が叶ったと同時に「上には上がいる」という現実の厳しさを突きつけられ、焦りも募りました。

錚々たるメンバーの中で、自分にできることは何か―生来、負けず嫌いの私が、まず考えたのが、170cmある長身を活かすことでした。特にスタイル維持やダイエット企画には、万全の体制で臨みました。もともと太りにくい体質でしたが、ボディケアを入念にしたり、コンディションを整えることに気を配るようになったのもこの頃です。

また、それまでやったことのなかったポージングも、なんとかして様になるように、撮影が終わった後には編集部に立ち寄って、撮影をしたばかりの写真を見せてもらい、編集者の方にアドバイスを仰ぐことも欠かしませんでした。

自宅では、いただいたアドバイスを思い出しながら、ひとり鏡の前でポージングの練習をする日々……。目の前のことを、ひとつひとつやっていくしかありませんでした。

『non-no』モデルになって2~3年が経った頃、「おかぴー(岡田紗佳)の私服」という自分の特集を組んでもらえたときは、「ようやく一人前になれた!」という喜びをかみしめたものです。

この時期は、とても毎日が慌ただしく過ぎていきました。オーディションでグランプリを受賞した翌春には大学に入学、同じタイミングで朝の情報番組『ZIP!』(日本テレビ)にレギュラー出演するようになりました。スタジオ入りは早朝3時半、番組が終わってから、大学で授業を受け、夕方にはスタジオに直行して、『non-no』の撮影……というスケジュールの日もありましたね。今でも「よくやってたな~」と感心します(笑)。

「ずっと誰かに認められたかった」

今、思い返すと当時は「売れたい」という思いがとても強かったです。それはなにも、芸能界で一攫千金を狙いたいという「お金のため」ではありません(もちろん、CMの年間契約なんて決まったら、すごく嬉しいですけど!)。「売れたい」という思いの根底には、「誰かに認められたい」という願望が大きく横たわっていたと思います。

自分よりもはるかにかわいい人、スタイルの良い人、才能のある人が大勢集まっているのがモデルや芸能の世界です。生き馬の目を抜くような芸能界では、ちょっとくらい見た目が良くても、すぐに埋もれてしまいます。

よく「モデルになったなんて、女として認められた証しだよね」「女の〝アガり〟でしょ」なんて言われますが、それは違います。

先ほどお話ししたように、『non-no』モデルになってからは、他のモデルさんたちと厳しく比較・評価され、ときに容姿やスタイルについて心無い言葉をかけられることもありました。むしろ芸能界に入らず「ちょっとかわいい女の子」のままでいれは、卑屈な思いを抱くこともなかったように思えます。

思い返せば、幼い頃から親やおばあちゃんに厳しくしつけられ、ときに勉強漬けになるような環境で育ってきました。そのため努力をしたり頑張ったりすることは得意なものの、「自分を認める」といった経験があまりないまま、大人になったのだと思います。ずっと、誰かに認められたかった。

芸能界デビュー直後から、才能あふれるモデルさんたちと一緒にお仕事できたのは、かけがえのない経験ですし、とても恵まれていたと思います。

しかし同時に私にとっては、現実の厳しさを目の当たりにした時期でもありました。この時期の私は、「誰かに認められたい」という思いや葛藤を強く抱いていたのだと、今となっては思うのです。

写真/書籍『岡田紗佳 1stフォトエッセイ おかぴーす!』より

岡田紗佳 1stフォトエッセイ おかぴーす!(KADOKAWA)

岡田紗佳

2024/2/20

2,200円

192ページ

ISBN:

978-4048976985

岡田紗佳のフォトエッセイが初解禁!文章と写真がせめぎ合う攻防戦!Mリーグ、芸能界で闘い続けるプロ雀士岡田紗佳の“20代の記録と記憶”。

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