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時として「家族」は、逃げたくても逃げられない場所になる【石井ゆかりの幸福論】

ココロニプロロ / 2019年9月25日 18時45分

「最終的に帰り着く場所」は、自分の人生の終着地であり、人生の理想が注ぎ込まれる場所、といえるかもしれません。「終の棲家」に憧れ、あれこれと夢を思い描く人は少なくありません。将来こんな家に住みたい、いつかこんな場所で暮らしたい、という願いを叶えた人は、とてもうらやましがられます。

私は(あちこちで書いていますが)、非常に引越の多い人生を送ってきました。生まれたその日が引越の日で、それからよんどころない事情で20回以上も引っ越してきました。夜逃げでもなければ趣味の引越でもなく、不思議なくらい「引っ越さなければならなくなる」人生だったのです。
ですが40歳を越える頃から「最後にはどこにたどりつくのだろう?」という思いが湧いてきました。「終の棲家」があるとすれば、それはどこなのか。それは幸福な場所なのだろうか。この問いは、このところ年々、私の中で重みを増しています。
それは単に「場所・建物」の問題だけに留まらず、「最終的にはなにをして、どう暮らしているのか」という、生活全体のイメージにつながります。つまりは「人生の最後」ということなのです。



『椿姫』のように、ジェンのように(※前編参照:https://cocoloni.jp/culture/1331568/)、私たちは自分の人生において「最終的にたどり着く場所」がなんとか、美しく幸福なものになることを願ってやみません。
金メダルを目指し、社会的成功を目指し、幸福な人と羨まれ、立派な人と尊敬されることを目指した後で、一人の人間として「最後に、本当に欲しいもの」はなんなのか。これは、人生の早い段階で準備できるものではないのかもしれません。でも、そのことを心の中で、常に探し続けることができるとしたら、はまらずに済む落とし穴もあるのかもしれません。

「最後の最後が幸福であれば、人生の全体が幸福の光に照らし出される」「過去がどんなに辛くても、現在がどんなに苦しくても、最後の最後に幸福であれば、この苦しみや辛さが全て報われる」。
この考え方は、私たちが今という時間を、未来に向かって絶え間なく生きようとする上で、決定的な希望です。『椿姫』のマルグリットも、最後の瞬間まで恋人アルマンを待っていたのです。生きている限り、次の瞬間には恋人がやってくるかもしれない、というその希望を胸に抱き、人生の幸福を目指して生きていたのです。
自分にとっての最後の瞬間が「最後の瞬間である」ということを、私たちは知ることができるのでしょうか。それは死んでみるまで、だれにもわからないわけですが、少なくとも「幸福への希望」だけは、最後まで私たちにつきあってくれる可能性があるようです。


>>次回もお楽しみに(10月25日更新)


プロフィール


石井ゆかり
ライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。

公式モバイルサイト


「石井ゆかりの星読み」


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