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平成19年の年賀状 「『我が師 石原慎太郎』、日米半導体戦争、そして失われた30年」・「三回の欠礼、M&Aとコーポレート・ガバナンス、そして人生と仕事」

Japan In-depth / 2023年7月12日 18時0分

なぜ私が、と不思議の感があったが、どうやら理由は、ジャパン・フォワードに連載していただいている『少数株主』(幻冬舎刊)という私の小説の英訳が、常に上位にランクインしているとい事実らしい。ジャパン・フォワードの中心人物の一人である古森義久さんに教えられ、我ながら少し驚いた。


『少数株主』は2017年に幻冬舎から出したビジネスロー・ノベルである。日本における非上場の株式会社の少数株主のおかれたあまりに劣悪な地位を世の中に紹介すべく、憤慨とともに世に出した小説である。題名は幻冬舎の見城徹社長がつけてくださった。大いに売れ、今でも幻冬舎文庫の一冊として名を連ねている。発刊をきっかけにたくさんの少数株主の方々のために裁判所で活動し、いまでは日本の裁判実務に相当の影響を与えるところまで来ていると自負している。担当の弁護士たちが情熱を傾けて勤しんでいることと、法的な助言を惜しまれない久保田安彦慶応大学教授の力とが「山を動かす」ことを可能にしたのだと感謝している。


そのようなことが我が人生に起きるとは、という感慨がある。弁護士になって44年、法律事務所を主催するようになって38年、そのすべての日々がここにつながっていると感じる。


具体的には、1988年に依頼を受けた中規模の輸入商社の乗っ取り事件がきっかけだった。ドイツからの工作機械の輸入専門商社だったのだが、もちろん非上場で、港区神宮前4丁目の数百坪の土地の上に本社社屋があった。その会社の創業者が認知症を患い始め、二代目を継いでいた社長が営業に忙しいことをよいことに、創業者の番頭とも称すべき立場の人間が密かに株を買い集めていたのである。


非上場のさほどの規模でもない、内輪だけの株主の会社だったから、いつも形式的な手続きの取締役会と株主総会で済ませていた。ところが、1988年の株主総会でその番頭格のW氏が、「私がこの会社の株の過半数を有している」とテーブルを人差し指と中指の2本


で強く叩いて音響をあげて出席者を驚かせ、あっという間の決議で社長以下を追い出してしまったのである。会社の持っている本社土地に目を付けてのことである。時はバブル真っ最中であった。


私への依頼は、社長のY氏の義弟である別の依頼者の紹介だった。


早速裁判を起こし、代表取締役と取締役の職務執行の代行者の選任の仮処分を裁判所から得て、本格的な法廷闘争が始まった。規模こそ違え、城山三郎の書いた『乗取り』そのままの紛争である。


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