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大学の教養教育を「資本の論理」からどう守るか 加速する資本主義社会における「知識人の使命」

東洋経済オンライン / 2024年3月31日 11時0分

良い人生を送るために、どうあるべきなのか?(写真:bee/PIXTA)

現在、学校のみならずビジネス社会においても「教養」がブームとなっている。そもそも「教養」とは何か。なぜ「教養」が必要なのか。

前回に続き、3万5000部のベストセラー『読書大全』の著者・堀内勉氏が、行き過ぎた資本主義社会や気候変動問題に警鐘を鳴らし続ける東大准教授の斎藤幸平氏に、「持続可能社会と教養」をテーマとして、「教養とは何か」「人はなぜ学ぶのか」についてインタビューを行った。

「良く生きる」ことが難しい社会

堀内:私は大きな視点として、「良い人生」と「良い社会」という2つのことをつねに考えています。良い人生を送るために自分はどうあるべきなのかと、自分を取り巻く環境である社会が良くなるにはどうしたらいいのか、その両方を常に意識して考えるようにしています。

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ただ、私の場合は始点が「良く生きる」にあります。個人としての良い人生を生きるためには、個人をも包含する「社会」や「国家」や「世界」というものも同時に考えなければなりません。アリストテレスの時代から言われていたように、人間は社会的な生きものだからです。斎藤さんは社会の問題については多くを発信されていますが、個人としての良い人生や、個人としての幸せとは何かについて、どのように思われているのでしょうか。

斎藤:私の場合、活動家的な視点が強く、社会を変えていくことが自分の使命だと考えているので、正直、個人の幸せについて考えることの優先度はあまり高くありません。結局、それは人それぞれだからです。どちらかというと、社会システムといった構造のほうに関心があるのです。

大事なのは、現代社会において、私たちがそもそも幸せに生きることが難しくなっているという構造的問題です。なぜかと言うと、現代の行き過ぎた資本主義社会の下では、私たちの人生の限られた時間で何をするべきかの多くが決められてしまっているからです。社会全体として利潤を求め続けるということが究極の目標になっている世界で、金儲けをする以外の方法で私たちが幸せに生きるということ、つまり自由に生きるということは根本的に不可能になっています。

マルクスはそのような社会の目的そのものを抜本的に変えるためには無限の利潤追求をやめなければいけないと考えた。一方で、それがなくなった社会で何を求めるかは個人の自由だし、そこを決めてしまったら自由がなくなり、全体主義になってしまいますからね。

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