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JFA田嶋幸三会長、退任会見で任期8年間を回顧「森保監督を信じて戦った」「院政を敷くつもりは一切ない」

ゲキサカ / 2024年3月23日 19時2分

 自分は1968年に西ドイツの留学から帰って来て、ありがたいことに(当時、FIFAコーチングスクールでクラマー氏の助手を務めた)平木隆三さんから抜擢され、約20年近くボランティアで日本協会で関わってきた。指導者養成や育成で多くの経験をさせていただいた。83年から86年にケルンスポーツ大学で勉強している頃は、私のような青雲の志を持った学生が20人近くいた。そういう方たちと毎晩、ビールを飲みながら日本サッカーについて語っていた頃は、自分たちの目の黒いうちはドイツに勝てないだろうなと会話をしたのを覚えている。公式戦で1回勝っただけだからドイツより強くなったとは言えないが、W杯の公式戦で勝ったというのは、自分がやってきたことの中では非常に感慨深いものであった。

 私は47都道府県を重視してきた。日本サッカー協会の成り立ち、歴史からして47都道府県が非常に重要で、47都道府県が自立していくことはマーケティングであったり、人口減少であったり、そういう状況のなかで簡単ではないとよくわかっていた。その当時、補助金が東京、大阪、神奈川の補助金を小さな県に回す制度にしていたのを8年前、75%はその地域に回そうと考えた。東京や大阪、神奈川、埼玉、千葉のようなところは人口も多く、お金もかかる。そういうところにも回す改革をした。また各都道府県に1人、選任指導者を置き、その費用を持つことも実行した。こうしたベースをしっかりやってきたことをサッカー協会は忘れてはならないと思う。まず代表チームをしっかり強くしていくこと、基盤となる47FA・各種連盟を支えることです。

 Jリーグ、Jクラブは独立した機関であり、しっかりした理念で活動してくれている。私はずっと20年来、シーズン制のことを議論していたが、気候変動の問題であったり、Jリーグの多くの選手がヨーロッパに行くという様々な変化がある中、昨年、野々村(芳和)チェアマンがシーズン移行を決定してくれた。彼のリーダーシップに感謝している。やはり20年を超える期間、ずっと議論してきたことは健全な方向だったと思っている。その議論があったからこそ、スムーズにシーズン制を変えようという結論に至ったと考えている。そういう意味で日本代表だけが世界に挑むのではなく、昨季は浦和レッズがACLで優勝し、クラブW杯でマンチェスター・Cと戦ってくれた。いまは横浜F・マリノスがACL準々決勝まで残っている。そうした日本のクラブが世界に伍して戦う時代にもっとならないといけない。これからクラブW杯の出場クラブが増えるが、そうしたR・マドリー、マンチェスター・U、アーセナル、バイエルンが出るような大会にもっと日本のクラブが出るようにならないといけないと思っている。

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