「早く妻に会いたい」88歳で一人暮らしの男性が、最期まで"家で死にたい"と望んだ理由
プレジデントオンライン / 2021年10月9日 11時15分
■楽しみは、月に1回、子供が来てくれることだけ
80代後半の加悦隆夫さんは妻をがんで亡くしてから、山奥で一人で暮らしていた。
3年前の夏、私は訪問看護師の小畑雅子さんと一緒に加悦さんの家を訪ねた。小畑さんはもう5年もここに通っているという。
「加悦さん、こんにちはー」
勝手知ったるわが家のようにガラガラと戸を開け、小畑さんは中に入っていく。加悦さんは糖尿病が進行して目がほとんど見えない。10日前に風呂場で転倒し、風呂場のガラスに頭を突っ込んで大けがをしたそうだ。電話で近所の人が駆けつけた時は、あたり一面“血の海”だったという。この日もまだ頭頂部には大きなガーゼが貼られていた。
小畑さんが血圧を測りながら「腕が細くなったなぁ」と声をかける。
「うん、足も細くなった」と加悦さん。本当に全身がやせ細り、ガリガリだ。目が見えないため、買い物や食事、洗濯は、ホームヘルパーが行うという。医師や小畑さんは1~2週間に1回訪ねてくる。相当な山奥だから近所に店はなく、ふらりと遊びに出かける場所もない。
「何か楽しみはありますか?」
と、私は質問した。
「ないなぁ……うん、何もない。月に1回、子供が来てくれることだけ」
カレンダーのほうを見ながら加悦さんが言った。子供といっても、60歳近い娘が来るのだという。「27」の日に丸がついているのだが、まだあと10日ある。その間、医療や介護関係者が訪ねてくる以外、加悦さんの用事は何もなさそうだ。
だが月に1回の子供の見舞いがうれしいらしく、「家内はワシより早く死んだけど、子供らがよくしてくれるから……」とつぶやく。
■「心残りはないし、いつ死んでも構わないけど」
「それではつらいことは何ですか?」
と私が聞くと、
「風呂場で転倒してから腰や足が痛い」
加悦さんが訴える。筋力低下で不安定なため、トイレに行くのによつんばいで這っていくという。時々間に合わないことがある、と加悦さんは苦笑いする。
「心残りはないし、いつ死んでも構わないけど、こっちが死にたいという希望を出してもなかなかね」
「ずっと前から“希望”は出しているのになぁ」と小畑さん。
「家内に早く迎えに来てくれって言っているんだけど……」と加悦さんがうつむく。亡き妻から夫の厳しさを聞いていた小畑さんは「怒りすぎたんちゃう?」と笑いながら突っ込む。
妻が存命中は縦のものを横にすることもなかったそうだが、今は仏壇にソーメンが供えてある。三食、自分が食べる前にまず妻の遺影の前に置くのだという。よつんばいでしか移動できないから、かなりの労力がかかる作業だ。
静まりかえった広い家の中で朝起きたら「おい起きたで」、夜寝る時は「もう寝るで」と妻の写真に声をかける。その様子は幸せそうには見えないが、かといって不幸にも見えなかった。
■加悦さんは病院に運ばれ、そのまま1週間後に亡くなった
そして昨年2月12日、加悦さんは亡くなった。享年88歳。その6日前の2月6日まで家で過ごしたという。
「『仏壇の世話をしないといけないからここにいる。それがわしの仕事だ。ここにおりたい』と、加悦さんは最後までそう言っていました」
小畑さんが昨年1月30日に訪問看護に訪れると、心不全が悪化して息苦しそうな加悦さんの姿があった。それでも「死ぬのを待っているからこれでいい。早く妻に会いたい」と繰り返し言っていたという。
しかしそれから1週間後の2月6日、近所に住む親戚の人が訪ねると、室内で加悦さんが倒れていた。意識が朦朧としていたという。
「このまま家に一人、置いとけれへん(置いてはおけない)」という親戚の強い希望で、加悦さんは病院に運ばれ、そのまま1週間後に亡くなったそうだ。
「『ここがええ』と言いながらも内心は一人で生活することにとても不都合を感じていて、不安は強かったと思います。ですから最後は病院に行ってよかった。一昨年の夏にも医師が訪ねた際、熱中症のような状態だったんです。医師が入院を勧めると、ほっとした顔をしていました。その頃は、私が訪ねると『あんたもう帰るんか』と寂しそうな目でこちらを見てくるし、私も帰るのが忍びなくて毎回契約時間をオーバーしていました」(小畑さん)
■「孤独感」は、医療スタッフだけでは埋められない
小畑さんが専門としている「訪問看護」とは、看護師が患者宅に訪問して、患者の健康状態の観察や、病状悪化の防止、療養生活の相談とアドバイスを行うことである。子供から高齢者まで、病状や障害が軽くても重くても、医師の指示があれば訪問看護が受けられる。訪問看護を受けたい場合は、受診している医療機関や、近くの訪問看護ステーション、地域包括支援センターなどで相談するといい。
受けられる回数は、介護保険と医療保険で異なる。介護保険ではケアプランに沿って1回の訪問は20分、30分、1時間、1時間半の4区分。医療保険では通常週3回まで、1回の訪問時間は30分から1時間半程度だ(ただし厚生労働大臣が定める疾病等や特別訪問看護指示書が発行されると回数制限はなし)。かかった費用の1~3割が自己負担になる(保険の種類や年齢により異なる)。
在宅療養は訪問看護師をはじめ医師やケアマネージャー、ホームヘルパーなど、さまざまな職種が連携して患者を24時間サポートする体制をつくるのだが、「孤独感」は、医療スタッフだけでは埋められない。
■唯一の身寄りである妹が2015年にがんで死去
元芸者で80代半ばの久子さんは、唯一の身寄りである妹が2015年にがんで死去してから孤独感にさいなまれていた。妹に続いてがんを発症し、転移が数カ所ある状況で、小畑さんは1年3カ月間、久子さんの元に毎日通い続けていた。
「ホームヘルパーさんと看護師が毎日3回訪問していたものの、夜間の排泄や痛みのコントロールが困難になりました。夜になると痛い、寂しい、つらい、ちょっと来てほしいと頻繁に電話がかかってきたんです」(小畑さん)
孤独感をなくしてあげたいと考えた小畑さんは、久子さんが高齢者対応賃貸住宅へ入居できるよう尽力した。
「でもこの転居もストレスだったようで、不満を訴えることが毎日続きました。訪問時間を長くし、室内に花を飾って、一緒に歌をうたい、心身両面のケアに努めましたが、ある日訪問すると『鳥やカラスが鳴くみたいにさみしい。心がざわざわする』と言われたんです。どれほどの寂しさだろうと、その言葉に衝撃を受けました。何とか解決しなければいけないと、周囲になじめるようにサポートする計画をたてたのです」
■「私は三味線をひくから、ひかりちゃんは歌いせぇ」
小畑さんは医師と交渉し、痛みを和らげる麻薬を久子さんに服用させてから、車いすでホール(住宅内の大食堂)に連れていった。皆がいるテーブルで歌ってみるよう声をかけると、久子さんは歌いだす。元芸者だから歌唱力は抜群だ。周囲の人は初日は遠巻きにしていたが、翌日から久子さんの近くに集まってきた。
「自分が歌をうたうと、周りの人が喜んでくれる。芸者の時のように人の役にたつ喜びを取り戻したんでしょう、久子さんの口から『ここへ来てよかった。いい人ばかり』という言葉が出てきたんです。やっと居場所ができたと思いました」
すっかり穏やかになった久子さんは、亡くなる前日に「みんなで花見にいきましょうで。私は三味線をひくから、ひかりちゃんは歌いせぇ」と、小畑さんに話したという。小畑さんが開設した訪問看護ステーション「ひかり」から、久子さんは小畑さんを“ひかりちゃん”と呼んでいた。
■「施設のような場所で死ぬのも幸せなんだと感じた」
「その話をしている時、まるで目の前にその光景があるような輝いた顔でした。翌朝、意識混濁で何度も茶色の物を吐いて……亡くなりました」
久子さんの最後の言葉は
「ちょっとがんばりすぎたなぁ。ひかりちゃん、健康が一番。気いつけんせいよ(気をつけなさいよ)」と、小畑さんの健康を気遣う言葉だった。
小畑さんはこう振り返る。
「死の前日まで夢をもつ、希望をもつこともできるのだと。家族でなくてもいいんだ、施設のような場所で死ぬのも幸せなんだと感じたケースです」
(次回に続く)
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ジャーナリスト
1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『週刊文春 老けない最強食』(文藝春秋)、『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、『室温を2度上げると健康寿命は4歳のびる』(光文社新書)など。新著に、プレジデントオンラインでの人気連載「こんな家に住んでいると人は死にます」に加筆した『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中公新書ラクレ)がある。
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(ジャーナリスト 笹井 恵里子)
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