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プロフェッショナルな医師とは

Japan In-depth / 2019年8月12日 7時0分

嶋田医師は岐路に立たされている。彼は南相馬市立総合病院で脳外科を続けながら、新しい可能性にもチャレンジしたい。ところが、彼が南相馬市立総合病院で働きながら、エムネスで診断業務に携わると「兼業規制」に抵触する。どうしてもやりたければ、南相馬市立総合病院を辞めるしかない。


実は、この問題を解決する別の方法がある。南相馬市立総合病院を辞職して、非常勤医師として再就職することだ。非常勤職員となれば、両方で働くことが出来る。ところが、周囲の人間関係や職場の都合もあり、なかなか認められない。嶋田医師も言い出しにくい。


嶋田医師が逡巡する一方、私たちのチームには、このような働き方をする若手医師が多い。坪倉正治医師自体がそうだ。東日本大震災直後に福島県に飛び込み、現在に至るまで福島と東京を往復する生活を送っている。日常診療はもちろん、内部被曝検査の立ち上げから、放射線相談、小中学校や住民に対する放射線の授業まで、幅広い仕事をこなしてきた。


現在、相馬市の相馬中央病院特任副院長を「本職」に、福島県立医大の特任教授および南相馬市立総合病院・ひらた中央病院(福島県平田村)・ときわ会常磐病院(福島県いわき市)、ナビタスクリニック立川(東京都立川市)で非常勤医師として診療している。


さらに福島県相馬市、南相馬市、葛尾村など複数の自治体の非常勤職員、複数の民間企業の顧問を務める。福島民友などのメディアで連載もこなす。


坪倉医師は個人事業主だ。収入の一部は「報酬」として受け取り、確定申告も行う。後述する若手医師らとともに税理士と契約し、税務処理を委任している。経費が計上できるのだから、研究にも自らのカネで投資する。公的研究費を求めない。臨床研究の多くは、年間数百万円もあれば、かなりのことができる。坪倉医師は「申請書を書いたり、大学内での手続きにかける時間が無駄」という。


坪倉医師は震災後117報の英文論文を発表した。臨床・研究の実務活動を通じ、後進を指導した。現在は原発事故対策の世界的権威となり、今年10月にはフランス政府の招聘で渡仏し、放射線防護・原子力安全研究所(IRSN)の専門家と共同研究を行う。


尾崎章彦医師も同様だ。2010年に東大医学部を卒業したあと、千葉県内の病院を経て、竹田綜合病院(福島県会津若松市)に就職した。その後、2014年10月に南相馬市立総合病院、2018年1月に大町病院(福島県南相馬市)、2018年7月にときわ会常磐病院(福島県いわき市)に移籍した。


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