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「自分が信じる正義はちょっとしたことで転覆する」“信じること”の意味を問う長編小説/角田光代・著 『方舟を燃やす』書評

日刊SPA! / 2024年4月2日 8時50分

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角田光代・著『方舟を燃やす』(新潮社)

 世の中には読んだほうがいい本がたくさんある。もちろん読まなくていい本だってたくさんある。でもその数の多さに選びきれず、もしくは目に留めず、心の糧を取りこぼしてしまうのはあまりにもったいない。そこで当欄では、書店で働く現場の人々が今おすすめの新刊を毎週紹介する。本を読まなくても死にはしない。でも本を読んで生きるのは悪くない。ここが人と本との出会いの場になりますように。
 先日、都内のある温泉施設に行ってきた。とてもいい温泉だったが、その後SNSで検索したら同じ施設を利用した人による「ここの温泉に入ったら肌が痒くなり、見たら湿疹ができている」と腫れ上がった皮膚の写真付きの投稿が拡散されており、他にも同じ被害を訴える人が出てきたりして、ちょっとした炎上騒ぎになっていた。

 私はギョッとしたあとに、不思議な気持ちになった。自分が行った日にもたくさんの利用者がいた。おそらく一日の利用者は数百人はいるだろうし、月で累計すれば万人単位になっているかもしれない。仮に施設に問題があったとしたら、もっと大勢の利用者が具合を悪くして訴えているのではないか。自分の身体にも何も異常は起きていない。

 もちろん当該の人たちは、温泉に入ったあとに実際に肌に湿疹ができたのだろう。だが人間の身体は「昨日は平気だったものが今日調子悪くなる」ものだ。本当にこれは施設に全責任があって、全方位的に謝るべきものなんだろうか……と考えてしまった。

 しかし私のこんな考えは、SNSの投稿に「ここヤバいね!」とコメントをつけて、一週間後にはもう別の話をしている人には決して届かない。人はそれぞれ意識にないレベルで信じる対象を見つけ、それに沿って「いいこと」「正しいこと」をしようとする。彼らにとっての「ヤバいね!」という書き込みは善意であり、正義なので、「信じるもの」が変わらない限り、意見が変わることはない。彼らと私とのあいだでは、「信じてるもの」が違うのだ。

 そんなことを考えてしまうのは、最近読んだある小説が影響している。角田光代・著『方舟を燃やす』。人は生きていく中で、限られた情報の中から「信じるもの」を選び取っていく。「これが正しい」と考えたものによって、その人の価値観や正義が作られていく。それが時に「社会」という密集の中で摩擦を起こす。そんなことを描いた小説だ。

 物語は二人の人物の半生によって構成される。1967年に鳥取で生まれ、1980年代に東京の大学生として青春時代を送り、その後、都の公務員として生きる柳原飛馬。飛馬の一世代上にあたる1950年代に東京都内で生まれ、1970年代後半に結婚、出産を経験し、以降は長らく専業主婦として生きてきた望月不三子。別々の時代に生きてきた二人はそれぞれに人生で大きな傷を抱えている。

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