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伊勢神宮が「パワースポットの鑑」となったワケ

プレジデントオンライン / 2020年1月6日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SeanPavonePhoto

伊勢神宮が多くの人を引き付ける理由は何か。ノンフィクション作家の髙橋秀実氏は「女神の聖地であり、内宮と外宮に分かれることが巡りの元始となり、巡りのパワーが次々と観光スポットを生み出していく。やはり伊勢はパワースポットの鑑だ」という――。

※本稿は、髙橋秀実『パワースポットはここですね』(新潮社)を再編集したものです。

■全国8万社の頂点、伊勢神宮を巡る

午前5時。伊勢市駅から徒歩5分ほどにある外宮の前に私は到着した。参拝は本来「まず内宮を第一としなければならない」(櫻井勝之進著『伊勢神宮〔第三版〕』学生社 2013年)はずだが、なぜか鎌倉時代から外宮が先ということになったらしく、今も「外宮から内宮の順にお参りするのがならわしです」(伊勢神宮HP)と継承されているので、私もそれに従った。

この時期(5月~8月)の参拝時間は午前5時から午後7時まで。せっかくの機会なので一番乗りを目指したのである。

「どうぞお入りください」

制服姿の衛士に声をかけられ、私は橋(表参道火除橋)のたもとに進んだ。橋の脇には「下乘」の看板。馬から下りよ、ということでここから「神域」なのだ。

一礼して橋を渡ると、左手に手水舎(てみずしゃ)。柄杓で水をすくって手を清め、口をすすぐ。薄暗い中、水音が響いて静寂に包まれる。正面には森への入口というような佇まいの鳥居。一礼してくぐると、砂利が敷き詰められた参道が続く。ザッザッザッと踏みしめる音が森にこだまするかのようである。

■全方位に一礼、拍手で手が痛む

しばらく進むとまた鳥居が現われ、再び一礼。神楽殿を横に眺めながら、豊受大神宮御正宮の前に辿り着いた。脇に立つ衛士に「おはようございます」と挨拶し、鳥居(板垣南御門)に一礼。中に入ると、正面には白い帷(とばり)が垂れている。

その奥にある御正殿がうっすらと見えるようで、その気配に二礼二拍手一礼。退去しようとすると脇に小屋(宿衛屋)があり、覗くと中に神職が座っている。驚いて一礼。さっきの衛士にも一礼し、振り返って鳥居にも一礼。何やら全方位に一礼するようで、私は後から来る参拝者たちにも礼をした。

中には「これはこれは」とわざわざ足を止めて深々と礼を返す人もいて、礼に対してもう一回礼。それを見た人にも礼をされてまた一礼。まるで法要の席のようで神にも人にも畏まってしまうのである。

神域には他にも風宮(かぜのみや)、多賀宮(たかのみや)、土宮(つちのみや)などの別宮と下御井神社(しものみいのじんじゃ)がある。まず風宮に参って二礼二拍手一礼。親戚回りと同じで、風宮だけを参るのは失礼に思え、結局私はすべての宮を巡ってそれぞれに二礼二拍手一礼した。

■「俺」のせいで人垣ができる

これだけ叩くとまことに畏れながら手が痛い。さらに徹夜明けのせいか頭がふらふらする。神域を浮遊するような足取りで正宮の前に戻ると、若いカップルが大木の下で地面に手をかざしていた。

——それは何なんでしょうか?

私がたずねると、女性が爽やかな笑顔で即答した。

「パワースポットです」

——パワースポット?

注連縄で囲まれた中には3つの石。正式には「川原祓所(かわらのはらいしょ)」と呼ばれるお祓いの場所らしいのだが、いつの間にかパワーをもらえるパワースポットになっていたのだ。

——手をかざすと……。

「巫女も見えるらしいんです」

——マジっすか?

私が驚くと、彼女は素早くスマホで検索し、指を走らせながらそれ以外の効能も教えてくれた。早速、私も手をかざしてみたのだが、特に何も感じない。

感じないので目をつむったりしていると、参道を歩く人々が近づいてきて「何ですか?」と私に訊く。「なんか、パワースポットみたいです」と答えると、彼らも次々と手をかざし、たちまち焚き火を囲むような人垣ができたのである。パワーは正式な祈祷と違ってタダでもらえる。もらえるものはもらわないと損するということか。

俺のせい?

■手をかざせばそこがパワースポット

恐縮してその場を立ち去ろうとすると、その先の場所にも手かざしをする女性たちがいた。白砂利が敷き詰められているので、私が「それは何ですか?」とたずねると、「パワースポットです。こうしているとあったかいんです」。

私が首を傾げると「敏感な人ならわかるはずです」と注意された。後で聞いたことだが、そこは多賀宮の遙拝所。多賀宮まで歩いていけない人がお参りする場所だった。

勧められるままに私も手をかざす。しばらくその姿勢でじっとしていると、本当に掌がほんのりとあたたかくなった。おそらく手の甲が風除けとなり、掌の内側の空気をあたたかく感じるのだろう。どこでやってもそうなるわけで、手をかざせばそこはパワースポット。手かざしは人を呼び込むパワーも生み出すのだ。

「すみませーん」

最初にたずねた女性がスマホ片手に駆け寄ってきた。そして画面を私に見せて「ここは穢れをとる場所でした」と解説し、こう続けた。

「参拝の前に清めるべきでした。やっぱりちゃんと清めてから正宮に行かないとダメですよね」

どうやら彼女は参拝し直すらしい。「清め」を知ることで自分の穢れに気づく。清めの場所は穢れも生む。清めるから穢れ、穢れるから清める。神社にはこの巡りが内包されており、だから神社を巡ることになるのだろう。

■遠すぎる内宮

外宮を出て内宮に向かう。衛士から「早足なら30分です」と教えられたのだが、それはとても無理だった。内宮への道は参道ではなく、普通の道路。大型トラックも走り、沿道にはピザーラや牛丼チェーンの店も並んでいる。

さらにはアップダウンもあって龍脈としてもかなり荒れている。せっかく外宮で清めたのに汗が吹き出し、歩きながら「果たして同じ神宮といえるのか」という疑問さえわいてきた。

1時間以上かけて、ようやく内宮前の「おはらい町通り」に到着。早朝参拝の予定がすでに9時を過ぎており、通りの一角にある「おかげ横丁」も縁日のようなにぎわいだった。

土産物屋や名物伊勢うどんの店、組紐など伝統工芸の店もある。昔懐かしい射的や屋台も出ており、合計63軒。ここは「江戸時代のおかげ参りの頃の伊勢の様子を再現した町」(パンフレット)なのだそうだ。

「この横丁ができたのは平成5年。それまでは寂れた町だったんです」

しみじみと述懐するのは、おかげ横丁広報担当の濱口泰弘さん。参拝者たちは観光バスで鳥羽など別の観光地へ行ってしまう。なんとか引き留めるべく、「おかげ参り」の精神に立ち返って町づくりをしたらしい。

「伊勢神宮周辺に暮らす私たちは『神領民』と呼ばれていました。お参りする方々に無料でおにぎりを配ったり、草鞋を提供したり。あつくもてなすことが伊勢神宮の神様に伝わって、徳が受けられるという信仰心があったんです。旅する方々もそのおかげでお参りすることができた。だから『おかげ参り』なんです」

■お願いではなく感謝をする場所

おかげさまで伊勢参り。旅人は神領民のおかげでお参りができ、神領民も旅人のおかげで徳を積めて生活もできる。おかげの元は伊勢神宮。神様のおかげということなのである。

「犬もお伊勢参りしていたそうです」

続ける濱口さん。

——犬が、ですか?

「家の主人が病気でお参りできなくなり、犬が代参したそうなんです。当時、伊勢参りをする人は必ず柄杓を身につけていました。柄杓が伊勢参りの印。そこで犬に柄杓とお金の包みをぶら下げて送り出したところ、それを目にした人々が費用を受け取りながら一緒に連れていってくれたという話もあるんです」

こうしたエピソードは江戸時代の『御蔭參宮文政神異記』などにも記録されている。伊勢参りをしようとすると、空から破魔矢や御札が降ってきたという超常現象も綴られているが、多くは人の善意の話。

阿波国(徳島県)の8歳の子供が道行く老人を頼りに伊勢参りをした、道中でお金を盗まれても宿の主人が貸してくれたり、お金がなくても船に乗せてくれた、伊勢参りを申し出た妻と夫婦喧嘩になり、夫が殴りかかろうとすると手が動かなくなり、やむなく伊勢参りに送り出すと、手が再び動くようになった等々。江戸時代に大ブームとなった「おかげ参り」は、神様というより「おかげさま」の御神徳のようなのである。

——濱口さんも伊勢神宮にお参りをするんですか?

不躾ながらそうたずねると、彼はこう答えた。「祈願は地元の氏神様です。願い事は地元の宇治神社なんです」

■天皇も「おかげさま」を拝む

——となると伊勢神宮は……。

「全国のお願い事は各地の神社を通じて伊勢神宮に集まるわけです。それで願いが叶った時に伊勢神宮にお参りする。おかげさまで願いが叶いました、と感謝を伝えるんです。いってみれば『御礼参り』ですね」

かつて「私幣禁断」という決まりがあったように、内宮は祈願の場所ではない。お願いではなく感謝する。ちなみに天照大御神は皇室の先祖とされるが、先述の櫻井勝之進さんはこう記していた。

天皇さまはご自分の権威というもの、神という資格というものは自分ひとりで得たものではない。これは先祖代々のお蔭である、というので、その大元を大御神と申し上げるわけです。(櫻井勝之進著『神道を学びなおす』神社新報社 2005年)

天皇が天皇であるのは「尊い始源があってのお蔭」。天皇も「おかげさま」を拝むくらいで、私たち日本人は「おかげさま」のおかげで生きているのだ。

おかげさまでここまで来れました。

そうつぶやいて内宮の鳥居で一礼。そして「俗界と聖界との境」(『お伊勢まいり』神宮司庁編 伊勢神宮崇敬会 2017年)とされる宇治橋を渡る。眼下にはゆったり流れる五十鈴川。外宮と違ってこちらはとても開放的な空気だ。

橋を渡ると広大な庭園(神苑)。芝生が広がり、随所に這い松。天照大御神は「日神(ひのかみ)」(『日本書紀』)とも呼ばれており、それゆえ太陽光もまぶしいのだろうか。

■睡魔に襲われ、立ち止まる

神苑を抜けて参道を進み、五十鈴川の御手洗場へ。川の水をすくって手を洗い、口をすすぐ。こうすると「神気がおのずから身の内に満ちてくるようなすがすがしさを覚える」(前出『お伊勢まいり』)とのことだったが、私は川底に沈んでいるたくさんの1円玉に目を奪われた。おそらくここで賽銭をする人が多いのだろう。

内宮は参道も広かった。広さに圧迫されるようで、歩いてもなかなか前に進まないような気がする。人々に次々と抜かれ、じわじわと睡魔にも襲われ、しまいに私は立ち止まった。

おかげさまか……。

太陽、そして植物のおかげで私は生きている。さらにはご先祖様、両親、親戚のおじさん、おばさん、妻、友人、知人、その他、縁のある人々……。おかげさまを考え始めると、とりとめがなく、感謝するなら直接本人に伝えるべきではないか。進まない足取りが思考を導くようで、この先で一括して感謝するのは横着ではないか、という疑念さえ浮かんできたのである。

ゆるやかに参道が曲がり、皇大神宮御正宮の前に到着。正宮は、木の塀で囲まれた古民家のようだった。前に並ぶ人々に続いて階段を上り、鳥居で一礼して中に入る。正面には外宮と同じく白い帷。二礼二拍手一礼して、ふとこう思った。
お留守かな?

■神様はお留守?

天照大御神は留守のような気がしたのである。ちなみに「留守」とは「家人が外出した時、その家を守ること。また、その人」(『日本国語大辞典』小学館 1976年)。家は守られ、守っている人もたくさんいるが、ご本人は不在。

かつて林羅山は神体が「ない」から神は「いる」と言っていた。いないからいるということだが、人がたくさん「いる」と「いない」ような気がする。人が「いる」ことで気配は立ち去ってしまうようなのである。

ならばどこに?

帰り道を歩きながら私は考えた。どこということもなく遍在しているのか。神道でいう「隠身(こもりみ)」だとすると居留守なのか。留守ということはもう一度出直せと暗示しているのか、などと考えを巡らせているうちに、なぜかこう思った。

お姉ちゃんのことか。

突然、生後間もなく死んだ姉のことを思い出したのである。私が生まれる前のことなので、私は姉を見ていない。天照大御神も生まれるとすぐに天上界に行ったし、暴れん坊の弟、素戔嗚尊(すさのおのみこと)にずっと手を焼いていた。

弟とは私のことで、姉は今も天上界で見守ってくれているのではないか。そういえば姉も美人だったと聞かされている。しかし母が見たわけではなく、産後のショックから母を守るために父がそう言っただけで、これもひとつの言い伝えだった。

見えない「おかげさま」ということか。見えないからこそ身の内から沁みわたる。沁みわたって私はあたたかいチカラに満たされたのである。

■「そこじゃなくてここ」「ここじゃなくてそこ」

内宮の鳥居に深々と頭を下げ、私は神宮を後にした。そして鳥居前でタクシーに乗る。ホテルのある外宮近くまではとても歩けないのだ。運転手に「おかげさまで無事お参りできました」と告げると、彼は「二見興玉(ふたみおきたま)神社も行かれましたよね?」と私に問うた。

——二見? 行ってませんが……。

「そこ、行かないと」。彼はなぜか厳しい口調。

——なんで、ですか?

「倭姫命と天照大御神が鎮座する場所を探していた時、最初に『ここだ』と言ったのは二見浦ですよ」

——そうなんですか?

「二見浦にはすでに興玉神社があったから、やむなく今の内宮になったんです」

どうやら地元では、本当の「ここ」は二見浦だと解釈されているらしい。確かに巡行の記録『倭姫命世記』には二見浦に立ち寄ったという記述がある。彼によると、伊勢神宮の正しい参拝は、まず二見興玉神社で身を清め、それから外宮、内宮に参って最後に二見興玉神社で帰路の無事を祈願するというコース。

「そうだったんですか」と私は驚き、そのまま二見浦まで走ってもらった。実に美しい海岸で有名な夫婦岩もあり、確かに「ここ」と言っていたような気もする。本当は二見浦を「ここ」だと言ったのに、すでに神社があったから変更になった。整理すると「そこじゃなくてここ」だと思ったが、「ここじゃなくてそこ」になったということなのである。

■伊勢はパワースポットの鑑

私は神社に参拝し、再び別のタクシーに。すると今度の運転手は私にこう問うた。

「金剛證寺には行かれました?」

——いや、行ってません。

「伊勢神宮の鬼門を守っている寺です。そこに行かないと片参りになります」

髙橋秀実『パワースポットはここですね』(新潮社)

またしても「そこ」か。伊勢音頭でもそう歌われているらしく、おかげで私はもう一度最初から巡らなければいけないような気がしてきた。

聞けば聞くほど巡らされる伊勢参り。内宮と外宮に分かれることが巡りの元始となり、巡りのパワーが次々と観光スポットを生み出していく。まるで渦を描くようで、めくるめくパワースポット。やはり伊勢はパワースポットの鑑なのである。

旅を終え、私は自宅に帰り、妻との日常生活に戻った。あらためて思うに、日常生活も「おかげさま」の賜物で神々しい。

「人々日用(にちよう)の間にありて、一事として神道あらずと云事なし」(度会延佳著「陽復記」/『近世神道論 前期国学 日本思想大系39』岩波書店 1972年)といわれているし、そもそも「日常」とは、

太陽はいつも同じで変わることがない。(『角川大字源』角川書店 1992年)

という日神信仰なのだ。太陽はひとつ。「ここじゃなくてそこ」と動いているようにも見えるが、きちんと向き合って「ここ」と唱えれば、まさにここがパワースポットである。

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髙橋 秀実(たかはし・ひでみね)
ノンフィクション作家
1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社を経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノ スポーツライター賞優秀賞を受賞。その他の著書に『TOKYO外国人裁判』『ゴングまであと30秒』『にせニッポン人探訪記』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『トラウマの国 ニッポン』『はい、泳げません』『趣味は何ですか?』『おすもうさん』『結論はまた来週』『男は邪魔! 「性差」をめぐる探究』『損したくないニッポン人』『不明解日本語辞典』『やせれば美人』『人生はマナーでできている』『日本男子♂余れるところ』『定年入門 イキイキしなくちゃダメですか』『悩む人 人生相談のフィロソフィー』など。

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(ノンフィクション作家 髙橋 秀実)

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