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“観る将”芸人が力説「藤井聡太は何がすごいか?」。デビューからの記録を振り返る

日刊SPA! / 2024年4月4日 8時50分

 藤井聡太七段(段位は当時)の強さと勢いに誰もが記録更新を期待しだしたちょうどその時、コロナ禍による緊急事態宣言が発令。なんと対局が次々と中止になっていきます。

 あれ? これどうなっちゃうの? ってみんなが思いました。だって、もし藤井くんが予定通りにタイトル挑戦したら最年少記録っぽかったけど、コロナで予定がずれ込んじゃったら無理なんじゃん? って。

 しかし、棋聖戦の運営さんは頑張ってくれました。緊急事態宣言が解除されてからすぐに対局を再開し、当初予定されていた6月8日に棋聖戦の第一局を行います。それまでに、ちょっとぎゅうぎゅうだけど残りの予選詰め込みます! って決めたんです。

 対局者からしたら、急に対局が中止になったり、かと思えば詰め込まれたりとイレギュラーの連発にコンディションを整えるのは大変だったと思います。

 しかしそんな状況でもしっかりと準備をし、勝ちを重ねて、藤井聡太七段はタイトル挑戦を決めたんですね。その記録が17歳10ヶ月20日。屋敷九段の記録を4日更新したことになります。

 藤井八冠の最年少記録の裏には、こんなお話も隠されていたんですね。

◆藤井聡太は高校3年の3学期に高校を辞めている

 詰将棋選手権で初優勝をした頃、藤井少年は中高一貫校への進学が決まっていました。それは高校受験が将棋の邪魔にならないように、いや、高校卒業まではしてほしい、というご両親の思いもあったのかもしれません。

 しかし、実際は中学2年生で棋士になり、高校3年生の時にはタイトルを獲得しました。予想以上のスピードで学業どころではない状況になっていったのです。

 住まいの愛知県から、対局は東京か大阪へ。さらにタイトル戦となると全国を飛び回ります。対局だけではなくイベント、研究、移動、休息。棋士として費やさなければいけない時間はたくさんあります。そうなると、学校にいけない日が増えてくるんですね。

 そして高校3年生の3学期。藤井聡太二冠(当時)は自主退学という形で高校を中退します。

 もったいねー!!!

 そう思ったのは僕だけじゃないと思います。高校3年生の3学期ですよ? あとちょっとじゃん!なんであと3か月がんばらなかったの? 学校側もさ、なんかうまくできなかったの?

 部外者ってのはいつも勝手なことを思ってしまいますよね。

 でも、藤井さんの当時の言葉を聞いたら、なんて僕は浅はかだったのかと自分が恥ずかしくなりました。自主退学についてのインタビューで、当時の藤井さんはこう答えています。

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