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平成26年の年賀状・「本を読むことこそ我が人生」・「ヘミングウェイの『移動祝祭日』と石原さんのこと」

Japan In-depth / 2023年11月16日 12時26分

私の好奇心と想像力はとどまるところを知らない。





目の前だけを見ていると、その先はわからない。見当がつかない。ただ眼前の風景が次々と変わるのに翻弄されるだけになってしまう。過去、なにかがあったこと、そして、それがなぜそうあったのか、その後どうなったかを知っていると、現在もそのように変わりうると推測することができる。たとえば、AIである。今回のAIのブームが3回目であることくらいは知っていても、それがどこへ我々を連れてゆくのかは、過去に起きたこととの対比で考えるしかない。今回は違うかもしれない、ということもそのなかに含まれる。





現時点で私は、たぶん今回のAIの発展は、過去の歴史に学ぶことが役に立たないほどの決定的な変化を我々にもたらすのではないかと想像している。早い話が、我々はホモサピエンスに追われたネアンデルタール人になってしまうのではないかと恐れているのである。ディープラーニング、深層学習とはそういう地平に我々を連れて行ってしまう可能性を秘めている。汎用人工知能のことである。シンギュラリティのことである。





問題は脳ではない、身体を持つから知性が存在するという批判には大いに説得力がある。私が子どものころ読んだSFの古典、『ドノバン氏の脳』のように、脳だけを外部化すればそれで足りるとは思えない。たとえば、腸内細菌が100兆個あって1.5キロの重さを持つと学べば、それだけでも人間というものについては脳の機能だけを考えれば済むものではないだろうと推測できる。





しかし、その知識も脳に蓄えられている知識である。腸内細菌についての知識も同じである。大脳の新皮質が人間を人間にしていると読めば、主な点は脳なのだという考えに落ち着く。





どこへ人類が行くのかわからない。





私の頭のなかにあるのは、「キリンもトマトも人間もたんに異なるデータ処理の方法に過ぎない」というユヴァル・ノア・ハラリの命題である。その著『ホモ・デウス』下巻210頁に出ている(河出書房新社、2018)。





トマトを食べる度ごとに、私は奇妙な感慨を感じないではいられないのだ。





 





ヘミングウェイの『移動祝祭日』と石原さんのこと





【まとめ】





・作家は自分にしか関心を持たない。我が侭な生き物である。





・47歳の私も若くて、野心的で、飢えて、悶々としていた。





・74歳の私の心は22歳のヘミングウェイと変わらない。私はいま、新しい刺激に満ち満ちていると感じている。





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