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平成13年の年賀状「車と私」・「人の心と会社経営」

Japan In-depth / 2023年5月10日 11時0分

最後のころにも、やはり仕事をした一日の後のビールの一口は人生の生きがいの一つだな、などと感じていたのだ。今でも、いっしょに食事する方がアルコールを飲むのを眺めていると、それがビールでもワインでもシャンパンでも日本酒でも、羨ましい気がしないでもない。しかし、もうアルコールの匂い自体を受け付けなくなってしまった気がする。


ビットブルガーというドイツ製のノンアルコールのビールをオークラのソムリエに紹介してもらったのも、アルコールと別れるきっかけになった。なんとも苦みが強くて美味しいのだ。これを飲みなれた今では、アルコールの入ったふつうのビールを飲むと、甘い。甘ったるい。アルコールというものはこれほどにも甘いのか、と思わされる。ベルギーの同じノンアルコールビールのビア・デザミ・ブロンドというのは、キャピトル東急のオリガミで教えてもらった。同じホテルの中華、星ヶ岡でよく飲む。フルーティな香りがあって、これまた乙なのである。 


時間は飛んでしまうが、令和4年、2022年の年賀状に、「最近はアルコールとの縁が薄れつつあります」と書いている。つまり2021年にはお酒との縁が切れ始めていたのだ。終わりの始まり。あれほど飲んでいたのに、「今や後日談」になってしまった。実のところ、少し寂しいのである。


4歳違いの二人の息子が幼いころのこと、「お父さんの匂いはジン」という兄と「お父さんの匂いはブランディ―」という弟に分かれていた。その違いができた過程は私が努力して生活を豊かにしていった過程なのだろう。これももう昔のことである。 


それにしても、私は「久し振りに車の運転をするように」なった2000年以来、ベンツ以外の車種に乗ったことがない。そもそも車に興味がないのだ。そういえば青山に事務所を開いた時には日産のローレルに乗っていた記憶がある。車生活の最初は、父親から兄が貰い、それをさらに私が貰い受けたマツダのルーチェという車だった。その後にホンダのシビックになり、日産のブルーバードに替わり、そしてローレルになったのだったか。ちょうど独立したときだと覚えている。1985年のことだ。


思い出す。そうした国産車に乗っていた時代には後部座席に二人の小さな息子二人を乗せて、毎週の日曜日に家族4人でドライブに出かけていた。千葉方面が多かった。運転している後ろから大きな声で歌う二人の声が聞こえてくる。「ヤーレンソーラン北海道」ときて「牛の歌でないかい」と下の子どもが私の右耳元にまで口を近づけて大声を出したのには閉口したものだった。九十九里まで行って、簡素な海岸の家で海老やサザエを焼いたものを食べ、いっしょにラーメンを平らげた。いつの年のことだったか、こどもの日に千葉のこどもの国という遊園地へ出かけて当然のように大渋滞に遭い、真夜中になってやっと自宅にたどりついたこともあった。今となっては、ただただ懐かしい記憶である。良き父親であった日々が私にもあったのである。


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