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スタバでMacを広げる人の残念すぎる仕事効率

プレジデントオンライン / 2020年1月14日 9時15分

Getty Images=写真

なぜ、意識高い系はスタバで「MacBook」を広げたがるのか。あえて、あそこで仕事をする意味はあるのか。本当に効率的なのか。なぜ、彼らをみているとイライラしてくるのか。「プレジデント」(2020年1月31日号)の特集「すぐにやる人、グズな人」より、記事の一部をお届けします――。

■そもそもスタバで仕事はしやすくない

米シアトル発のスターバックスは、「そこそこの高級感」「店内の清潔さや快適性」「そこまで高くはないが安くもない絶妙な料金設定でうまい珈琲を出す」という主に3つの理由で、もはや社会主義国にまで浸透した世界的チェーン店であることは論を俟たない。筆者も、海外旅行をするたびにその国の首都や主要都市には、その発展度合いの高低を問わず必ずスターバックスの店舗を見つける。

ターゲット層はいずれも中産階級以上で、店内の造りはどの国でもほとんど変わらない。特に酒を公然と飲むことがないイスラーム教国では、酒の代わりに煙草と珈琲が重宝されるので、スタバが怒濤の出店攻勢をかけている。代表的なのはマレーシアとインドネシア。マレーシアにはすでに250店舗のスタバがあり、同国では更なる展開を想定している。

同様に世界最大のイスラーム人口を誇るインドネシアには、300店舗以上のスタバがあり、こちらも破竹の勢いで拡大中である。現在日本には約1500店のスタバがあるが、こういった大人口国での躍進から、いずれ店舗数で追い抜かれるのは自明であろう。

しかしながら、このような「国際共通規格」たる世界各国のスタバと、日本のスタバには、決定的な違いがある。店内にいる客が、座席でマックブックをこれ見よがしに広げて「作業・仕事」にいそしんでいる光景があるかないかが、決定的な差異である。筆者は、韓国によく行くが、ソウルには本当に至る所にスタバがある。韓国内でのスタバ店舗数は1000を超えるが、国の人口が日本の半分以下なのだから、その密度は日本よりも濃い。

■スタバは何かの「作業・仕事」をする場所ではない

しかしソウルのスタバでは、日本のようにマックブックをこれ見よがしに広げて「作業・仕事」にいそしんでいる人間など、私は見たことがない。基本的に店の雰囲気を楽しみながら友人同士で会話し、まったり珈琲を飲む、という様態が普通で、せいぜいがスマホをいじっていたり、静かに音楽を聴いていたり、などである。まかり間違ってもスタバは何かの「作業・仕事」をする場所ではない。

そもそも、そういうふうに店舗が設計されていない。にもかかわらず、日本ではなぜかスタバが「作業・仕事」の空間として位置づけられ、一人客がひけらかすようにマックブックを広げてWi-Fiに繋ぎ、何かを必死に打ち込んだり凝視したりしている。こんな異様なスタバの光景を見るのは世界広しといえども日本だけではないか。

このような日本特異のスタバ利用形態が生まれたのはなぜか。それは「ノマドワーカー」を2010年ごろ、先駆的に提唱した実業家・安藤美冬の存在が大きい。「ノマド」とは遊牧民を意味し、安藤はメディアや著書で「遊牧民のように、固定されたオフィスで仕事をするのではなく、カフェなどで自由に行うワークスタイル」を新しい働き方、として喧伝した。

これが一部の、都市部に住む「準」IT系フリーランスや「準」頭脳労働者に爆発的に浸透した。スタバでマックブックをこれ見よがしに広げて「作業・仕事」にいそしんでいる光景の源流は、間違いなく安藤の提唱したノマドワーカーである。しかし安藤のノマド関連の著書を読むと、何のことはない、「出先で仕事をする人」を単にノマドワーカーという当世時流の横文字に置き換えただけで特段新しい仕事の仕方ではない。

■“意識高い系”は見栄と虚栄心の塊

原田眞人監督の映画『クライマーズ・ハイ』で、汗だくで泥まみれになった新聞記者が航空機事故現場から予備原稿を、本社に電話して一文字ずつ発声して送信する場面がある。映画の舞台は1980年代なので、Wi-Fiは存在せず、家庭用ファクスも未普及だったから、情報を伝達するのは原稿を直接電話口で読み上げるしかない。要するにこれこそ「出先で仕事をする人」=ノマドそのものである。が、安藤の言うノマドは、汗臭い新聞記者の出先での仕事を指すのではない。

あくまで東京都内の、空調の効いたカフェ=スタバで、そして洗練されたスタイルで、いかに颯爽とマックブックを操作するか、それこそが要諦とされている。つまり、安藤の言うノマドワーカーとは、その作業・仕事の中身というよりも、外形的なものがすべてであり、逆説的に言えばスタバでマックブックを広げて何かやってさえいれば、それはノマドと定義される。

よって安藤のノマドに影響されてスタバを第一等の「ノマドワーキングスペース」と信じている多くの人々は、作業効率というものはまったく関係がない。だって何しろ「何でもいいからスタバでマックブックを広げていじっている」外形こそが重要なのだからである。ここにある種の強烈な自意識が介入する。

スタバという、ちょっと高級で、おしゃれな空間で、時代の最先端機器であるところのマックブックを広げて仕事をしている私、俺ってなんて都市的で洗練されているのだろう――。まさにこういった、中途半端な連中(これを筆者は意識高い系と定義する)の自意識をくすぐるのがノマドだ。

単に「出先で仕事をする人」という、IT化以前から存在した普遍的な労働の形態をわざわざノマドと言い換えると、一等自意識を付与された人々の終着点となる。つまり見栄、虚栄心の進化系である。見栄や虚栄心は、生産効率を著しく下げる。過剰な梱包や過接客、豪壮な内外装へのこだわりが商品原価を増大させ、純利益を圧迫する構造と似ている。仕事効率を高めるのと、スタバでマックブックを広げて作業をするのには何ら有意な相関関係はない。

繰り返すように、スタバはそもそも、「作業や仕事」をするための構造を有していないからである。スタバは珈琲店として出発して世界に拡大したのであって、仕事場所としてその地位を確立したのではない。当たり前のことだが、オフィスで作業するほうがすべてにおいて効率がいい。スタバにWi-Fiは飛んでいるかもしれないが、複合コピー機や会議室はない。

■言葉の置き換えは、事実を遮蔽する

最近、何でもかんでも横文字にして事の本質をぼかし、中途半端な連中の自意識をくすぐる「商法」が流行している。ちょっと前まで、「出前」と言っていたのを、ケータリングと呼ぶようになった。最近ではそれも廃れて「ウーバーイーツ」なる業態が出てきたが、一言「出前サービス」でいい。「ただの水」をチェイサーと言ったり、「甘味」をスイーツというのも気味が悪い。言葉の置き換えは、事実を遮蔽するのに便利だ。

そして中身はないが見栄と虚栄心だけは旺盛な意識高い系の連中は、こぞってこの呼び方に群がる。「スタバでマックブックを広げて仕事をする人」を、「喫茶店で缶詰めになっている人」と事実をそのまま提示すれば、皆バツが悪くなってオフィスに帰るだろう。(文中敬称略)

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古谷 経衡(ふるや・つねひら)
文筆家
1982年、札幌市生まれ。立命館大学文学部卒。保守派論客として各紙誌に寄稿するほか、テレビ・ラジオなどでもコメンテーターを務める。オタク文化にも精通する。著書に『「意識高い系」の研究』( 文春新書)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)など。

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(文筆家 古谷 経衡)

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