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平成25年の年賀状 「10年ひと昔」・「父との生活」

Japan In-depth / 2023年10月12日 22時17分

毎回ていねいに磨いていることが、父親の教えを守っていることになるのだろう。父親は別の柔らかい歯ブラシも持っていて、それでどこかを磨くと教えてくれたのだが、忘れてしまっている。喉の奥に差し込んで、そこへの付着物を取り去るということだったような気もする。





父親は豊富な時間のなかにいたのだ。58歳で営業譲渡をしてしまって不動産の上がりで生活するようになっていた。私は、74歳のいまも弁護士業にいそしんでいる。 





私は、若いころから、週に一度、日曜日が来るごとに両親に電話をしていた。電話をすればたいていは父親が先にとり、二人で話す。1時間になることもしばしばだった。それから母親と話すことになる。場合によっては話さないで終わってしまうこともあった。母親とすればずいぶん物足りない思いだったのではないかと、いまにして申し訳ないことだったと反省している。





海外に出張すれば、国際電話をしていた。





その両親、ことに父親との何十年と続いた日曜日の電話で、あるとき父親が「もう愉しいことを聴くだけにしたい。」と言ったことがあった。





「それではせっかく二人では話している意味がなくなってしまうじゃないの」という私の声に、





「歳をとるとね、もう不愉快なことは耳に入れたくなくなるんだ。だから、愉しいことだけを話してくれ」と、一種、断固として、答えた。だからといって私が両親に電話する習慣は絶えることはなかったが、私なりに淋しい思いはあった。 





父親にはいろいろなことを教えてもらった。





たとえば、学生時代のこと、二人で飛行機に乗って私が洗面所に行ったとき、手を拭いた紙タオルで洗面器の水をキチンとふき取ってから出てくるんだよと教えてくれた。未だ紙タオルの珍しい時代だった。





「飛行機のなかで飲む紅茶が、どういうわけかとても美味しくてね」と話してくれたこともあった。





私が子どものころには、鉋(かんな)の掛け方を手取り足取りで見本を示しながら教えてくれた。





「鉋はね、ゆっくりと引くんだ。急いではいけない。歯の出し方が大切だよ。出し過ぎてもいけないが、歯が出ていなくてはそもそも鉋がかからない。ほら、こういう薄くてふわっと浮き上がるような削りくずがでてくるようなのがいいんだ。」





それは、鰹節の削り方でも、鋸の引き方でも同じだった。私が力をいれてせかせかと鋸を動かしているのを見て、鋸を使うときには急がないこと、力を入れ過ぎないこと、撫でるように、ゆっくりと、と諭してくれた。とくに日本式の鋸は押して切るのではなく、引いて切るのだとも、鋸の目を指さしながら教えてくれた。確かにそのとおりだった。





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