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2浪「東大文1」30年前に地方から目指した彼の奮闘 東大試験でまさかの事態、どう挽回したのか

東洋経済オンライン / 2024年6月2日 7時0分

早稲田に合格して通ったものの、東大を諦められなかった理由とは。写真は湯島天神(写真: elise / PIXTA)

現在、浪人という選択を取る人が20年前の半分になっている。「浪人してでもこういう大学に行きたい!」という人が激減している中で、浪人はどう人を変えるのか。また、浪人したことで何が起きるのか。 自身も9年間にわたる浪人生活を経て早稲田大学の合格を勝ち取った濱井正吾氏が、さまざまな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張ることができた理由などを追求していきます。

今回は、幼少期に父親から暴力を振るわれながらも勉強を続け、熊本県立熊本高等学校に合格。1浪して早稲田大学に進むも、仮面浪人を決断し、2浪目で東京大学文科一類に合格。東大卒業後の現在は、新卒で入社した某上場企業に30年以上勤務し続けている田中伸さんにお話を伺いました。

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教育に行き過ぎた熱意を注ぐ親たち

都心部を中心に、受験の早期化が過熱している昨今。子どもの意思を無視して、無理やり受験をさせる親が話題になっています。

【写真】田中さんが2浪して合格した東大。1浪目の試験本番ではまさかの出来事も。

今回お話を聞いた田中伸さんは、まさに「勉強ができない」と父から頻繁に暴力を振るわれ、父親に仕返しをするために、勉強を頑張ってきた人です。

2浪を経験しますが、目標にしていた東京大学文科一類に合格し、法学部に進んで、一部上場企業への就職をかなえました。

「2浪したことに後悔はない」と語る彼は、「浪人は社会勉強の場所でした」と30年以上前の過酷な日々を、懐かしく振り返ってくれました。

彼が経験した過酷な幼少期・浪人生活が、50代後半を迎えた今の人生にどのように影響しているのかを聞いてみました。

田中さんは1967年、熊本県の本渡市(現:天草市)に生まれました。父・母ともに中学校・小学校の教員で、教育熱心な家庭だったようです。

「母親は私が入学した新和町の小学校で教えていました。朝と夕方にバスがそれぞれ1本しかない僻地で、小学校は全校生徒合わせて100人程度でした。

その中でも私の学年は丙午(ひのえうま)の迷信があったので、とりわけ人数が少なく、同級生は11人しかいませんでした。4年生のときに親の転勤で本渡市の学校に転入し、全校生徒も200人に増えましたが、1学年1クラスだったのは変わりませんでした」

「人口は少ないし、産業もない場所だった」と語る田中さんの幼少期は、父親の過激なしつけが大きく影響していたようでした。

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