旧西ドイツの炭鉱へ渡った日本人 【舟越美夏×リアルワールド】
OVO [オーヴォ] / 2024年3月31日 8時0分
会ってみたいと強く思っていると、その日はやってくるものだ。久しぶりにそんなことを感じた出来事があった。故郷の福岡県筑豊地方でのことである。
筑豊はかつて日本を支えた一大産炭地。国のエネルギー政策の転換で廃れ、荒廃した町から私は十代で出たのだが、何の因果かまた住むことになった。意外にも故郷は新鮮で、複数の「石炭記念館」を見学しているうちに、日本が「後進国」だった時代に国の派遣事業で旧西ドイツの炭鉱に渡り、そのまま帰国しなかった青年たちがいたと知った。彼らの人生を知りたいと思ったが、つてがなかった。
ところが2月初旬、隣町の石炭記念館に立ち寄ったことがきっかけで、一時帰国していた〝青年〟の1人に偶然、会えたのだ。執行龍美(しぎょう・たつみ)さん(83)。彼がドイツに戻る前日で、私には幸運だった。
1955年、15歳で「貝島炭鉱」に技術者として入社した。貝島は、筑豊3大炭鉱の一つで私が生まれ育った町にあった。5年後、技術研修を名目とする西ドイツ派遣事業の第3陣に選ばれ、全国から集まった60人の青年とともにチャーター機に乗った。
この派遣事業については、法政大学の森広正教授が1990年代に詳しく調査していた。日本は明治以来、北米や中南米、満州などへ移民を送り出した「労働力輸出国」だったが、57年に日独2国間の協定で始まった派遣事業は、「3年の期限付き」という点で極めて特殊だという。
しかし両国間には思惑の違いがあった。西ドイツは「不足する労働力の補充」が目的。派遣第1陣の59人は、東京大学出身者ら高学歴の青年たちが多く、厳しい坑内作業に不満の声が上がったという。執行さんは当時20歳。「研修ではなく出稼ぎ」という声も耳にしたが、新たな世界への好奇心が勝った。
派遣された炭鉱に着いてみると、貝島炭鉱よりも設備が古く驚いた。だが、学んだことは多かった。道具は直しながら徹底的に使い、外国人でも実力があれば昇進を認める。ホームパーティーに気軽に招待してくれるなど人間関係を大事にする――。
ドイツ残留を決めたのは、派遣期限の3年を前に、貝島炭鉱から「退職してほしい」と連絡が来たからだった。国の政策転換で、炭鉱の経営は苦しかった。執行さんはホームパーティーで知り合ったドイツ人女性と結婚。地底2千メートルでの仕事も請け負い、50代前半で退職した。日々の記録はドイツ語で書き留めたという。
派遣事業に選ばれた430人余りのうち、残留したのは約30人。中には炭鉱事故やじん肺で死亡した人もいる。「ドイツの炭鉱で力を尽くした日本人がいたことを、今の人たちに知ってほしい」
執行さんは現在、日本円で月々50万円ほどの年金を受け取っている。妻を20年前に亡くしたが、大好きなクルーズ旅行を毎年楽しんでいる。
あっという間に2時間が過ぎ、執行さんは次の約束の場所に向かった。ドイツの執行さんに会いに行こう。世界遺産に指定されているドイツの炭鉱遺跡群も見てみたい。
【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 13からの転載】
舟越美夏(ふなこし・みか)/1989年上智大学ロシア語学科卒。元共同通信社記者。アジアや旧ソ連、アフリカ、中東などを舞台に、紛争の犠牲者のほか、加害者や傍観者にも焦点を当てた記事を書いている。
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