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あまりのリスクに"まともな男性"は恋愛市場から去り問題男性が残る…「不同意性交罪」が引き起こす皮肉な現象

プレジデントオンライン / 2024年3月1日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/west

若者の恋愛離れが進んでいるといわれる。背景には何があるのか。文筆家の御田寺圭さんは「全社会的な『性的同意』への意識の高まりがある。男性は女性にアプローチするリスクが高まって“及び腰”になり、女性は“待ち”に徹する状態となったことで、男女の関係は“膠着状態”になったのだ」という――。

■「不同意性交罪」の危うさ

近頃、「不同意性交罪」の話題がSNSでも活発に議論されている。

「不同意性交罪」の容疑で逮捕される事件がメディアで相次いで報じられているのがその原因だろう。皆さんもいくつかの事件をもうすでに見たかもしれないが、その容疑者のなかには性交があったこと自体を否定している者、あるいは、「同意があった」といった供述をしている者などもいる。

実際にこの罪状の事件が世の中で顕在化するようになってようやく、この法律の持つ「危うさ」に気づいた人が増えてきたようにも見える。

念のため断っておくが、いま現在世の中で発生している「不同意性交罪」の事件すべてが虚偽や冤罪(えんざい)であると主張したいわけではない。しかしそれとは別に、やはり一般論として「不同意性交罪」には制度的・運用的な欠陥があると言わざるを得ないだろう。

たとえばの話だが、ともに成人を迎えた親密な関係の男女が遊ぶ目的で会い、その流れでホテル(通常の宿泊目的でないほうのホテルのこと)に同意のもとで宿泊したならば、それを外形的に「同意があった」と見なしても、一般常識からすればその認識にさほどの飛躍はないだろう。かれらがホテルに入って行為に及んださいに交わした同意がどの程度まで「本意」であったかを、あとから他人がその心情を正確にジャッジすることなど原理的に不可能である。

■「同意があった」を立証するのはきわめて困難

よって、現状の不同意性交罪の運用では事実上、同意を結んだはずの一方(主として女性)が「あれは同意ではなかった」といえば事後的・遡及(そきゅう)的に「罪」をつくってしまえることになり、逆にいえば同意がなかったことを主張する女性の申し立てに反論する形で「同意があった」と立証するのは(そもそも不同意性交罪それ自体が当事者の心情や状態に依拠している以上)きわめて困難であると言わざるを得ない。

不同意性交罪についてSNS上の意見を観測すると「嫌なら最初から断ればよかったのだ」とか「かくなる上は性的同意書を取るしかない」といった意見がみられた。なかには「ホテルに入室するには『これから性行為に及ぶことに合意しますか?』という最終意思確認ボタンを両者が押さなければ開錠できないようなシステムを作ってしまえばよい」という斬新な意見もあった。

■「その当時の気持ち」は事後的に変わりうる

なかなか興味深いアイデアにも見える。実際のところ「なんらかのシステムによって双方の性的同意を確認する“証人機関”としての機能をもった宿泊施設」のような事業者はいずれ登場するかもしれない。たとえばコンビニのレジにある酒・たばこ販売時の未成年確認ボタンのように、利用する男女どちらもが「この部屋で性行為をすることに同意しますか?」というボタンを押さなければ部屋が開錠されない仕組みである。ボタンはできれば男女それぞれに用意され、同時に押さなければ無効とされることが望ましい。

しかしながら、そのような「ホテルを擬似的な証人とした性的同意の相互確認システム」だって万全な対策ではない。結局のところそれも「そのときは怖くて同意しないわけにはいかなかった……」と警察に証言されてしまえばひっくり返ってしまう可能性は十二分にあるからだ。ましてやホテルに訪れる前に飲食店で酒を飲んでしまったりすればなおさらだ。飲酒してしまえば「そのときは正確な判断能力がなかった」と評価されやすくなるからだ。

ワイン
写真=iStock.com/Instants
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Instants

いずれにしても、性行為に及んだ当時は「同意」だったかもしれないが、あとから何らかの理由によって両者の関係がこじれたり決裂してしまったりしたときには、もっぱら男性側から性的アプローチを受ける側である女性側には「あの時のアレは、よく考えたら合意の上ではなかった。無理矢理同意させられた」と(陥れてやろうとか復讐(ふくしゅう)してやろうといった悪意があるわけではなく)本当に「その当時の気持ち」の評価を事後的に変えてしまいうる。

■男女間のセックスには「レイプになりうる」性質がある

女性にとってひどく興ざめする事由――たとえばだが、行為に及んだ相手の男性があとから多額の借金を背負った無職だと分かったとか、自分は相手にとって本命の交際相手ではなくじつは浮気されていてn番目のセフレ扱いだったことが発覚したとか――でその前提が失われてしまえば、男女間で行われたセックスは原則として「(遡及的に)レイプになりうる」性質を持っている。

女性側はこの状況について「きちんと同意を取っておけばいい」とか「信頼関係のない相手といきなり性行為をするからそうなる」などと言うが、いま争点になっているのはその「同意」や「信頼関係」が後から覆されてしまうそのリスクにこそある。これを制度的に完全に解決するなら「誠実に信頼関係を積み上げていく」といった抽象的な努力ではなく、婚前交渉の完全違法化(≒婚姻関係の締結をもって唯一絶対の性的同意と見なし、婚姻関係のもとで行われたあらゆる性行為は原則すべて同意のもとに行われたものであると判断する)しかない。

■セックスをすることは「通報されるリスク」を15年間抱えること

「遡及的にレイプになりうる」性質を避けがたく持っていた男女間の性的関係に刑事責任を実装したのが「不同意性交罪」であり、これが今どきの男性にとって女性とのかかわりそのものを回避する強い動機を与えてしまっている。

現代社会の男性にとって、女性とお近づきになりセックスをすることは、その女性から「レイプ犯」として警察に通報される可能性を向こう15年(時効)にわたってゼロにできないこととイコールになってしまうからだ。

セックスというほんの一時の快楽を得るための代償として、その日から15年間、自分の家にある日突然警察がやってきて「あのときあなたが女性と行った性行為は、女性側から同意ではなかったとの申し出がありました」と言われて手錠をかけられるかもしれないリスクがつねに自分に生じることを引き受けなければならない。このため「女性とかかわりを持たず、女性とセックスをしない」という選択をする方がよほど「コスパがいい」と判断する人が一定数現れてしまうのはさほど不自然ではない。

砂漠のアンティークガラス時計
写真=iStock.com/allanswart
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/allanswart

■「ちゃんとした人」ほど恋愛市場から撤退していく

残念なことに、女性がぜひとも恋愛・結婚したいと望むであろう社会経済的にも人格的にもすぐれた「ちゃんとした人」ほどこの社会的リスクを深刻に見積もって撤退してしまう。自由恋愛市場には逆にそういう倫理観やリスク意識を持たないタイプの男性、いわゆる「ヤバい人」ばかりが残るという逆効果になっている。

全社会的な「性的同意」の意識の高まりによって、誠実な人ほど女性から遠ざかり「性的同意なんかどうでもいい」と考えてしまうような人ほど市場によく残留させる結果となっているというのは、あまりに皮肉としか言いようがない。

言うまでもないが、この国では男女交際はもっぱら男性側のアプローチをその起点とする。もちろん例外はあるが、男性側がアプローチし、女性側がそのアプローチの可否を判断するという図式が一般的になっている。女性側からアプローチして男性側がそれをどうするか選択するケースがないわけではないが多数派ではない。

むろん女性だって、それとなく好意を持っている男性に対しては、彼が自分に好意を持つようなんらかの「布石」をしかけることはそれなりにある。しかしそれはあくまで布石であって、最終的な意思決定や結果責任を取るフェーズ――つまり「告白」という儀礼に臨む役割――では、やはり男性が主導的な役割を果たすことになりがちである。男性が率先してこうした「重い」アクションを引き受けることは、ことこの国においては「男らしさ」の一部として肯定されてきた。

■「女性にアプローチすること」はリスクが大きすぎる

だが「女性が待つ側、男性がアプローチする側」という形で落ち着いた男女の性的関係の均衡は、現代社会の価値観や倫理観と真正面からコンフリクトを起こしてしまっている。

「女性を不快な気持ちにさせてはならない」という不文律的な倫理的コードが先鋭化しており、男性が女性に対して性的アプローチで不快な思いをさせてしまうことは、ただ不快なだけでなく、場合によってはなんらかのハラスメントとして非難されてしまうこともある。

かりに当時はそのアプローチが好意的に受容され良好な関係を築けていたとしても、後々に関係が悪化してしまったときには、これまで述べてきたように「いま思えばあれは不快だった、性加害だった」などと事後的にその評価を180度ひっくり返されてしまい、性交渉の場合には刑事責任を問われることもありえる。

いまどきの若い男性にとっては、たとえ気になる女性がいたとしても、その女性にアプローチすることで自身の身には「女性と仲良くなれる可能性」と「社会的・法的リスクが生じる可能性」が不可避的に生じ、両者を天秤にかけたとき、どうしても後者の懸念が重くなってしまい、合理的な損得勘定の結果として断念してしまう人が増えているということだ。

スケール
写真=iStock.com/artisteer
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/artisteer

■女性は“待ち”に徹し、男性は“及び腰”になる

かつては「草食男子(草食化)」などと呼んでいた時期もあったが、現在はもっと深刻だ。男性はもう肉はおろか草にも手を出すことができない、いわば「絶食男子」になりつつあるからだ。本心では草はもちろん肉だって食べたいが、肉を食べようとすることの「ただしくなさ」や「リスク」が高まりすぎて、手が出なくなってしまったのである。

女性は意思決定コストを引き受けたがらず“待ち”に徹し、男性は恋愛や性交渉にビルトインされた加害性や法的リスクに怯えて“及び腰”になる――男女どちらもがお互いの距離を詰める役割をすることにともなう「重さ」や「代償」を嫌がり、男女の距離はずっと遠いままになっている。こうしていまの若い男女の関係は“均衡”から“膠着(こうちゃく)”へとその状況を変化させてしまい、それが全体として「若者の恋愛離れ」という形で世の中に顕在化している。

■この膠着状態を破るには、女性が動くしかない

男性側が倫理的なためらいによって動けなくなってしまった現状を打開するには、「女性が主導権をもって、能動的・主体的にグイグイ行く」しかないだろう。

実際のところ、いまどきの男性は女性から「グイグイ」とまではいかずとも、お互いの距離を縮める最初の一手だけでも女性側がリードして「きっかけづくり」をしてくれれば、その後はわりと安心してパートナーシップ形成に積極的な態度を見せるようになる余地は十分にある。女性側から「男性の性的アプローチにともなう加害性」を恐れない姿勢を見せることで、男性は「この人ならこちらから距離を近づけても、それを“加害”とか“ハラスメント”と取られる心配は少なそうだ」と感じられるからだ。

ハートアイコンとスマートフォン
写真=iStock.com/Tonktiti
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tonktiti

男性にとって、恋愛をすること、結婚することはおろか、女性と接点を持つことすらそのリスクがあまりにも高くなりすぎて「そこまでしてやるほどのものではないだろう」というペシミスティックな雰囲気が拡大している。報道機関によって「不同意性交で逮捕」のニュースが報じられるたび男性は震えあがり、女性とラブホテルに行くことより男性同士でバーベキューをしたり、VTuberを推したりすることに時間や労力を費やすようになる。

■恋愛離れの背景には「男性と女性の相互不信」がある

男性側に男女関係の主導的役割――意思決定のコストや結果責任のリスク――を負わせ、そればかりか不首尾に終わった性的関係は女性の気持ちひとつで社会的・民事的・刑事的に報復する根拠にできてしまい、さらには夫婦関係が瓦解(がかい)したときは男性側は子どもの親権をほとんど取れないといった、男性にとってあまりにも不利なバランスが世の男性たちにはひろく周知されてしまっている。不同意性交罪は男性にとって「女性とのかかわり=リスク」という世界観を強めるダメ押しの一手になってしまった。

男性がこれまでやってきたような「主導的立場」をいきなり女性がすべてやるべきだとまでは言わないまでも、恋愛や結婚の持つリスクやデメリットを緩和してあげるような歩み寄りの姿勢を持つことが、巡り巡って女性の幸福にもつながるだろう。

近ごろの妙齢男女に蔓延する“恋愛離れ”は「男性と女性の相互不信」がその根底にある。この相互不信は男性のリスク回避志向を加速化させており、「男性が再び女性への信頼を取り戻し恋愛市場に舞い戻る」というシナリオをいくら待っていても、その実現可能性はきわめて怪しくなっている。

この国の出生は婚姻を前提にしている。婚姻は恋愛を前提にしている。そうである以上、恋愛や性的関係にまつわるリスクが高まる問題は、ある面ではまったく個人的な問題であるが、しかし同時にこの国で生きるすべての人にとって他人事では済まされない社会的・政治的な問題でもある。

本当に男と女のかかわりを「丁寧に」「難しく」していくことが望ましい未来をつくるのか、だれもが考える必要があるだろう。

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御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。「白饅頭note」はこちら。

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(文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭)

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