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平成13年の年賀状「車と私」・「人の心と会社経営」

Japan In-depth / 2023年5月10日 11時0分

ワインレッドの車体に薄いアイボリー色の革の座席。私はこれも一目で気に入った。


その車を横にした私が、2006年5月の『ゲーテ』誌に出ている。56歳の私だ。若い。なんとも若い。幻冬舎の見城さんが手配してくれ、私についての記事を出してくれたのだ。「愛車は友人である元日本一のレーサーの見たて」とキャプションが添えられている。そういえば、三田のマンションの書斎の写真も出ている。綱坂に面したベランダに立った姿もある。向かいの緑は三井倶楽部だ。事務所での写真も出ている。いま、17年後にも同じ場所で同じ机に向かっている。椅子も同じだ。ただ、机の上のリングファイルはもう無い。パソコンの横の書棚においてあるピエタ像の写真は次男がローマから買ってきてくれたお土産だ。この時にもうあったとわかる。雑誌の記事では、その下になんと石原さんの署名の写真がある。「石原慎太郎氏が牛島のために署名してくれたジイド『地の糧』の一節」との説明が付されている。最新刊の『我が師石原慎太郎』にも書いたが、揮毫用の台紙にその一節を印字して持って行き、石原さんに頼んで署名してもらったのだ。あの石原さんの独特の署名。その左下には花押もあるようだ。「ナタナエル」を「ナタニュエル」と、石原さんが手書きで訂正してくれているのもわかる。石原さんが「こんな文学青年みたいなことするなよ、と私をたしなめながらも、丁寧にナタナエルをナタニュエルと手書きで訂正までしてくれた。」とその本に書いている(13頁)


2004年に私は事務所を青山ツインから山王パークタワーに移していた。『ゲーテ』誌の記事は、石原慎太郎さんと会い、彼の小説のために、文学の師である石原さんとしばしば電話で話をしていたころのことだ。 


そのワインレッドの車との別れはしばらくしてやってきた。運転しているとハンドルががたつき始めたのだ。当然、すぐにTさんに相談した。


「そりゃ大変だ。事故を起こす前でよかった。すぐにM君に言って代車を出させましょう。買い替えなくっちゃいけません」とのご宣託だった。M君というのはTさんご贔屓の外車ディーラーの方である。


それで私はまた白のベンツに乗ることになった。ただしSである。この時は新車だったのだが、それがどういうわけでかスタート時にエンジンがかからないトラブルが重なり、同じタイプ、同じ色の中古車に乗り換えた。


未だ終わりではない。


その車を運転していて擦ることやぶつけることが重なったのだ。


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