特集2018年2月5日更新

あの頃にタイムスリップ 懐かしい駄菓子の現在

駄菓子の定番「梅ジャム」が2017年末に製造を終了していたことが報じられ、ネットなどでは悲しみの声が広がっています。このニュースを聞いて懐かしい駄菓子へ思いを馳せた人も多いのではないでしょうか。そこで今回は、“あの駄菓子”たちの今に迫りつつ、ちまたにある駄菓子屋などの情報を集めてみました。

目次

駄菓子の定番「元祖 梅ジャム」が製造終了

「元祖 梅ジャム」とは

1947年発売 「梅の花本舗」の駄菓子

「梅ジャム」は梅肉を煮詰めて砂糖や小麦などを加えたもので、戦後間もない1947年から製造されてきた。駄菓子屋に並ぶようになった人気を博したが、製造は高林社長がひとりで続けてきた。

商品開発のきっかけは“紙芝居”

紙芝居で販売する駄菓子のラインアップが数少なかった当時、せんべいに塗って味を変えられるような一品があれば人気が出るのではと考え高林さんが開発しました。

販売終了の理由…社長の体力の限界・後継者不在

商品は創業当時から高林さんが1人で製造しており、手作業の割合も多く87歳の身体ではもう作るのが難しいとのこと。作り方も誰にも教えておらず後継者もいないため、製造終了に至ったといいます。賞味期限は1年で、市場に出回っている在庫分が最後の「梅ジャム」となります。

「頑張ってきたが、もう売れない」

梅の花本舗の高林博文社長はJ-CASTニュースの取材に対し、販売終了・廃業について次のように語っています。

「5回も関節などを手術したりして、体を痛めてしまいました。機械もボロボロになって、すでに解体しています。少子化で問屋さんも取引を止め、駄菓子屋もなくなりました。頑張ってきたが、もう売れないんですよ。時代の流れには勝てないので、70年を区切りに止めることにしました」

大空出版のWebサイト「まだある。昭和ナビ」のYouTubeページに公開されている動画「まだある。工場見学『梅の花本舗』」では「梅ジャム」を作っている過程や社長のインタビューを見ることができます。

「梅ジャム」製造終了に対するさまざまな反応

1月下旬にTwitterで、梅の花本舗の廃業を知ったという趣旨のツイートが2万回以上リツイートされるなど話題になっていました。「惜しすぎる」「何だか寂しい」「行かないで、私の昭和」「せんべいにつけて食べるのが大好きだった」と、昭和の味が消えゆくことを悲しむ声が寄せられています。

駄菓子漫画『だがしかし』の「梅ジャム」回が無料公開

梅の花本舗の駄菓子「梅ジャム」が2017年12月をもって製造終了していた事実を受け、駄菓子漫画『だがしかし』(コトヤマ)の梅ジャムを扱った回をWeb漫画サイト「サンデーうぇぶり」(小学館)が無料公開しました。
無料公開された『だがしかし』の第46かしは、駄菓子マニアの社長令嬢・枝垂ほたるが「梅ジャムの後継者になる旅に出る」と言い出す話。
注目すべきは話の最後。高林さんには息子がいるのに店を継がせる気がなかったらしく、その理由が本人の言葉を借りて紹介されます。

『だがしかし』の作者・コトヤマさんが、「梅ジャム」製造終了を受けてTwitterで感謝を述べています。

「梅ジャム」が高額で転売される

通常10円ほどで販売されていた「梅ジャム」ですが、フリマアプリのメルカリでは40個入り1箱のものが1000円から5000円ほどで販売。オークションサイト「ヤフオク!」では同じものが1万円以上の値が付きなおも入札が続くなど、10倍以上の高額で売買される例も散見されます。

昔おなじみだった“あの”駄菓子たちの現在

うまい棒(やおきん)

1979年販売開始 1本10円の“国民的”駄菓子

うまい棒が登場したのは、第2次石油ショックが日本を襲った1979年。今年で34年目になる超ロングセラー商品だ。販売元は、「ハートチップル」「キャベツ太郎」「コーンポタージュ」などの人気スナック菓子を数多く出しているお菓子メーカー「やおきん」。

「うまい棒」の誕生から製造工場の秘密まで解明している書籍も登場しています。

うまい棒の原型は「うまいうまいバー」

うまい棒の原型となったのが、やおきんも正確な販売時期を把握していないという「うまいうまいバー」(~1979)。「ママの味」と記されているように甘い味だったらしいのだが、詳細はよくわからないという“伝説の1本”だ。

1982年発売開始の「ピザ味」が2018年3月で生産終了

スナック菓子「うまい棒」を生産するやおきんは1月18日、「うまい棒ピザ味」を2018年3月製造分で生産終了すると発表しました。

3年ぶりの新味「ちまき味」が発売決定

やおきんのスナック菓子「うまい棒」から3年ぶりの新味となる「ちまき味」が、2月中旬に期間・数量限定で発売されます。
「ちまき味」は中華ちまきの味を再現したうまい棒。シーズニングには鶏肉や椎茸、野菜のパウダーを使用しています。パッケージのデザインは3種類で、いずれも端午の節句をイメージ。

キャベツ太郎(やおきん)

1981年発売開始 コーンスナックの王者

キャベツ太郎は通常20円で販売されている。たった20円なのに袋には何粒もスナックが入っているのだ。
キャベツ太郎の魅力はなんといってもその味付けである。ソースをベースとした調味料がまぶされているのだが、基本的に味はかなり濃厚。調味料がたっぷりと振りかけられている粒がたくさん入っているのだ!
味が濃いからといって不快感は一切ない。どんどんつまみたくなる味付けなのだ。振りかけられている「あおさ」も風味がよく、素晴らしいアクセントとなっている。

実は…キャベツは一切使用されていない

キャベツ太郎というネーミングであるが、商品には一切キャベツが使用されていない。名前の由来は明らかにされていないというが、キャベツ太郎だからといってキャベツは使用されていないことを知ることにより、子どもは何でも物事を鵜呑みにしてはいけないと学ぶはずだ。

チロルチョコ(チロルチョコ株式会社)

1962年発売開始 1個10円の“四角いチョコ”

1個10円という価格と、四角い形でおなじみの「チロルチョコ」。意外と知られていないが、元祖のチロルは長方形だった。その誕生は1962年、松尾製菓の2代目が、当時高級菓子だったチョコレートを、「子供の小遣いで買える値段で提供したい」と、10円の売値ありきで開発したのが始まり。おいしさ、珍しさはもちろんだが、「10円という優しい価格で、子供たちを笑顔に」という思いこそが、原点だった。
しかし、70年代の石油ショックの影響で、30円までの値上げを余儀なくされた時代もあった。売上も低迷し、苦肉の策からうまれたのが、あの正方形のチロルチョコ。価格を従来の10円に戻し、大きさを3分の1にすることでコストを抑えたのだ。これが、今も多くの人に愛される看板商品となる。

チロルチョコの名前の由来は?

チロルチョコの名前の由来は、欧州・オーストリアのチロル地方から。アルプス山脈のふもとに広がる雄大な自然を持つチロル地方のようにさわやかなイメージを持ったお菓子でありたいという理由からだそう。発売当初のパッケージにはチロル地方の民族衣装や風景写真がプリントされていた。

佐賀県産の希少な白イチゴ「雪うさぎ」を使用した「もっちり白いちご」

2017年12月に発売されたのが『チロルチョコ<もっちり白いちご>』(1個・希望小売価格 税抜30円・2017年12月4日発売)。淡いピンクの包み紙には、白いうさぎが餅つきをしているかわいいイラストがデザインされている。
『チロルチョコ<もっちり白いちご>』には佐賀県産の希少な白いちご「雪うさぎ」が使用されている。

モロッコフルーツヨーグル(サンヨー製菓)

1961年発売開始 記憶に残る“あの味”

チョコレート菓子の製造も手がけていたサンヨー製菓が、「チョコの売上が減る夏向けに、さっぱりとしたヨーグルト風のお菓子を」と、1961年に発売。容器の形も当時瓶入りだったヨーグルトを模したものに。とはいえ、製法はホイップクリームと同じで、作りたてはふんわりなめらか。時間と共に砂糖が再結晶して舌触りが少々ザラッとするが、その独特の食感さえ魅力となって全国で好評を博した。
「長年、駄菓子屋さんで親しまれ、現在も松屋町の問屋から全国に出荷されています。長年のファンの提案で実現した、40g入りの大きいサイズも好評です」

中野の都こんぶ(中野物産)

販売開始から80年超 “酢こんぶ”と言えば「都こんぶ」

1912年(明治45年・大正元年)に京都で生まれたという中野物産の創始者、中野正一氏によって考案され、世に出た。
倉庫の中にある売りものにならない昆布の切れ端をおやつの代わりとして食べながら、「こんな切れ端のこんぶも、味付けしたらお菓子になるのではなかろうか? もしかしたら売れるのではなかろうか」と頭を巡らしていた。
堺に中野商店を創業、かねてから温めていたアイデアの昆布を原料としたお菓子を開発。それは今の「都こんぶ」の原型の黒蜜の入った酢漬けの昆布。そしてこの昆布を原料にしたお菓子に自分の望郷の思いを込めて「都こんぶ」』とネーミング。

蒲焼さん太郎(菓道)

“うなぎのかば焼き”をイメージした「太郎シリーズ」駄菓子

魚のすり身を薄く焼き上げた駄菓子ですが、味はうなぎのかば焼きを再現しているものなのです。
蒲焼さん太郎を開封してみると、確かに薄くて硬い焼菓子なのですが、表面に塗られたタレの光沢はうなぎの蒲焼を想像させます。

おにぎりせんべい(マスヤ)

「赤福」の10代目が起業して作り上げたせんべい

せんべい作りが盛んな地域から職人を招いて技術指導を受けるなど、4年の開発期間を経て、「おにぎりせんべい」が誕生した。当時、せんべいは丸や四角い形が主流だったが、「三角形があってもいいのでは」と三角形に。原料が米ということから“おにぎり”を名前に入れた。
硬いせんべいが多かった中、ソフトな食感で差別化。そして、ダシの旨味を効かせた醤油味に、香りのいい刻み海苔のアクセントが受け、ロングセラーとなった。

歴史ある駄菓子屋や駄菓子が楽しめる身近なお店

元祖 仙台駄菓子本舗 熊谷屋(宮城県)

創業320年以上 駄菓子の元祖“仙台駄菓子”を扱う老舗

伊達政宗が仙台に城下町を築いてから、一世紀近く経た1695年(元禄8年)。元禄景気に活気づく青葉城下で、一軒の菓子屋が産声を上げた。これが『熊谷屋』である。
創業者の熊谷治三郎が扱った商品は、駄菓子。それまでは、くず米などを材料に台所で作られていた駄菓子を、台所の味を超えるものに仕立て、購買意欲の高まった庶民に売り始めたのだ。

上川口屋(東京都)

都会にある創業230年以上の駄菓子屋

東京雑司ヶ谷の鬼子母神内にある『上川口屋』。
江戸時代1781年に創業し、230年以上の業歴がある駄菓子屋だ。鬼子母神は安産や子育の神様のためか、駄菓子屋にも子ども連れの大人も目立つ。
価格帯は、1個10円程度から。

まぼろし堂(千葉県)

地域に密着した多彩な駄菓子屋

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竹林を整地してつくったという場所に、まぼろし堂がまるで映画のセットのように待ち構えていた。ある種、テーマパークのような佇まいだ。店内に入ると、温もりを感じる電球の照明が嬉しい。クジ引きをはじめチョコマシュマロ、酢漬けイカなど子どもたちに人気の駄菓子、アイテムが、所狭しと並ぶ。
薄利多売で商売としてはかなり厳しいというが、現在の年商は約500万円という。地元の子どもたちも多数集まるほか、広い敷地を利用してミニコンサート的なイベントや、プロレス団体と協力してのプロレス大会など、これまでにさまざまな自主イベントも催してきたそうだ。

マルヒデ商店(愛知県)

駄菓子をはじめ景品玩具や花火も取り扱うお店

奥行きのある店内に、小さな駄菓子や玩具がビッシリ並ぶ、愛知県岩倉市の「マルヒデ商店」。さまざまな種類の花火を1本¥10からバラ売りしており、なかには変わり種の珍しいものも。玩具の品ぞろえも圧巻で、アイドルのカードなども販売する。菓子やスーパーボールが当たるくじ引きが子供に人気だ。

駄菓子バー(東京都・神奈川県)

都内近郊に7店舗を構える“駄菓子屋風”バー

「駄菓子バー」は、昭和感タップリの店内に懐かしい歌謡曲が流れる中、駄菓子をつまみにお酒を飲むことができる店舗。日常を忘れて、どこか懐かしい非日常を楽しめるエンタメ居酒屋となっている。
店内いたるところに吊るされている駄菓子は食べ放題。在庫は常時100種ほど用意され、昔懐かしい駄菓子から、新発売の駄菓子まで、様々なラインナップとなっている。
また、フードメニューも、駄菓子を使った料理から居酒屋料理まで幅広く揃う。

台場一丁目商店街(東京都)

デックス東京ビーチ内にある“昭和の下町”

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昭和30年代の商店街をイメージしたテーマパーク「お台場1丁目商店街」は、若手芸人の漫才や紙芝居のおじさんがやってくる昭和レトロイベントなどが盛りだくさん。駄菓子やレトログッズの他に、懐かしいゲーム機や車などもある。「台場怪奇学校」というお化け屋敷などもあり、とにかく懐かしくてシビレてしまうだろう。