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団塊の世代の物語(9)

Japan In-depth / 2024年10月15日 23時0分

「そう。どうして日本はそんな国のままでいたのかしらね。」





「それはアメリカとの戦争をしたことについて、日本人が自分の問題として反省しなかったからだろうと、僕は思っている。いまでも、反省していない、と。誰が日本をアメリカ相手の戦争に引っぱって行ったのか。誰が止めることができて、誰がそれをさせなかったのか。あの戦争は必然だったのか、そうではなかったのか。」





「ふーん、わかった。」





「それにしても牧本さんっていう方は『日はまた昇る半導体』っていう題の歌まで作ってらして、とっても面白い方だよね。





それを知ったとき、僕は本川達雄さんを思いだしたよ。」





「ああ、あの『ゾウの時間・ネズミの時間 』を書かれた方ね。それなら私も読んでる。」





「この歌を作って、それを自分で歌っているんだから、まあなんとも愉快な方だよね。」





「だから、その後の構造協議、つまり商習慣や流通構造などの国のあり方や文化にまで範囲を広げる交渉の強制が続いたけれど、こうしたことも歴史的な視野でながめないと必然性がわからない。構造協議っていうのはStructural Impediments Initiativeの和訳なんだぜ。正確に訳せば「構造障壁イニシアティブ(主導権)」とでもいうべき申し入れ、いや、指示、命令なんだよ。





構造協議のあとにはさらに範囲を広げての交渉が続いた。交渉と呼んでいるけど、アメリカの日本に対する要求、指示、命令の範囲の拡大というのが正しいんじゃないかな。





構造協議ってのは「日米包括経済協議」と名を変え、1994年からはじまる、「年次改革要望書」「日米経済調和対話」へと続いてゆく。際限のない敗戦国処理だな。財閥解体で始まって、ここまで来たってことだよ。」





「で、止まったの?」





「いや、それはない。でも、日本はその前提、与件のなかで生きていく道を探すしかないし、それが国を思う人間のやるべきことだと、僕は思っている。愚痴を言う暇があったら、少しでも石を積むのさ。きっとまた長い腕が伸びてきて叩き壊してしまう。でも、そこでまたせっせと積み始める。日本はそうやって生きていくのさ。





待てば海路の日和あり、っていうじゃないか。





鹿鳴館は華やかだったろうが、ダンスを楽しんだ日本人は一人もいないと思う。でも、ダンスをやる以上、興じて見せなくっちゃいけない。」





「それって、愉しくない。ダンスをしているのに?」





「いや、あなたの言うことに一抹の真理がある気がする。





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