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「国民であっても日本人ではない」という帰化人のアイデンティティーの葛藤

ニューズウィーク日本版 / 2019年9月12日 18時30分

<日本とは違う民族的ルーツをもつ新しい日本人である「帰化人」を、日本社会は受け入れる心構えがない>

24年以上の歳月にわたって、異国の地で暮らすとはどのようなものなのか。毎日毎日、朝起きて、その国の言語で暮らし、その社会の問題を考え、そして向き合い、知識や技術を身に付け、時には、そよ風の中で公園を散歩し、テレビを見て笑い、積極的に社会参加をするなど、その国の一員だと自覚させられる全てをすることだ。

しかし時折、現実は揺るぎない真実を突き付けてくる。それはあなたがこの国の人たちの一員ではないこと、そして彼らも、あなたを彼らの一員とは認めていないということだ。たとえ、その国の国籍を取ったとしても。これは遠い国の話ではない。現代日本の帰化人の話である。

帰化人とは、日本国籍取得者のこと。行政手続きなどの場合、正式には「帰化者」という。これはあまり聞こえのいい言葉であるように思わないのだが、数年前に自分も帰化人の1人になった。そもそも古い日本語では、「帰化」という言葉は国家の秩序に従い「君主」のもとに服して従う、という意味合いを持つため、帰化を通して国籍取得をすることは心理面また意味上少しマイナスのニュアンスがあるように思われる。「日本国籍取得者もしくは日本国籍所有者」などのような言い方をなぜ使わないのだろうか。

私が日本国籍を取得してから何年も経つが、仕事で外国に行くと、行く先々の空港で多くの人が驚きと困惑の表情で私に尋ねる。「その外見でどうして日本人なの?」

私はいつもこう答える。「この外見で日本人だと何か問題でも?!」

私は、自分の中に日本人が存在しているという自己満足と、その存在に対する他者からの否定との間にいる自分に気付く。さまざまな場でこれが繰り返されるので、あるとき「ハーフです」と答えることにしてみた。すると相手の反応は変わり、異文化間の融合を褒め称え、ある意味特異なこの変種の誕生を歓迎する。

「ハーフ」と言ったら嘘になるが、今年で私は来日して25年であり、人生の半分以上を日本で過ごしたことになる。何と言われようと、過ぎた年月は「半分日本」になったのだ。

教壇という、アラブ人としてのアイデンティティと日本文化をつなぐものを得た今、私は自分がその双方から等距離のところにいると感じる。だが皮肉なことに、日本からもアラブからも、よそ者と見なされるのだ! 



近年、日本の国籍を取得することに関心を示す外国人が増えているようで、法務省が公開している2018年までの累計データでは、55万9789人に達している(帰化が認められた者の約8割を常に占めているのが韓国・中国の人たちである)。数年前までには、帰化後の氏名は日本的氏名を採択しなくてはならないことや、世帯主が帰化申請をしなければ個人で帰化できない状況が長く続いていた。だが今では、日本的氏名の強制もなくなり、帰化行政の許可基準はグローバル化の波や少子高齢化問題の影響なのか、以前に比べて大分緩和されつつあるのも事実である。

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