「令和6年の年賀状」団塊の世代の物語(8)
Japan In-depth / 2024年9月10日 21時0分
彼の最初の小説、『株主総会』は30万部のベストセラーになった。知っているよね。総務部の次長が自分の会社を乗っ取ってしまう話」
英子がこっくりとうなずく。ほんの少し微笑んだ気がした。花の女王の謎の微笑ってわけか、と三津野はまた自嘲的な気持ちにおそわれる。峰夫でなければ大木弁護士。まったく、なんなんだ。
「大木先生の本が出たのは1997年、平成9年だった。総会屋問題が巨大銀行首脳の利益供与事件として東京地検特捜部の捜査の対象になったときと同時だった。当時、先生、『特捜部が私の本の広告をしてくれているようなものだ』と上機嫌だったな。私自身の会社、滝野川不動産もやられた。私はそうした部門にいなかったけど、同僚が逮捕されてしまったなあ。
会社のために仕事として尽くして、捕まったらオマエが悪い、でおしまいだった。哀れなものだ。もし自分がその部門に配属されていたら、って思うと、ぞっとしたよ。なにせ新聞に写真まで出ちゃうんだから。ご家族はどうしかなあ。子どもは学校でいじめられたろうと思う。会社の大きな仕組みの片隅で株主総会の仕事に携わっていただけのことなのにね。そして、もう会社は面倒をみてくれない。」
「そうなるのね。」
三津野がティーカップをとりあげたところを見はからって、英子が、「私はあなたが滝野川不動産に入ったことも、そこでどんな仕事をしているのかも、いつも、ずっと、知っていたわ。」
と窓の外の丸ビルの方角をみやりながらつぶやいた。
「え?」
「不思議でもなんでもないでしょ。あなたと私は同じ高校を出ているの忘れたの。」
「あ、そうか」
「そう。そういうこと」
「ああ、最近は同窓会名簿に死去って出てくるようになった。ああ、あいつ死んじゃったんだと思うね」
「人はすべて死す」
「ボーヴォワールか。読んでないけどね」
「そうなの。私もどこかでフレーズを覚えただけ」
「サルトルの浮気に苦しんだと読んだことがある。」
「ええ、彼女は『多くの愛人を作り、別々のアパートに住み続けたサルトルが、ランズマン氏と同じようにボーボワールを肉体的に満足させたことが一度もなかった』なんて手紙に書いているらしいのよ。」
「へえ、そうなの。本は読んだことないけど、でもとっても綺麗な女性だね」
「綺麗、かあ。だけど、フェミニストの彼女には侮辱かもしれない」
「綺麗っていうの、変なの」
「いや、美人という表現じたいが女性を性の対象としてしか見ていないことを示しているって感じる人もいるってことじゃない」
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