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& Issue : 綿貫大介「あなたをあなたのまま、迎え入れる。尾道と『逆光』の日々」

NeoL / 2022年1月5日 17時0分

& Issue : 綿貫大介「あなたをあなたのまま、迎え入れる。尾道と『逆光』の日々」



近年、ピラミッド型の組織とは異なる、独立した個々が集まったフラットなコレクティヴ/コミュニティやその時折でメンバーが変わるアメーバ型の共同体が増加している。一つの価値観を通底させる軍隊型を原型とするピラミッド型では生まれえない、個々の価値観やアイデンティティを尊重することでアイデアや拡散力を発揮するフラットな共同体について、その発足から活動、メンバーの思いなどを伝えることで、様々な未来の形を想像させる「&特集」。第1弾では、編集者の綿貫大介が1月7日にアップリンク吉祥寺にて上映される映画『逆光』を観に訪れた尾道での日々とそこでの対話を綴ってくれた。




僕は東京という都市が好きだ。こんなにもビジーでカラフルでエンタメで無秩序で雑多で汚くて狼狽して実像のない恐ろしい場所に自分の意志で住んでいるんだから、相当好きってことになると思う(そこにしか夢はなかったよ、と14歳の僕は言うだろう)。


でも、2021年の夏はどうしてもそこにいたくはなかった。もちろんそれは大きなスポーツの祭典が理由としてあって、本当はここから一気に尾道の話をしていきたいのだけど、僕が尾道を語るにはもうちょっと前段がいる。


初夏から僕は「やさしさ」をテーマにした雑誌の特集号の制作に参加していた。雑誌は時代を写す鏡。ニュースを見れば心が荒むような出来事ばかりが起き、リアルなコミュニケーションが失われ、あまりに忙しない現在の暮らしのなかで「やさしさ」について向き合うというのはとても意味があることだと思う。これは「やさしさ」という目に見えないものが人や社会を豊かにしてきたことを再確認する作業でもあった。


その特集内で脚本家の渡辺あやさんにインタビューをする機会に恵まれた。とにかく刺激的な内容で、何度も膝を打つような話を聞かせていただいたのだが、特に印象的だったのが“自分たちがやりたかったのは主体的な振る舞い”であるという話。当たり前に大事なことなのだけど、実はコロナ禍において、僕自身、主体性の大切さを忘れかけていたように思う。メンタルヘルスを保つのに必死すぎて、自発的な行動がまったく全然できていなかったのだ。


あやさんはちょうど尾道が舞台の男女4人の群像劇・映画『逆光』の脚本を担当していて、それは「シネマ尾道」から公開されるらしい。映画のチームメンバーはその間に尾道にずっと滞在して宣伝・配給活動を行うということだった。東京から公開をするのではなく、映画を撮った舞台となる尾道から封切りするというのは、とてもピュアな配給の形だと思う。話を聞く限り、相当おもしろいことが尾道で起こる。取材したページが無事に校了した7月31日、僕はリュックにTシャツと下着・靴下、洗面具、パソコンだけ詰めて、尾道へ向かった。


ただ何もせずに留まっているだけが時代の正義ではないはず。行動に起こすからこそ、自分の主体性が久しぶりに輝きを増してきた瞬間だった。それに今はもうワクワクすることしかしたくなかった(ここでわざわざ注釈を入れたくないのだけど、PCR検査を受け、対策をして行動しています。広島県もPCR検査を積極的に行っていて、広島空港などでも無料検査キットを受け取れました。行動には責任には伴う、それも主体性のあるべき姿)。












着いてまずびっくりしたのが、以前のレトロな駅舎が建て替えられて新しくなっていたこと。どうやら2019年の春にリニューアルしたらしい。尾道という町にはどうしても昔ながらの風情みたいなものを求めてしまうけど、その土地の人にはその土地の人の、いろいろな思惑がきっとあるんだろう。オリンピックみたいに、賛成派、反対派、いろんな衝突はあったのかもしれない。それでも物事は新しい方へと推し進められていく。


瀬戸内エリアを周遊する拠点にふさわしい立派な佇まいへと変化した新しい駅舎を出れば、目の前には以前と変わらず、尾道と向島とを隔てる海「尾道水道」が広がっている。東京からの距離を思えばこそ、その景色の贅沢さに胸がチクっとした。


尾道駅北口から徒歩3分ほどの場所にある、築60年超の集合住宅を改装した「三軒家アパートメント」に行くと、監督・須藤蓮くんをはじめとした映画『逆光』チームと地元の人達が集まりイベントをしていた。約束していたわけではなく、何も言わずに勝手に行ったのだけど、みんな当たり前のように受け入れてくれるものだから逆にびっくりする。計画性ゼロすぎて泊まるところも決めていなかったけど『逆光』チームの宿泊拠点のゲストハウス「ヤドカーリ」に泊まっていいというので甘えさせてもらった。












『逆光』のチームはすでに尾道という町に溶け込んでいる。商店街を歩けばあちこちに映画のポスターが貼ってあり(地道にお願いして回ったらしい。ポスター遭遇率の高さは異常!)、歩けば挨拶できる間柄の人たちがたくさんいるといった感じ。商店街にあるリアカーで監督自らコーヒーを振る舞いながら交流する「フリーコーヒー」なるイベントも定期的に行われていて、この夏『逆光』は完全に尾道の風景の一部になっていた。そこは当然、お互いに信頼関係を築き上げてきたから成り立つ関係性が存在していると思う。


でも、どうやら信頼を築くのに、時間というものさしはあまり必要ないみたいだ。ある日突然やってきた見知らぬ僕に対しても、みんなやさしい。やさしいという言葉が正しいのかわからないけど、簡単に受け入れてくれている。それに人と人とを繋ぐことが好きな人が多いよう。いつのまにかいろんな人と仲良くなることができた。


この、新たな出会いから自分のキャパシティが勝手に広がっていくような感覚を、しばらく忘れていた。新しいことを始めるときの高揚感に似ている。知らないことを次々に受け入れるのがおもしろくなってきて、スポンジが水を吸うようになんでも吸収できてしまいそうだった。きっといろんなものを素直に一端受け入れる、引き受けるということが自然とできていたと思う。


そして尾道で出会ったコミュニティのみんなと接していくうちに、尾道の印象は変わってきた。昔ながらの坂の町、文学や映画、絵画の町。そう語られる通りの町だとずっと思っていたし、今まではそのノスタルジックな風情を求めてここに来ることが多かった。でもそれはこの町の本質ではなく、表層でしかなかった。


たしかに古い町並みをじっくり見渡してみると、実はここ近年で観光や暮らしの拠点となる新しいスポットが登場したり、空き家をリノベーションしたお店などが増えているのがわかる。昔ながらのよさを残しつつ、新しいものを受け入れる懐の深さ、新旧が共存し合うバランスのよさがこの町の心地よさだったのだ。きっと、昔からこの町はそうやって成長し続けてきているはず。だからこそ、ただ懐かしさやノスタルジーのみを土地に求めるのはきっと違う。ちゃんと時間と空間が織りなす文化の重層がこの町を支えている。







移住の人が多いという話も聞く。そうやっていろいろな人を受け入れる土壌がちゃんとあるということなんだろう。観光地だからということもあるし、これが港町の風通しのよさなのかもしれない。東京では痛いほど感じる「排除」という言葉も、ここでは潮風が吹き飛ばしてくれているみたいだった。反原発のパレード(「デモ」と言わないかわいさ、楽しさも詰まっている)もコツコツと行われてきていたようで、みんなが社会意識を共有しているところもいい。生活は政治に直結している。福島のことはもちろんだけど、このあたりであれば愛媛の伊方原発で事故が起こると、瀬戸内海の恵みや暮らしは根こそぎ失うことになるかもしれない。遠くの問題は自分に関係ない問題のままではいられない。東日本大震災を機に尾道に移住してきた人たちにとっては、こういう行動の一つひとつに勇気をもらったことだろう。


すべて寛容に受け止め、未来を見据える姿勢がある町だということは、実際に尾道の人たちと親しくならなければ感じれなかったことだった。人を引き寄せ、溶け込ませる力がある町なのだ。それに移住するとなると、どうしても「まちの活性化」や「定住→結婚→人口増加に貢献」といったプレッシャーがのしかかるけど、ここではその圧もあまり感じなさそうだった。町を背負ってもいいし、背負わなくてもいい。個々が一人の人として立ちながら共存することを許容していて、各自が自分のままで走れる気楽さをつくり出している。













ここでの生活を改めて振り返ると、滞在中は「対話」ということが自然とできていたように思う。『逆光』チームもそれは大切にしていた部分で、対話を行う「Dialogue」というイベントを広島と尾道で実施していた。他者の言葉を傾聴しながら、自分の言葉を伝える「対話」という行為。会話と何が違うの?と思う人もいるかもしれないけど、僕にとって対話は、会話のように弾ませるものでも上っ面で成立するものでもなく、信頼関係を築くためのコミュニケーションだと思っている。立場や格差、国籍、性別などを超えて、個人が主体性を持ち、お互いの思いを伝え合うのが「対話」だ。尾道で出会ったみんなとは、映画のイベントだけでなく、いつものやり取りで自然と「対話」ができていたような気がしている。


それはつまり、ここではみんなと信頼関係というベースができていたということ。「人それぞれ価値観は異なる」という前提に立った上で、相手を真っ向から否定するのではなく、お互いを尊重し合い話し合うことで新しい答えを導き出すようなことを毎日尾道ではしていたような気がする。


エンタメでもなんでもない「対話」が印象に残っているということは、普段自分がそういう生活から遠いところで生きているということなんだろう。もちろん、日常生活のとりとめのないおしゃべり、ファミレスの雑談なんかも大好きだけど、話すことすべてがいちいち「信頼」ということに直結する機会は実は少ない。しかもビジネス界隈がもてはやす「意識の高さ」からなる「対話」とはまったく違う。尾道でしてきたのは、もっと当たり前の、泥臭い人間らしさから自然と湧き出てしまうコミュニケーションだった。だからこそ、ここでは「肩書」を武器にする必要がなかったし、人間力が鍛えられた。


真夜中にオープンする古本屋「弐拾dB」や、やさしいきっ“ちゃ”てん「きっちゃ初」に行けば誰かしらいて、そこでしか生まれないおだやかなコミュニケーションがいくつもあった。悩みを相談したり、笑い話をしたり。その一つひとつが、じんわりと心を温めほぐしてくれた。「おかえり」という言葉をかけられたときには、「ただいま」って言わせてくれた……!!と思って泣きそうになったこともある。「おかえり」はただの挨拶ではなく「あなたを待っていたよ」という意味に聞こえたし、それは僕にとって「あなたをあなたのまま、迎え入れるよ」ということと同義だった。







数日の間、瀬戸内周辺を移動して帰ろう思っていたのに、気づいたら約1ヶ月も尾道に居着いてしまった。映画との出会いで飛び込んで、宣伝・配給活動を勝手に手伝いながら過ごした夏。素通りするにはもったいない町だとは思っていたけど、まさかここまで根付くとは。といっても、僕はあくまで短期間いただけで、それは尾道の悪いところまでを見つけられる日数では決してない。それに旅人の贔屓目もあるだろうから、実際に住む人にとっては生きづらい部分もたくさんあるだろう。でも、利害関係以外でみんなとつながっていられたと思えたのは事実だ。



主体性を持って行動すれば、ちゃんとすばらしい景色と出会える。どんなところにも行けるし、どんな人とも仲良くなれるし、何にでもなれる。そのことはどんなに情勢下でも忘れないようにしたい。2021年の夏は特別すぎて、月9みたいにキラキラしてた。でもこれは、ただの思い出話なんかではない。だってまたみんなに「おかえり」と言ってもらわなきゃいけないんだから。僕はいつだって未来の話をしていたいと思っている。はやくまた「ただいま」って言わなくちゃ。


追伸、映画『逆光』は東京公開をついにスタート。あの夏、尾道で感じた熱量がそのまま東京に立ち上がってきているように感じます。主体的な行動をしている人の近くにいる人もまた、主体的であろうとする。そんな素敵な場面を僕は尾道で何度も目撃してきました。映画を観た人がどんどん熱量をまとっていくことで、「東京の冬」があのアツくて最高だった「尾道の夏」に変わるといいな。










text Daisuke Watanuki(TW / IG)








映画『逆光』
1970年代、真夏の尾道。22歳の晃は大学の先輩である吉岡を連れて帰郷する。晃は好意を抱く吉岡のために実家を提供し、夏休みを共に過ごそうと提案したのだった。先輩を退屈させないために、晃は女の子を誘って遊びに出かけることを思いつく。幼なじみの文江に誰か暇な女子を見つけてくれと依頼して、少し変わった性格のみーこが加わり、4人でつるむようになる。やがて吉岡は、みーこへのまなざしを熱くしていき、晃を悩ませるようになるが……。
キャスト:須藤蓮、中崎敏、富山えり子、木越明ほか
監督:須藤蓮
脚本:渡辺あや
音楽:大友良英
https://gyakkofilm.com/
渋谷ユーロスペースで公開中、1月7日(金)よりアップリンク吉祥寺で公開


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https://www.neol.jp/movie-2/

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