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「中国思想」は日本にどこまで受容されているのか 「礼」の本質は「かのように」振る舞うということ

東洋経済オンライン / 2023年12月8日 10時0分

中野:そうなんですよ。だから、そこがおもしろいところでもある。古川さん、いかが思われますか。

「個」や「組織」の良し悪しを決めるもの

古川:話が戻りますが、施さんが前編でおっしゃった、「個の確立」という言葉についてです。施さんは、これは新自由主義的な意味に誤解されるおそれがあるのではないかと指摘されました。たしかにそのとおりですが、私は逆に、大場さんがあえてこういう表現をされたことの積極的な意味を考えたいと思います。

というのは、施さんもよく読めば書いてあるとおっしゃったとおり、大場さんがおっしゃりたいことは、個を確立するためには共同体の支えが必要だという逆説ですよね。安定した共同体があり、個人はその共同体の人間関係の網の目の中に生まれ落ちて、そこで自分のさまざまな立場や役割になりきることで、はじめて強い個として確立される。大場さんがあえて「個の確立」という表現をされたことは、共同体から解放されることによって個が確立できると考えてきた戦後日本の「個」の理念を問い直すきっかけになるという意味で、やはり大事なことではないかと思います。

しかし、個と集団との関係の問題は、けっこう難しいですよね。佐藤さんが前編でおっしゃった「合成の誤謬」の話とも重なりますが、集団の規範に従うことによってこそ個が確立されるのだとしても、では、もしその集団の規範そのものが間違っていたらどうするのか。たとえば、財務省に入ったら財務省の規範に従わなきゃいけないのかという話にもなります。

古川:儒教と正反対の個人主義・普遍主義の道徳の典型が、カントの道徳論ですが、それがいびつだということでよく槍玉にあげられるのが、うそをめぐる問題です。殺人者に追われている友人を助けるためにうそをつくことが許されるかという問いに対して、カントはダメだと言う。うそをついてはいけないというのは、個人が絶対的に従うべき普遍的な命法だから、と。孔子だったら、そんな馬鹿な話があるかと言うでしょう。

しかし、他方で、『論語』にはこういう話もあります。盗みをはたらいた父親を、子どもが告発した。それに対して孔子は、そんなことをしてはダメだという。「父は子のために隠し、子は父のために隠す」べきである、と。そう言われると、それはそれでどうなんだろうと思うわけですね。そういう場合は、むしろカント的に、共同体の倫理に逆らって、個人の道徳を貫くべきではないかとも思うわけです。

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