「産まない女性には存在価値がない」NYに存在するユダヤ教コミュニティの異様さ
プレジデントオンライン / 2021年4月2日 9時15分
■幼い息子を連れ、生まれ育ったコミュニティと決別した
【訳者解説】
2009年秋、23歳のデボラ・フェルドマンは、ニューヨークにある超正統派(ウルトラ・オーソドックス)ユダヤ教コミュニティと決別した。幼い息子とわずかな持ち物だけを車に乗せて。
本書は、自由を求めて闘う彼女のアンオーソドックスな半生を綴(つづ)った圧巻の回想録である。
ユダヤ教には、トーラー(律法、旧約聖書においてもっとも重要とされるモーセ五書)の定める613の戒律があり、日常生活全般にわたる規範と指針になっている。宗派は改革派、保守派、正統派に大別され、正統派のなかでもとくに厳密に戒律を守る人々は超正統派と呼ばれる。
1986年、デボラはブルックリン、ウィリアムズバーグにある超正統派(ハシド派)のひとつ、サトマール派のコミュニティに生まれた。ホロコーストを生き延び、ハンガリーから移り住んだ人々の町だ。
物心ついたときから、デボラは心に空白を抱えていた。幼いころにイギリス出身の母はコミュニティを抜け、父には子供を育てる能力がなかったため、デボラは年老いた祖父母に引きとられる。口うるさいおばをはじめ、おおぜいの親族との交流はあるものの、自分の居場所は見つからず、なによりも戒律でがんじがらめの生活が窮屈(きゅうくつ)でたまらなかった。
■17歳で結婚、妊娠・出産のプレッシャーに追いつめられる
コンピューターや携帯電話はもちろん、家にはテレビさえなく、映画も観たことがない。安息日のあいだは一切の労働が禁止されるため、ものを運ぶこともできない。女の子は12歳で成人すると人前で歌うことを禁じられ、高等部に上がると素肌と見間違われないよう、太いシームの入った茶色いストッキングを穿(は)かなければならない。
会話や読み書きはイディッシュ語のみで、魂を毒する不浄な言語とされる英語を使うと、厳格な祖父に雷を落とされる。そんななかでも、反抗心旺盛なデボラは見つからないよう遠くの図書館や書店へ通い、禁じられた英語の本『自負と偏見』や『若草物語』をこっそり読んでは、外の世界への憧れを膨らませ、渇望を満たそうとする。
世界の中心ともいえる現代のニューヨークに、これだけ閉鎖的で特異な社会が存在していることに驚かずにはいられないが、少女時代の回想にはどこかのどかな、微笑ましいような雰囲気も漂っている。長い伝統を持つ祝祭の数々や、祖母の作るユダヤ料理やハンガリー料理。学校やサマースクールでの他愛ないいたずら。すべてが生き生きと細やかに描写されている。
ところが、17歳で30分会っただけのお見合い相手と結婚すると、戒律による締めつけは格段に厳しさを増す。ハシド派の女性は結婚とともに髪を剃り、かつらやスカーフで頭を覆って一生を送る。生理中とその後の7日間は不浄とされ、ミクヴェと呼ばれる沐浴場で全身を清めるまでは夫の手にさえ触れられない。花嫁教室で教わるまで妊娠の仕組みすら知らずにいたデボラの膣(ちつ)は、頑(かたく)なに夫を拒絶する。本を読むことも禁じられ、ひたすら妊娠・出産を期待されるプレッシャーによって、彼女は心身ともに追いつめられていく。
■女性は“産む機械”として多産を求められる
ユダヤの人々にとって、子孫繁栄はホロコーストで失われた600万人をとりもどす戦いであり、ヒトラーに対する究極の復讐でもある。そのことの意味は計り知れないほど重い。
ただし、そのために女性に課せられる負担もまた計り知れない。デボラの祖母が11人の子供を産み育てたように、ハシド派では女性が多産を求められ、“産む機械”と揶揄(やゆ)される。避妊は許されず、子育てに邪魔な教育や読書は不要とされ、自立の術(すべ)は与えられない。
異質で旧弊な世界の、不自由を強いられた女性の話として本書を読むこともできる。けれども“産む機械”というのは、あまりにも聞き覚えのある言葉だ。
抑圧は女性に対するものだけではない。ここに語られるサトマール派コミュニティは独自の救急隊や自警団や教育機関を運営するほど固い結束を誇る集団で、うまく順応すれば安心と一体感をもって暮らすことができる。だが和を重んじるあまり秩序に異を唱えることを許さず、つねに互いを監視しあっているため、そこになじまない人間には生きづらい場所でもある。その閉塞感をわたしたちは他人事(ひとごと)と言い切れるだろうか。
■生きづらさを抱える人に「声をあげる」大切さを教えてくれる
苦労の末に息子を出産し、デボラは覚醒した。大学へ通うことで自立と自由への大きな一歩を踏みだしたのだ。離婚を決意し、コミュニティを抜けてから3年が過ぎた2012年、発表した本書は大きな注目を集め、ニューヨークタイムズ・ベストセラーリスト入りを果たした。そのせいで刊行当初はコミュニティや家族からの激しい非難にさらされたというが、その後、元夫もコミュニティを抜けて別の女性と再婚し、現在はデボラや息子とも良好な関係を築いているそうだ。
わたしはまだ20代に入ったばかりだ。10年先にはすごいことが起きているかもしれない──デボラがそう書いたとおり、2020年、本書を下敷きにしたNetflixのドラマシリーズ《アンオーソドックス》が配信され、世界中で話題を呼んだ。今年度のエミー賞8部門にノミネートされ、マリア・シュラーダー監督がリミテッド・シリーズ部門の監督賞を受賞している。
スタッフ、キャストが制作秘話や作品について語った同じくNetflix作品『アンオーソドックス──制作の舞台裏──』のなかで、主演のシラ・ハースがこの作品のテーマは“声を持つこと”だと語っている。その言葉のとおり、本書は生きづらさを抱えるすべての人に、声をあげることの大切さを教えてくれる。そして、いまいる世界がすべてではなく、苦しければ逃げてもいいのだと背中を押してくれる。
■「誰も私を理解してくれない」と思っていた
【著者デボラ・フェルドマンさんインタビュー】
——この物語に描かれている世界は、日本社会はもちろん、世界のあらゆる文化に置き換えられるものだと感じました。文化や言語を超えて共感を得たことを、どんな風に感じましたか。
驚きました。書いている時には、このような反応が起きるなんて、まったく考えもしませんでした。実際、書き始めた時は、真逆の恐怖と戦っていたんです――「誰も私を理解してくれないんじゃないか」って。誰も私を信じず、私は自分の物語の牢獄の中で孤立したままなんだろうなと。
ところが2012年にアメリカと英語圏のみで売り出されると次々に売れていき、やがてそれがすごい勢いになりました。
当初、アメリカの多くの人たちは、私の物語の中に「アメリカ人的な何かがある」と考えていたことを覚えています。極端にキリスト教徒的なグループや、モルモン教、アーミッシュ、メノナイトといったコミュニティで育って、そこから抜け出した人、もしくは失敗した人の伝記はこれまでもありました。宗教からの逃走はアメリカ的な物語なんです。
というのもアメリカは「信仰の自由」を原則に建国されているから。宗教的な迫害から解放されることができるのです。
■ドイツで出版後、各国でベストセラーになった
そんな中、私は2014年にベルリンに引っ越しました。それまでのキャリアから完全に離れて、自分がハッピーに暮らせて、人生を築ける場所を求めて。そして、小規模な独立系のパブリッシャーにカフェで出会って友だちになり、ドイツで本が翻訳されることになりました。少ない部数で本を出版することを決めてくれたんです。それがベストセラーになりました。アメリカでも同じことが起こりました。すごく突然に。
そこでみんな思ったのです、これは他の文化でも、他の国でもいけるんじゃないかと。少しずつ他の国――ポーランド、オランダなどの国々が後に続きました。まあどこも小規模な出版社で小さな部数でしたけれどね。
そんな中、ベルリンで一緒に仕事をしていた友人から、『アンオーソドックス』をTVシリーズにしようというアイディアが出てきたのです。
アンナ(・ウィンガー/脚本)とアレクサ(・カロリンスキー/プロデューサー)が本からシリーズを作りました。そして彼女たちはNetflixに売り込んだのです。
■「我々は異なる」というのは幻想だ
当然ながら、シリーズと本は同じではありません。私たちには自問自答すべき疑問があります。シリーズを自分の物語と思った人、本を自分の物語と思った人、なぜか両方に繋がりを見出した人もいるでしょう。でも結局のところ、私が主張する普遍的なものは、そういうものとは異なります。説明しましょう。私たちが信じてきた、もしくは、長いこと信じたいと思ってきたことがあります。
それは「私たちとは異なる人生を送って来た人には、何かユニークで何か異質なものがある」という考えです。そうした神話が揺らいでいる段階に私たちはいます。「アンオーソドックス」は、単なるそのプロセスの一部だと思うのです。私たちが生きている今という時代は、「違い」「よそ者」といったすべての神話が崩壊しつつあると思います。結局のところ、私たちが信じこまされてきた「我々は異なる」という考えは、嘘とか幻想のようなものなのです。
■異なる国の女性たちが「私の物語」と認識して繋がりだした
これは多くの人にとって脅威だと思います。疑いの余地はありません。というのも、そこには何かしらの解放があるからです。単に、物語を見たり読んだりするうちに「ちょっと待って、これは私の物語で、私は世界の半分でしか生きていない」と認識することだけでなく、「繋がる」ことで解放が得られると思うんです。全世界の人々と繋がることで、「ちょっと待って」と動きを止め、その中に誰もが自分自身を見ることができる。それこそが今起こっていることです。
突然、私の物語があらゆる場所で爆発的な支持を得て、30言語に翻訳され、異なる国、異なる文化、異なる言語を話す女性たちが、繋がりました。2~3世代前には非常にローカルな場所にとどまっていた物語が、今、この瞬間を生きる世界中の女性たちに届いたのです。それは、認識以上にエキサイティングだと思います。というのも認識は……そう、私たちがより大きな認識の一部だということを理解できたということですから。
■昔の自分にはあえてアドバイスしたくない
——コミュニティを出てからのこの10年は、とても大変だったと思います。どんな困難がありましたか。
とても、とても苦労しました。それは疑いのないことです。変化するには平均的に10年くらいかかると思っていましたが、変化は本当に、本当に大変で、内面的にも外面的にも多くの資源、多くの戦略、多くの幸運が必要です。本当に多くの幸運が。
コミュニティを去ることを考えている人々にアドバイスを求められたら、彼らと話すことは非常に怖いです。本当のことを言うのが怖い。というのも、もし誰かに「10年かかる」と言われていたら、私はコミュニティを出なかったと思うからです。人々を怖気づかせてしまいそうで。
「昔に戻れたならば、自分にどのようなアドバイスをしますか」と尋ねられれば、「ノー・アドバイス。何も言いません」と答えています。なぜなら「彼女」が諦めてしまうのが怖いから。この困難はとても複雑で、端的に答えるのは難しいものです。
最初の段階の困難は、もちろん現実的なこと。貧乏で、教育もなく、コネクションもなく、支援もない。第二の側面は、社会的(social)な面です。社会的なルールが理解できません。外の世界で、どうしたら人々とコミュニケーションをとれるのか、どうしたら友だちが作れるのかわかりません。
■脱出後に自殺を図る女性はたくさんいる
また別の段階においては、超正統派のコミュニティが常に足を引っ張ります。手紙を書いてくるんですよ。「絶対に成功できない。あなたは外の世界に属することなんてできないし、絶対に幸せにならない。死んじまえ」と。この程度はマシなほうです。彼らがそんなことをするのは、私たちの失敗に力を注げば、コミュニティに疑いを持つ子どもたちに示すことができるからです。「出て行ったら、こういうことが起こるんだよ」ということを。
彼らは多くの出ていった人たちを自殺させようと説得します。それは機能し、多くの人が自殺しています。超正統派のコミュニティを出た人間の間には、自殺が蔓延しています。自殺を試みた男性より、自殺を試みた女性を多く知っていますが、これはまた大きな問題だとも言えます。なぜならば、出て行こうとする時の年齢が、最も被害者になりやすい世代だからです。現実的にも、感情的にも、社会的にも。
コミュニティはその「傷つきやすい世代である」ことを利用します。「ほら、私たちが警告したことは本当でしょ。それは決して変わらない。だからもう諦めなさい」と。
確かに私は、子供がいたこともあり、とても長い間、耐えて頑張りました。母親であるというのは、とてもユニークな状況です。というのも、自分以外のものに気持ちを集中出来るから。おそらくこのことが、幸運やめぐり合わせを引き寄せた、一番大きな源だったと思います。
■「自分のために決められる」今が幸せ
ですが私を救ってくれたのは本を書いたことではありません。本がしてくれたのは、子供の養育権を守る上で必要なだけの、大衆からの注目を集めることです。実際的な形で私を救ってくれましたが、感情的には救ってはくれませんでした。というのもアメリカで本が出版された時、私は25歳で、外に出てまだ3年目でした。非常に弱々しかった私は、突然、人前にさらされたのです。それは私にとって非常に辛いことでしたが、もし本が成功しなければさらなる困難に陥ったと思うし、ある目標に到達するには本が必要だったんです。
私が今10年を経て幸せなのは、端的に、自分がどのような人間になりたいか、どんな人生を生きたいかが、はっきり思い描けているからだし、そう生きるための決定を下すことができるからです。シンプルなことのように聞こえますが、このシンプルさは、以前の自分には想像もできないものでした。なぜならば、ひとつひとつの決定を「自分のため」に下し、自分がどんな人間で、何を望むかなんて、思い描く機会を持ったことがなかったから。この過程が本当に大変でした。でも苦しみを経験することが変化をもたらし、それが自分を幸福に導いてくれるのです。
■「個人」になるまでには時間がかかった
——デボラさんが目指した幸福とはどんなものでしょうか。
それがコミュニティを出た当時の問題でした。自分が生きてきたところには「どのような個人になればよいのか」という事例が存在しなかったから。「個人であること」というのは、コミュニティでは「大きな敵であり脅威」ですから。
そのためには、まずは「個人とはなにか」「パーソナリティとはどうやって形成されるのか」という概念を把握しなければなりませんが、それは一晩でどうにかなるものではありません。多くの人に会い、多くを吸収することで、構築されるものだからです。
多くの作業と奮闘、問題との対峙、そして時間がかかりました。今の私は、おそらく人間として、適切な興味深い特性を持てていると思いますが、そうした要素の根本には息子との体験がものすごくあると思います。単なる外面的なことのみならず、内面的においても。
■「集団の常識に従わない」という幸福
私は集団の主張や、集団の思考パターンを素早く察知する人間のようです。どういうことかといえば、自分が何かしら行動したり考えたり感じたりする時はいつも、その理由を慎重に考えるタイプだということです。それは私個人の資質と言うよりも、むしろ社会によってそうさせられているんです。
あまりに慎重なので、外の世界にいる今でも、とても頻繁に「ノー」と言っています。「他人が期待すること」に対して「ノー」と言い、「常識」に「ノー」と言います。それが私がここ、ベルリンに住む理由のひとつでもあります。というのもベルリンは、そうすることが可能な場所として知られた町だからです。嫌ならばただ「ノー」と言えばいい。
件の質問を聞かれれば、その答えは「集団から求められる常識に絶対に従わないこと」。これは、私が去った場所がもたらした結果であり、集団から与えられる圧力の公正さに敏感になったのは、「コミュニティ」にいたからなんです。
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英米文学翻訳家
神奈川県生まれ。京都大学法学部卒業。訳書にフリン『ゴーン・ガール』、ホルスト『警部ヴィスティング カタリーナ・コード』(以上、小学館文庫)、イーガン『マンハッタン・ビーチ』(早川書房)、チューダー『アニーはどこにいった』(文藝春秋)などがある。
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(デボラ・フェルドマン、英米文学翻訳家 中谷 友紀子)
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