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全盲の22歳シンガー、幼少期の“音育”に関心を示して「(美空)ひばりさんの歌に心奪われました」

日刊SPA! / 2024年5月11日 15時52分

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佐藤ひらりさん

◆全盲のシンガーが専業に
「東京2020パラリンピック」(コロナ禍のため開催は2021年)の開会式で国歌を独唱した全盲のシンガーソングライター・佐藤ひらり(22)が、3月末に武蔵野音大(東京・江古田)作曲コースを卒業し、専業アーチストとしての道を歩み始めた。

――卒業によって気分は変わりましたか?

佐藤ひらり(以下、ひらり):はい。5歳のときから音楽を始めましたが、大学卒業まではずっと学業優先でしたので。これからは曲づくりにたくさん時間が割けると思っています。それと、今後は自分で進む道を切り拓いていかなくてはならないんだとも感じています。

――大学で得られたものは大きかったでしょうね。

ひらり:ええ。今まで知らなかったコードを覚えられたり、音楽史や作品の背景が学べたりで、とても勉強になりました。いろいろな方とも出会えました。実は高校(筑波大学附属視覚特別支援学校の高等部)のときには、大学には入れないんじゃないかとも思ったんですが、オープンキャンパスで私のCDを聴いてくださった先生が「うちの学校に来ないか」って言ってくださったんです。

◆音で楽しめる玩具や楽器を母親から

 ひらりは視神経低形成により、生まれつき全盲。このため、母親の絵美さんは幼児のころから音で楽しめる玩具や楽器、CDなどを与えた。それらに対し、ひらりは強い関心を示した。

 5歳のとき、保育園の電子ピアノの自動演奏から故・美空ひばりさんの『川の流れのように』が流れてきた途端、顔つきが変わる。それを見逃さなかった保育士が、ひばりさんの歌を何曲も聴かせた。ひらりは瞬く間にひばりさんに魅了される。

――当時、ひばりさんの作品が理解できましたか?

ひらり:理解できたかどうかというより、ひばりさんの歌に引き寄せられたという言い方が近いと思います。心奪われました。

――その後、練習を積み、人前で歌うようになったのですね?

ひらり:はい。最初は高齢者養護施設でした。
 
――慰問ですね。反応はどうでした?

ひらり:ひばりさんの歌や童謡を歌わせていただいたところ、おじいちゃん、おばあちゃんたちがとっても喜んでくれたんです。「上手だったよ、ありがとう」「また来てね「って。このときの「ありがとう」のお陰で今も音楽を続けられています。

 感謝の言葉は幼いひらりを感激させた。もとから絶対音感の持ち主で、歌声も澄んで伸びやかだったが、練習により熱が入るようになった。

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