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Z世代が囚われる「第三者目線」という強迫観念 メリットなき個人行動の「コンプライアンス化」

東洋経済オンライン / 2024年6月27日 11時0分

與那覇:私は就職氷河期世代(2002年3月卒業)で、当時は東大でも「卒業式には出るけど、就職は決まっていません」みたいな例はごく普通でした。大学入試はペーパーテストだから基準が明確だけど、就活での最後のセレクションは面接なので、いったいなにで「受かるか、落ちるか」ははっきりしないですよね。

景気が悪いために「まぁ東大なら採っとくか」ともならず、落とされてしまった結果、世の中では「本当に大事な競争」ほど基準がないという事実に初めて直面し、どーんと落ち込む。そうした子は周りに相当いたし、今の就活生もその点では心配です。

無気力を生み出すランダムさの氾濫

舟津:危険なのは基準が示せないことのみならず、示してないにもかかわらず事後的にはあたかも基準があったかのように振る舞われて、しかもすごく極端な結果を正当化してしまうことです。SNSでのキャンセルカルチャーもそうなっていますよね。

與那覇:SNSで炎上するのは失言ネタが多いですが、ワイドショーだと不倫とか。叩かれすぎのように思える人もいれば、お目こぼしされる人もいて、「その時の空気」以外に基準が存在しない。

いちばん問題だと思うのは、内心「やりすぎたかな」と思うクラスの炎上が起きたとするでしょう? そのとき「これはやりすぎだ」と止める勇気のない人たちが、たまたま「次に炎上」した相手には妙に寛容に振る舞って、「私はバランスが取れている」みたいな顔をする例が増えている。ここまで来ると基準が曖昧どころか、完全にランダムで、ガチャ的です。

舟津:ランダム性の高い、無差別な攻撃性がすごく高まっている。

與那覇:「ガチャ」の比喩がここまで定着したのも、あまりにも世の中の「ランダムさ」が如実になって隠しようがなくなり、みんなが無気力になったからですよね。本書でも描かれるように、「出題ガチャですべったから大学ガチャに外れて、ゼミガチャでもろくな目が出ない、これも元は親ガチャのせいだ」みたく言っているのが一番楽ですから。

舟津:ランダムさが氾濫していますね。我々が気にしている第三者が誰なのかもわからない。誰であるかはわからないけど、その人に見られてるってことが重要視されている。そして毎日誰かがランダムに攻撃対象になっている。

與那覇:昭和までは、日本に特有の「あるのかないのか曖昧な基準」の担い手が世間と呼ばれて、それをどう評価するかで保守とリベラルが分かれました。つまり、世間とは長い慣習の積み重ねに基づいて、一定の妥当性を持つ価値判断ができる場なのか。それとも遅れた偏見ばかりが飛び交う、単なる同調圧力の場なのか、というわけです。

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