親日感情が息づく古代オアシス都市〜ウズベキスタン見聞記
LIMO / 2019年6月22日 20時45分
親日感情が息づく古代オアシス都市〜ウズベキスタン見聞記
シルクロード国家の今(前編)
シルクロードの中央に位置するウズベキスタン。砂漠地帯ですが、東部には天山山脈がそびえ、川がいくつも流れています。そのウズベキスタンの都市といえば、現在の首都タシケント、そして古代から中心都市として存在したブラハとサマルカンドが知られています。
仕事でウズベキスタンに数カ月滞在する機会を得たので、まずはタシケントとブハラについて、多民族が交わるシルクロードのオアシス都市の歴史とそこでの日本人の存在感などを考えてみます。なお、後編ではサマルカンドを取り上げます。
タシケントの歴史と市民の親日感情
タシケントはウズベキスタン北東部、シルダリヤ川の支流であるチルチク川流域に位置する歴史的なオアシス都市です。テュルク語で石の町という意味で、人口は約240万人。古代からオアシス定住農耕地帯を中継する商業都市として繁栄しました。
1865年、帝政ロシア軍が侵攻してタシケントを直轄領に組み入れ、ロシアの中央アジア支配の拠点としました。旧市街の外側にロシア人が住む新市街ができ、ロシア人商人などが移住してきました。
ロシア革命後にトルキスタン自治ソビエト社会主義共和国になると、中央アジアの覇権をめぐりロシアと英国が衝突。1924年にウズベク・ソビエト社会主義共和国に編入され、1930年にサマルカンドに代わって首都になりました。
1966年には大地震が発生し、7万8,000棟の家屋が倒壊。地震後に計画的な都市作りが行われ、ソ連のような町並みとなり、最盛期はソ連で4番目の都市に発展しました。ウズベキスタン独立後の今でも大きなロシア人社会を抱えています。
そのタシケントで、市民の日本人に対する印象を作っているのが中央アジア最大のバレエ・オペラ劇場、ナヴォイ劇場です。戦後シベリアに抑留されていた日本人捕虜がタシケントに連行され、この劇場の工事に駆り出されました。1966年の大地震の時にも無傷だったことが、タシケント市民の親日感情にプラスに影響しているようです。
筆者がタクシーでナヴォイ劇場に向かってくれとお願いしたら、日本人かと聞かれました。いつもは必ず韓国人かと聞かれるのに、その時だけは日本人かと聞かれたのが印象的です。この劇場と日本人の関係は記念碑になっているので、ドライバーの認識にあったのかもしれません。
現在、ウズベキスタン在留邦人数は132人(2017年10月時点:外務省)とわずかで、様々な事情で現地に暮らす日本人にとっては、日本企業にもっと来てもらいたいというのが実感のようです。それだけ日本人や日本企業の影は薄いのです。プレゼンスが大きいのは韓国人(含む韓国系2〜3世)と韓国企業で、中国人はあまり見かけません。
歴史的な都市で使える配車アプリ
各駅が美術館のような佇まいのタシケント地下鉄、値段交渉による路上のタクシー、ヒッチハイクと言った町の光景の中、最近はスマホさえあればデータ通信を使って配車アプリでYandexタクシーを頼めます。
このYandex(https://yandex.com/company/)という配車アプリ会社(NASDAQ上場企業)は1997年にロシアで設立され、現在そのサービスはロシア、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタン、トルコ、そしてウズベキスタンをカバーしています。
ウズベキスタンにアーリーアダプター(新たに現れた革新的商品・サービスを比較的早い段階で採用・受容する人々)はどれくらい存在するのかまだわかりませんが、Yandexのような新しいサービスに飛びつくのはやはり若者です。
こうした状況を見ると、若い起業家や民間中小企業が国営の企業・銀行主導による経済の歴史の中でどれくらい活躍しているのか、タシケントの若者は何に興味があり、何を目指しているのかとても興味深いところです。
昨年来、日本の商工会・IT等関係者はデジタル国家エストニアへの「視察会」が目白押しで、現地で敬遠され始めているようですが、未開拓なウズベキスタンという市場(人口3,240万人)とそこの若者消費者や起業家にも注目してもらえれば、近い将来、良い意味で日本人の存在感を高めることができるかもしれません。
多様な民族が暮らすブハラの歴史
ブハラもシルクロードの交易拠点として栄えたオアシス都市です。サンスクリット語で「修道院」を意味するそうです。人口は約28万人。世界中から商人・旅人らが集まり、多様な民族がこの土地で生活しています。ウズベク人、タジク人、ユダヤ人、アラブ人、インド人、ペルシア人、モンゴル人、トルコ人等々です。
日頃、多民族国家と言われるマレーシアに住む筆者ですが、マレーシアの民族はマレー系、華人系、インド系くらいですので、ブハラの多民族さはマレーシアの比ではありません。
町の歴史を遡ると、12世紀以来、破壊、復興、征服といった厳しい時代を乗り越えてきています。1220年、チンギス・ハンの襲来で町は破壊されましたが、16世紀にウズベク人のシャイバーン朝により復興し、20世紀初頭までブハラ・ハーン国(ブハラ・アミール国)の首都として栄えました。
19世紀後半にはロシア帝国によって征服され、植民地になりました。ロシア人たちはムスリムたちが住む旧市街を避け、新たに新市街地(ウズベク語ではカガン)と言う近代都市を作りました。そのため、ブラハの旧市街地は今も歴史的な姿のままで、1993年にはブハラ歴史地区としてユネスコ世界文化遺産にも登録されています。
日本からのツアーが続々、観光地ブハラの課題
地場産業としては農業以外にこれといった産業はありませんが、観光資源に恵まれ、町は観光地として生きています。町の人は観光客に優しく、道を尋ねると子供まで親身になって教えてくれます。
ブハラの観光資源としては、たとえばタキがあります。大通りの交差点に作られたバザールで、カラフルな布地、毛布、陶芸といったシルクロード民芸品が並びます。もともとは関所のような役割も果たしていたそうです。
また、ナディール・ディヴァン・ベギ・メドレセは旧市街にある歴史的建築物のひとつ。偶像崇拝を禁じるイスラムには珍しく、鳳凰や鹿、顔のある太陽が描かれています。
また、高さ47mのカラーン・ミナレット(塔)は、1127年にカラハーン朝のアルスラン・ハーンによって建てられたもの。中庭の周辺を青いドームの回廊が囲むようになっていて、晴れた日には空の青さのようなタイルが美しく映えます。
ただ、問題は色々あるようです。ここはYandexタクシーの配車サービスでカバーされていないため、昔ながらのタクシードライバーとの個別交渉になります。一部の遺跡では「Wifi」の表示がありますが、グーグルマップなどでは目印になるような建物の記載が少なく、観光インフォメーションに町全体のマップもありません。観光地としてブレークするには改善の余地がありそうです。
そんな中でも、日本人のビザは滞在30日間まで不要になり、レストラン外食などのコスパは素晴らしく、観光資源も多いことから、日本からの観光ツアー客は続々と来ているようです。世界中を行き尽くしたに日本人観光客にとっても、まだ未知の土地なのでしょう。今後も、さらに多くの日本人観光客が来ることが期待されています。
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