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Z世代が囚われる「第三者目線」という強迫観念 メリットなき個人行動の「コンプライアンス化」

東洋経済オンライン / 2024年6月27日 11時0分

舟津:非常にクリティカルなご指摘だと思います。思い出したのが本にも書いたエピソードで、授業で学生を当てたとき、「どう思いますか」とか「はい」「いいえ」で答えられる質問をしても、かなりの割合の学生が、答える前にまず隣の友達を見る。今の学生はまず周りの人にどう見えるかを気にするんですよ。「となり見るシンドローム」ですね。

與那覇:なるほど。聞いてきた教師がどう感じるかより、他の学生の目にどう映るかだと。

舟津:つまり第二者が消えているんですよね。教室全体の中で自分が浮いてないか、恥ずかしくないかをまず考えようとする。だから答えるのが嫌で、隣の友達を見る。第二者である私からすれば、「あなたに聞いてるんですよ」と思っちゃいます。なんでそんなことが起きるんだろうと考えると、やっぱり第三者過剰で第二者過少になっているんですよ。

與那覇:抽象的な「周囲の評判」のほうが、具象性を持つ「目の前の相手の気持ち」より大事になってしまっているんですね。

舟津:そうなんですよ。

與那覇:深刻なのは、その逆をやることで稼ぐビジネスもあることです。課金してくれる「第二者」にさえウケればいいから、金を払わない「第三者」の評判なんか知らねぇよという態度で、過激な発言や反社会的な動画を流す。みんなが第三者過剰に囚われて、内心疲れているからこそ、「あそこまで第三者をシカトできるのスゲー!」として人気が出る。

人文書の世界では「ケア」という用語が、ここ数年間インフレになるくらいもてはやされています。それもまた、あまりにも第三者のほうばかり見る姿勢が前提になってしまったために、目の前の第二者に注意を向けるというあたりまえの行為をわざわざ「ケア」と命名して、大事ですよ、大切ですよ、と書き手が連呼しないといけないからですね。

第二者不在のコミュニケーション

舟津:本当にそう思います。與那覇先生が著書の中で、コミュ力と共感力が反比例するという研究を紹介されていましたよね。そこで気づいたのは、Z世代化されたコミュ力、つまり現代社会のコミュ力は、第三者に見せつけるものだということです。たとえば、私たち2人がしゃべっているときに私がコミュ力の高さを見せつけようと思ったら、與那覇先生ではなくて外の人に向けて話すようになる。

與那覇:その手法の帝王がひろゆき氏で(苦笑)、実は彼は、自分で本にそう書いているんですよね。目の前の相手を納得させるのではなく、外から見ている観客が「こっちの勝ちだ」と思ってくれるように喋るのが、最強の論破術なんだと。

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