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日本の“干し芋”がタンザニアのスーパーに。「アフリカにカルビーを創る」日本人男性の挑戦

日刊SPA! / 2024年7月30日 8時51分

ルワンダでマカデミアナッツ工場のCOOを任された長谷川さんだが、現地のCEOとの意見の相違が多く、口論の絶えない日々が続いた。思いの深いタンザニアに戻りたいと感じていた長谷川さんは、事業を他の日本人に譲り、タンザニアでのビジネスに本腰を入れることを決意した。

◆きっかけは1本の国際電話

ルワンダに残り、タンザニアでの事業計画を模索していた長谷川さんに、ある日、サツマイモ農家の知り合いから国際電話がかかってきた。この電話が、その後の長谷川さんの人生を大きく変えることになる。電話の主は、雑誌の取材をしていたころから交流のある干し芋の老舗『照沼勝一商店』(現・株式会社照沼)の照沼勝浩氏だった。

「長谷川くん、元気?ところで、アフリカの人って干し芋を食べるかな?」
「いいえ、食べないと思いますよ」

勝沼さんにはそう即答したが、気になってタンザニアでのサツマイモの状況について調べた長谷川さんは驚いた。タンザニアには干し芋を食べる文化があること、日本の3倍以上のサツマイモが生産されていることを知ったからだ。さらに、日本では干し芋の値段が年々高くなっていることを知り、タンザニアで干し芋を作るという事業アイデアが浮かんだ。

やることが見えればすぐに行動に移す長谷川さん。資本を提供してくれる企業や投資家を募り、「タンザニアで干し芋を作ります!」と事業計画を熱く伝えるも反応はいまいち。そんな中、開発援助を行う政府機関のJICAでプレゼンをしたところ、当時の事務所長が支持してくれた。その後、照沼勝一商店の事業として支援事業にも採択される。JICAから最初の調査代金を受け取り、タンザニアの干し芋事業は動き出した。

長谷川さんが初めてタンザニアの地に足を踏み入れた時から20年近くたった2014年。照沼勝一商店や佐藤社長などから合計1000万円の出資を受け、マトボルワはスタートした。

干し芋作りに必要な気候、湿度、水質を考慮し、長谷川さんはかつて活動していたドドマに工場を建設した。こうやって干し芋作りに最適な場所を見つけ大きな一歩を踏み出したが、干し芋の開発までには予想以上の困難が待っていた。

◆干し芋の開発に7年の歳月

創業してからは、高品質な干し芋の日本輸出のために、干し芋の試作に明け暮れる日々。同社で生産している商品は、干し芋だけではない。運転資金を得るため、干し芋の試作と並行して、ドライフルーツや芋けんぴなどのお菓子も販売してきた。

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