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ほぼ“戦わない旗艦” マッカーサーも乗った「揚陸指揮艦」が生まれたワケ “生き残り”は今も日本に

乗りものニュース / 2024年4月13日 18時12分

横須賀を母港にする「ブルーリッジ」。アメリカの揚陸指揮艦の生き残り(画像:アメリカ海軍)。

艦隊の「旗艦」といえば一般的に、戦艦や巡洋艦を思い浮かべますが、第2次世界大戦の頃からアメリカ軍は上陸作戦の指揮に旗艦として「揚陸指揮艦」を使っていました。そこには、アメリカ軍の独特な 組織編成がありました。

陸海空を統合したアメリカ軍には「指揮艦」が必要だった

 海軍の「旗艦」というと、艦隊司令官や参謀など司令部が指揮をする、戦艦や巡洋艦というのが一般的な認識でしょう。ところがアメリカ海軍では第2次世界大戦当時から、戦艦などではない特殊な艦艇を旗艦として使っていました。それが揚陸指揮艦です。文字通り「指揮をするための艦」は、アメリカ海軍独自の組織編成から生まれました。

 第2次世界大戦における日米戦は、1942(昭和17)年8月7日のガダルカナルの戦い以降、1945(昭和20)年3月の沖縄戦まで、反攻を開始したアメリカ軍の上陸作戦が繰り返されました。太平洋戦域でのアメリカ軍は海軍が作戦を主導しており、太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将が最高司令官を兼務していました。

 そしてガダルカナル島があるソロモン諸島の南太平洋方面軍司令官にウィリアム・ハルゼー中将が着任すると、その指揮下に上陸作戦の先兵となる海兵隊、陸軍部隊、陸軍航空軍(日米開戦直前に陸軍航空隊から昇格)、それに海軍の第3艦隊が統合されました。

 つまり、当時のアメリカ軍の陣容は、海兵隊や陸軍部隊や物資を運ぶ輸送船、護衛艦艇から成る“水陸両用部隊”、それに艦砲射撃などを行う火力支援部隊と、空母や戦艦などの艦隊で日本の航空基地や艦隊と決戦を行う“水上打撃部隊”に分かれていました。

 一方、ニューギニアを中心とする南西太平洋方面軍は陸軍のダグラス・マッカーサー大将を連合軍最高司令官とし、その指揮系統はニミッツとは独立したもので、ここにおいて、主に揚陸指揮艦が旗艦として機能することになります。

 揚陸指揮艦の登場は第2次世界大戦前の商船建造計画がきっかけでした。戦争が始まると、大量の戦時標準船が建造されていきますが、“リバティ船”と呼ばれたこれらの船は、いくつかの標準タイプがありました。基準となる船体を元に、各種の輸送船、タンカーなど用途によって改装し、短期間に規格化された船を量産していたわけです。航空機の輸送や艦隊護衛に使われた護衛空母もその一種でした。

 この標準タイプの一つである多目的輸送船C2型をベースにした全長約140m、排水量約7500tの船が揚陸指揮艦です。第2次世界大戦中に、アパラチアン級4隻、マウント・マッキンレー級8隻、それに貨客船と沿岸警備隊の警備艇から改造した各1隻が建造されました。

マッカーサーの艦は「置いてけぼり」に

 揚陸指揮艦に求められたのは、司令部要員の居住と通信設備でした。C2型の船倉を士官や乗員の居住スペースにして、船体の前後にあるクレーン用の支柱と艦橋にはレーダーが設置され、それぞれの間にはアンテナ線が張られました。なお、武装は5インチ(130mm)単装両用砲、40mmと20mm対空機関砲が装備されていました。

 こうして登場した揚陸指揮艦は1944(昭和19)年から前線に投入されます。アメリカ軍が同年10月に行ったフィリピン侵攻では、マッカーサー軍の第7艦隊において、マウント・マッキンリー級「ワサッチ」が旗艦として運用されました(マッカーサー司令部は軽巡洋艦「ナッシュビル」が旗艦)。

 レイテ沖海戦ではこの第7艦隊がレイテ島上陸の支援として旧式戦艦を主力にした火力支援部隊で、日本艦隊の西村艦隊とスリガオ海峡における夜戦を行いました。また、日本艦隊を迎え撃つ第3艦隊はハルゼーが戦艦「ニュージャージー」を旗艦として、シブヤン海海戦とエンガノ岬沖海戦を戦っいぇいます。

 ちなみにこの時、日本艦隊の接近を知り、みずからが最前線に立つと主張するマッカーサーを、第7艦隊司令官トーマス・キンケイド中将が説得して「ナッシュビル」と「ワサッチ」をレイテ湾に留めたままにしました。サマール沖海戦で第7艦隊の護衛空母部隊と戦った栗田艦隊が、もしレイテ湾に突入していたら第7艦隊の火力支援部隊と海戦になり、「ナッシュビル」と「ワサッチ」も戦闘に巻き込まれた可能性があります。

日本を母港にするご長寿の揚陸指揮艦とは

 アメリカ軍はレイテ侵攻後も硫黄島上陸や沖縄戦で揚陸指揮艦を投入しました。やがて戦争が終わり不要になった戦艦や空母が処分される一方、それらの揚陸指揮艦は生き残りました。

 1950~53(昭和25~28)年の朝鮮戦争では、北朝鮮軍の奇襲で釜山付近まで追い詰められた国連軍が戦局を挽回するため仁川上陸作戦を実施しました。この作戦で総司令官のマッカーサーは揚陸指揮艦「マウント・マッキンレー」で指揮を執りました。

 現在、揚陸指揮艦は1970(昭和45)年と翌71年に就役したブルーリッジ級2隻が生き残っています。1番艦の「ブルーリッジ」は横須賀を母港にする第7艦隊、2番艦の「マウント・ホイットニー」はイタリアのガエータを母港にする第6艦隊の旗艦となっています。

 時代とともに海戦の様相が変わり、アメリカ軍が上陸作戦を行う機会は現在ほとんどありませんが、2隻の揚陸指揮艦は就役から50年を超える老朽艦ながら、太平洋戦争以来の伝統を受け継ぎ、艦隊旗艦として今も健在なのです。

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