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超天才と凡人「遺伝によって差を分ける」は本当か 多数の才能の持ち主を研究して見えてきた真実

東洋経済オンライン / 2024年3月19日 10時30分

天才と凡人の差とは何のなのでしょうか? 天才たちを研究した成果を基に才能の正体にせまります(写真:metamorworks/PIXTA)

何らかのことが「できる/できない」は天賦の才能によるもの、と考えている人は少なくありません。そこに異論を唱えるのが、20カ国以上で翻訳され、何年も読まれ続けるロングセラーの新装版『新版 究極の鍛錬』です。

モーツァルト、タイガー・ウッズ、ビル・ゲイツ、ジャック・ウェルチ、ウォーレン・バフェットなどの天才たちを研究した成果とともに、才能の正体に迫り、ハイパフォーマンスを上げる人たちに共通する要素「究極の鍛錬」を突き止めた本書より一部抜粋、再構成してお届けします。

才能とは何だろう

まず、才能=タレントという言葉の意味するところが何かはっきりさせなければならない。一般に才能という言葉は、卓越した業績やそうした業績を上げる人を表現するため用いられている。

「メジャーリーグのレッドソックスの外野手にはタレントがいる」という表現をした場合、レッドソックスにはよい外野手がいるというだけの意味だ。ビジネスにおいてよく話題になる「タレントの争奪戦」という言葉は、より実績のある人材を引き抜こうとしていることを表している。

テレビ業界では、タレントというのはカメラの前に立つ人のことをいう。テレビタレントとよくいうがテレビをよく見る人であれば、誰でもこの場合タレントという言葉は単に中立的な意味であり、評価判断が入っていないことを知っている。

以上の意味はどれも決定的に重要なものではない。しかし、この言葉が人生のコースを変えるような意味合いで使われるときには、生まれつきの能力で他の人より何か特定のことがうまくできることを意味している。しかも、かなり特定された何かである。

たとえばゴルフをする、ものを売る、作曲する、組織においてリーダーシップをとるといったことだ。そして、それは開花するより比較的早い時期に見いだされなければならない。それは生まれつきの能力で、もし生まれつきに持ち合わせていなければ、後天的には身につけることはできない。

この定義での才能は、ほとんどすべての分野で存在すると固く信じられている。音楽やスポーツ、チェスなどの競技での会話を注意して聞いてみればいい。才能という言葉を使わずに2つ以上の文章を話すことは難しいことがわかるはずだ。こうした見方は他の分野でも珍しくはない。

ニューヨークタイムズ紙の著名なコラムニストであるラッセル・ベイカーは、「言葉を操る遺伝子」をもって生まれたと信じられていた。生まれつきの書き手であると思われていたのだ。ビジネスにおいて我々はよく「ボブは生まれついてのセールスパーソンだ」とか、「ジーンは生まれついてのリーダーだ」とか、「パットはトップになるために生まれてきた人間だ」という話をする。

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