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黄色い涙を流す幼女を看取った母の闘病手記 胆道閉鎖症で亡くなった娘と向きった4年間

東洋経済オンライン / 2024年11月4日 9時40分

<同じCBAの子があと2人入院していた
 一人は1才半くらいで黄胆が強いという
 もう一人は8才くらいで ねつと黄胆。
 2人ともみるからに元気そうでうらやましかった。
 この2人の母親は茉友香を見て いずれ自分たちの子も茉友香のようになるのかとものすごく心配し おそれていた
 私は何も言ってやることができず ただ「まだ元気そうだからだいじょうぶですよ」というのが精一杯だった。>
(1990年12月19日)

平成2年の年末も一時外泊の選択肢はなかった。状態は厳しい。それでもまた回復して、退院できることを願った。

急変は平成3年=1991年の2月末に訪れる。身体中からの出血が見られ、茉友香ちゃんの呼吸が明らかに普通でなくなった。緊急で酸素テントに入れ、輸血する。少し長めだが、この日の日記をすべて引用したい。

<下血 9回
 輸血 約1000cc
 呼吸が一段とわるくなり メイロン、カルチコールを点滴からいれても効果ない。
 ○○先生に今度こそ本当に覚悟するように言われた
 人工呼吸器をつけても数時間もてばよいと言うことだった
 でも母親の私にはたとえ数時間でももつのなら
 心臓の動いているうちは反応がなくてもそばにいたかったため 夜呼吸器をつけてもらった。
 意識がまったくなくなる30分くらい前に 茉友香は「おうちへ帰りたい」と一言いった。
 それ以後は一言もしゃべらず挿管して10分くらいで自発呼吸もなくなり 瞳孔も開き 目もとじなくなり
 本当にただ心臓だけが動いていた
 挿管すれば呼吸が楽になりもとにもどるとばかり思っていたのに この時ほどショックは大きかった。
 もうしゃべることもわらうこと、泣くこと、動くこと
 何もしてくれない。
 そばにいて「まゆちゃん」と呼んでも何も反応してくれない。
 それでもまだ茉友香は生きている
 心臓は動いている。
 まけてはだめ 茉友香がんばって。
 一生けん命 手足をさすったり頭をなでたりしました>
(1991年2月28日)

「おうちへ帰りたい」

そう話した茉友香ちゃんはそれから意識を戻すことなく、1週間後の3月6日に亡くなった。

茉友香ちゃんが亡くなった日の日記のページをめくると、日付のない長文が書かれている。それがこのノートの最後の記述だ。

<今こうしてたった3年10ヶ月と17日の短かった茉友香の一生涯をまとめてみました
 本当に毎日毎日がCBAとの壮絶な戦いでした
 思いだすのは ただただ苦しんでいる茉友香の顔だけです
 楽しかった日の思い出なんてほとんどありません
 CBAと宣告をうけた時は大変な病気だとは知らされてましたが
 はなしに聞くのと現実はまったくちがいます
(略)
 本当に最後は医師と看護婦にかこまれ 私はただ部屋の片すみで泣いているだけでした。
 今思うと茉友香の死に対して にげていたのかもしれません
 心の中でぜったい助かると思い願いつづけながらも
 死というものをみとめたくなかった。
 もっとそばにいて最後まで手をにぎっていてやればよかった。
 後悔しています。
(略)
 現実とは本当にきびしいものです。
 でもにげることはできません
 何事も正面からぶつかっていくのです。
 何に対しても一生けん命やる。
 すべて茉友香からおしえられました。
 今私は この現実、茉友香の死から一日も早く立ちなおるようがんばっています。>

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