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ウクライナ在住20年-「隣国同士で憎しみ合うのは残念」

集英社オンライン / 2022年6月22日 8時1分

戦火のウクライナで、今も現地に滞在するキーウ国立工科大学の職員・中村仁さん(54歳)。ウクライナ在住20年の中村さんを取材したノンフィクションライター・水谷竹秀が聞いたのは、悲痛な叫びではなく、冷静な言葉だった。

単身ウクライナで築いた現地コミュニティ

ドニエプル川に架かる橋を越え、少し歩くと広い公園のような場所へ出た。

その一角にベンチプレス用の器具がずらりと並んでいる。重りは白くペイントされ、たわんだシャフトは錆び付いている。ベンチは古びた木材でできており、柱の部分には重量が手書きされている。一見すると、がらくたを集めてこしらえたようで、日本でいえば昭和を彷彿とさせるような懐かしさだ。

この器具を使い、中年男性や若者たちがトレーニングに励んでいた。ここはウクライナの首都キーウ中心部にある「ギドロパーク」と呼ばれる公園だ。曇り空から小雨がパラパラと降っている4月下旬のことだった。



ジーパンに革ジャンを羽織り、キャップをかぶった中村仁さん(54)が誇らしげに言う。

「ここにあるべンチプレスなどの筋トレ器具は、ソ連時代の廃材を集めて作っています。この屋外ジムができたのは1970年代。僕はこれまで40か国のトレーニングジムを見てきましたが、これほどの規模の屋外ジムは見たことありません」

キドロパークの屋外ジムの魅力について話す中村さん

ベンチプレス以外には、腹筋やアームレスリング用の器具、吊り輪、スパークリング用のリングまで備わっている。

「ここは僕にとっての居場所ですね。1回来ると2時間強はいます。戦争が始まってから1か月は来られませんでしたが、それから公共交通機関が動き出したのでまた通うようになりました」

ジムの管理人やトレーニングに来るウクライナ人たちとは顔馴染みで、中村さんは流暢なロシア語で彼らとの会話を楽しんでいる。内容は時に、歴史や政治的な問題にも及ぶ。そのやり取りを見ていると、ウクライナ社会にどっぷり浸かっているのが一目瞭然だ。

「この場所は僕にとっての『世界遺産』です!」

古びたベンチプレスがズラリと並ぶ中村さんの「世界遺産」

それでもウクライナに留まり続ける理由

そう胸を張る中村さんがウクライナへ留学に来たのは、今からちょうど20年前。34歳の時で、最初の1年は外国人留学生のための語学研修を受けた。その後はロシア語の専門学科へ進んだ。合唱団にも所属し、学生たちと交流を深めた。

「その頃、ベンチプレスのトレーニング中に大怪我をしました。一命は取り留めましたが、喉の気管支が潰れ、声の調子がおかしくなりました。それでも合唱団に入れてもらい、それが発声の練習になりましたね。周りの学生たちは僕と年齢差がありましたが、全く気にしていない様子。おかげでたくさん友人もできましたし、楽しかったですね」

大学院にも進学したが、途中でキーウ国立工科大学にある日本ウクライナセンターから声が掛かり、大学院を中退して職員として働く。仕事は日本語図書室の管理や日本語教師など。以来、10年が経ち、現在は大学近くにあるアパートで1人暮らしをしている。

「ウクライナってのんびりしているんですよ。約束しても時間通りにまず来ないし、ルーズです。その緩さが、心地いいんですよね。ただ、それに慣れると日本社会に適応するには『リハビリ』が必要ですけどね」

そう言って中村さんは笑う。

幼少期に父親が他界したほか、兄と母親も20代の頃に亡くなっているため、日本に家族はいない。毎年正月になると、東京にいる親族に会いに帰国するが、その恒例行事も新型コロナの影響で途絶えた。日本社会への復帰は考えておらず、このままウクライナに骨を埋める覚悟だ。

「自分が死んだらギドロパークに散骨して欲しいです」

それほどまでに思い入れの強い第二の故郷ウクライナ––––。2014年にクリミア半島が併合されて以降、その動向は注視してきたが、まさかキーウまでロシア軍に侵攻されるとは思ってもみなかった。

2月24日早朝に突然、爆発音を聞き、勤務先の日本ウクライナセンターから自宅待機を指示された。中村さんはアパートの部屋で過ごし、時間を見つけては、同じアパートのシェルターに避難していた子供たちに、ゆでたじゃがいもなどの差し入れをした。

悲痛な叫びだけではない! 表面化しにくい市民の声

テレビや新聞など日本のメディアの対応にも追われた。そのリクエストに応えるため、キーウの街の様子をスマホで撮影中、ウクライナ軍に見つかってしまい、スマホを容赦なく取り上げられた。

人通りが戻りつつあるキーウの街だが…

「画像を確認され、メンコみたいに地面に叩きつけられてぺちゃんこになりました。僕の認識が甘かった。やはり戦争中なんだと実感しました」

日本の報道関係者に対応する中で、気づいたこともある。

「日本ではウクライナが相当ひどい状態に置かれているような報道をされていますが、キーウ市内はそこまでダメージを受けているわけではなく、私の周りには大きな被害はありません。報道内容と現実は随分と乖離しています」

ニュースで流れる被害の様子と現実とのギャップ。それが生まれる背景には、ウクライナ政府による情報戦の巧みさがあると指摘する。

「IT大国のウクライナは確かにメディアの使い方には長けています。もちろんロシアもプロパガンダを流しているので、お互い情報戦をやっているんです。ウクライナは一方的に攻められている側なので、自分たちの有利になるようメディアを使おうという考えはあるでしょう。

ただ、被害ばかりをアピールし、ロシアを絶対悪にすることには疑問もあります。なぜならロシアとウクライナが隣国である事実は未来永劫変わらない。常に憎しみ合う関係が続くのはまるで北朝鮮と韓国みたいで、やはり腑に落ちないですね」

善悪による分断が進む中、こうした声はあまり表面化しない。

戦争終結の見通しが立たず、犠牲者ばかりが増え続ける中、同じような葛藤を抱いている人は他にもいるかもしれない。

廃墟に掲げられたウクライナ国旗

閉館していた日本ウクライナセンターの図書室は、4月下旬に再開した。

「お茶とお花の教室もようやく始まりました。閉館が続けば、ビザの関係で国外に出なければならなかったのですが、このままウクライナに滞在できそうです」

そう語る中村さんの声が、明るくなった。

取材・文・撮影/水谷竹秀

#1 戦火のウクライナに留まる邦人男性-「この国を見捨てられない」思いとは

空爆された街の廃墟に咲くチューリップ

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