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「1浪東大合格後に京大受験」彼が驚く選択した訳 浪人して進学したもののアメフトに熱中し…

東洋経済オンライン / 2024年7月28日 8時0分

(左)京都大学(写真: りえ / PIXTA)(右)東京大学(写真:梅谷秀司)

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか?また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。

今回は1浪で東京大学理科1類に合格して進学したのちに、京都大学工学部を受けて、京大にも合格。現在は株式会社ウィルで教育事業に携わっている後藤貴広さんにお話を伺いました。

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東大に入ってから、京大受験を決意する

今回お話を伺った後藤貴広さんは、1浪で東大に入ったものの中退し、5浪の年齢で京大に入り直したという異色の経歴の持ち主です。

【写真】アメフトに熱中していた頃と、現在の後藤さん

彼が東大を辞めた理由は、アメフトにありました。その後なぜ京大を受験したのでしょうか。後藤さんが京大受験に挑んだ理由、浪人生活の話について、深く聞いていきます。

後藤さんは1985年、大阪の平野区に生まれました。幼少期は外で遊ぶよりも、部屋の中でファミコンで遊ぶほうが好きな「インドア側の子ども」だったそうです。

両親ともに高卒の家庭で、幼少期に勉強に関してうるさく言われたことはなく、勉強を意識したこともありませんでしたが、「算数でわからないと思ったことはない」と振り返ります。

「小学校は家から歩いて5分の1学年120人くらいの環境だったのですが、勉強で人と競おうと考えたことは一度もありませんでした。小学校を卒業してからも、みんな同じ中学校にそのまま進んでいたので、中学受験は存在すら知らなかったですね」

数学だけは相変わらず好きで「ほとんど100点だった」後藤さん。ただ、国語や理科は、5段階評価中3くらいの成績でした。高い内申点が必要となる公立高校には行けませんでしたが、最終的に私立の名門、清風南海高等学校を専願で受験して合格し、進学しました。

高校に入ってから、中学時代と大きく変わったことの1つは、通学時間が増えたことでした。自宅があった平野区から高石駅の通学は、片道1時間15分かかるため、毎日6時ごろには起きて、23時ごろには寝る日々を過ごします。

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