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日本の“干し芋”がタンザニアのスーパーに。「アフリカにカルビーを創る」日本人男性の挑戦

日刊SPA! / 2024年7月30日 8時51分

日本の“干し芋”がタンザニアのスーパーに。「アフリカにカルビーを創る」日本人男性の挑戦

写真左が長谷川竜生さん(撮影:奥 祐斉)

日本から遠く離れたタンザニアで、日本の干し芋を作っている日本人がいる。長谷川竜生さんは「農家と二人三脚で成長する食品事業を、アフリカで成功させたい」という熱い思いを胸に、2014年に食品会社「マトボルワ」を創業。もともとは居酒屋の副店長をしていたという異色の経歴を持つ長谷川さんは、どうしてアフリカで干し芋を作るのか。
◆アフリカのスーパーに日本の干し芋

タンザニアでの干し芋との出合いを、私は今も鮮明に覚えている。タンザニア生活を始めたばかりで右も左もわからない頃、日本人の友達がスーパーマーケットに連れて行ってくれた2年前のことだ。スーパーで彼女が指さしたのは、日本で見るような干し芋のパッケージだった。

アフリカでの食生活はだいぶ不便になると覚悟してきたタンザニアのスーパーで、まさか、干し芋に出合えるとは!

陳列棚にあった残り5袋全てをかごにいれた私は、日本で食べる干し芋と変わらないおいしさにたいそう感動した。さらに驚いたことに、この干し芋を作っているのは日本人だったのだ。

なぜ日本の昔からの特産品である干し芋を、ここタンザニアで作っているのか? タンザニア人にも日本の干し芋は人気があるのだろうか? 日本とは全く気候が異なる1年中夏の気候で、どうやってもっちりとおいしい干し芋を作っているのか?多くの疑問を抱え、私は干し芋を作る食品会社「マトボルワ(スワヒリ語で干し芋を意味する)」の創業者である長谷川さんにお話を伺った。

「まあ、とにかく役に立ってないなと感じました」

初めてタンザニアで活動した24歳の時のことを長谷川さんはこう振り返る。1995年から青年海外協力隊として3年間、野菜栽培の隊員として活動した後の率直な感想だ。

トマトの病気に悩むタンザニア人農家に、日本で学んだ苗づくりを提案してみたがうまくいかない。

「また来たの?君の言う通りにやったけど全然だめだったよ。今度は何をしに来たの?」

農家からあきれられても、あきらめず次は日本的な支柱栽培を提案するが、案の定うまくいかない。こんなことが3年続いた末の帰国だった。そんな大敗を経験した20年後に、長谷川さんは「アフリカにカルビーを創る」というビジョンとともにタンザニアで食品会社を創業することになる。

◆数学者の父親に叩き込まれたこと

長谷川さんは1971年、神奈川県相模原市で生まれた。

長谷川さんの父親は、大学で数学を教える教授だったが、大学に勤務するのは週3回。残りの日は、家で家庭菜園を楽しんでいた。小さい頃の長谷川さんは、そんな父親から聞く植物の話が大好き。父親と一緒に菜園をしながら農業や栽培に親しんでいった。

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