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不満を感じただけで"いじめ"だと主張する…最近の子どもを苦しめる"押し返される経験の不足"という大問題

プレジデントオンライン / 2024年3月8日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

なぜ不登校になってしまう子どもが増えているのか。スクールカウンセラーの藪下遊さんは「最近の子どもは『思い通りにならないことに耐えられない』という特徴を持っている。親や周囲の人から叱られた経験がないからか、『思い通りになるのが当然』と考えるようになってしまっている。子どものこころが成熟するためには、適切な押し返しが必須である」という――。(第1回)

※本稿は、藪下遊、髙坂康雅『「叱らない」が子どもを苦しめる』(ちくまプリマー新書)の一部を再編集したものです。

■授業時間が長いだけで不登校になる事例も

最近の、学校で現れる子どもたちの不適応の特徴の一つとして「思い通りにならないことに耐えられない」ということがあります。これだけではわかりにくいと思いますから、いくつか例を示しましょう。

【事例1:授業時間が長いから学校に行かない】

小学校一年生の男子。小学校入学後しばらくしてから登校を渋るようになる。理由は「授業時間が長いから」と話す。学校としては、親に送り出してほしいという思いはあるが、「本人が嫌がるので」と親は子どもに言われるがままである。

五月雨式の登校は続き、学年が上がってもその傾向は変わらず、もともと学力には問題がなかったにもかかわらず、徐々に学力の低下が起こり、それがまた登校の難しさにつながるという悪循環になっている。

【事例2:都合が悪い状況で「いじめ」と主張する男子】

小学校四年生の男子。同級生とのやり取りで自分の要求が通らない状況や否定的な場面で「いじめられた」と主張する。例えば、自分がやりたい遊びができないとき、ドッジボールで当てられたときなどにそういった発言が見られる。親は男子がいじめられていると考え、対応や謝罪を学校に要求する。

この二つの事例の印象はずいぶん異なるものだと思いますが、共通しているのは「思い通りにならない場面」に対して不満や拒否感を抱えているということです。

■「思い通りにならない場面」に耐えられない

事例2の「やりたい遊びができない」などの「思い通りにならない場面」は、学校をはじめとした社会的な場で活動する上では避けられないものですが、近年、増加している不登校や学校で不適応を示す子どもたちの中には、こうした状況に対する拒否感が中核になっている場合があるのです。

どうして彼らはここまで「思い通りにならない場面」に対して不快を覚えてしまうのでしょうか?

子どもが生まれてから一歳くらいまでは、外の世界とあまり積極的に関わることはせず、親子はべったりとした関係性の中で過ごすことになります。この間、子どもは親から大切にされることで基本的信頼感(世界に対して安心できるという実感)を育むと同時に、子どもの行い一つひとつに親が反応し、対応することで能動的な力の感覚(積極的に世界に働きかけていく力。自信の萌芽(ほうが)でもある)を身に付けていきます。

子どもが一歳を過ぎるころには、歩けるようになるなどの身体的発達が見られるようになります。こうした身体的発達に、基本的信頼感や能動性の高まりが加わることで、「安全な親から離れて、外の世界に働きかけても大丈夫」という安心感をもって「外の世界」と関わるようになります。

■適切に叱られることで成熟が促される

このように一歳を過ぎたあたりから、子どもは「外の世界」と本格的に関わり始めるわけですが、まだまだ分別がつかない子どもですから、やってはいけないことをたくさんやってしまいます。

回っている扇風機に指を突っ込もうとしたり、階段から落ちそうになったり、高いところに登ろうとしたり、とにかく親がハラハラしたり、びっくりするようなことを平気でします。こういうことを子どもがやりそうになったときに、親を中心とした「外の世界」に求められるのは、子どもの行動に対して適切に「押し返す」ということです。

この「世界から押し返される」とは簡単に言えば、叱られる、止められる、諫(いさ)められるといったことになります。現代の世の中には「自由にさせてあげた方が良い」「叱るのは可哀想(かわいそう)」という風潮があることは承知していますが、適切に叱られる、止められる、諫められることによってもたらされる「子どものこころの成熟」も理解しておいてほしいと切に願います。

大人に叱られる子どものイメージ
写真=iStock.com/takasuu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

子どもが社会的な存在として成熟していくためには、こうした「世界からの押し返し」を経て、現実に合わせて自分を調整するという経験が絶対に必要なのです。

■子どもが不満を感じることには価値がある

心理学の世界では、乳幼児を育てるときの母親の在り方として「ほど良い母親:Good enough mother」が重要とされています。この「ほど良い」とは、子どもに対して100%上手く反応できていなくても大丈夫、ほどほどで良いんだよ、という意味です。

乳幼児期の子どもは泣くことで色んな不快を訴えてきます。でも言葉をしゃべることができないので何が不快なのかわかりません。親は、こうした子どもの泣きに対して、「お腹すいたのかな?」「オムツが気持ち悪いのかな?」などアタリをつけて対応していくことになります。この予測が当たることもあれば、当然、外れてしまって余計泣いてしまうということもありますよね。

乳幼児期の子どもを育てる親に伝えたいのは、こういった「子どもの気持ちを推し量ろうとして、でも間違ってしまう」という体験は「あった方が良い」ということです(「あっても良い」のではなく「あった方が良い」ということが大切ですよ)。一生懸命、子どものためにやろうとしたけど子どもの思いとズレてしまうことは、絶対に無くすことはできないですし、そういう体験があった方が「子どものこころの成熟」にプラスになる面が大きいのです。

パソコンを開き頭を抱える大人と遊ぶ子どものイメージ
写真=iStock.com/kohei_hara
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kohei_hara

親が子どもの要求にすべて完璧に応えられてしまうことがあってしまうと、子どもにはいつまでたっても「自分の欲求」と「環境が与えてくれること」の差によっておこる欲求不満に耐える力が身につきません。こうした差を適度に体験することが、「子どものこころの成熟」を促し、むしろ子どもの現実認識(現実を現実として適切に捉える力)を高めてくれます。

■自信が万能感に変質する

こうした「自分の思い」と「環境が与えてくれること」の差は、言わば「子どもの思い通りにならない」という体験なわけですが、こうした体験を経験することの重要性も含めて「ほど良い母親:Good enough mother」であることが大切と言われているわけですね。

こうした「ほど良い母親:Good enough mother」概念や、叱られる、止められる、諫められるといった体験によって、子どもたちは「思い通りにならない」という体験を積んでいきます。この体験が無いと、外の世界に出るために必要だったはずの能動的な力の感覚が肥大化して、外の世界に対する「思い通りになるのは当然」という万能的な感覚へと変質してしまうリスクが生じます。

「外の世界に合わせて自分を調整する」という体験は、子どもにとって非常に不快なものです。それまでは泣くなどの行為を通して、親に「環境を変えてもらった」という経験が中心でしたが、環境を変えるということが難しい状況や、子どもが環境に合わせなくてはならない状況が増えるのですから、その不快は自然な反応と言えます。

■「不快にさせてはならない」は危険な発想

ここで強調しておきたいことが、こうした状況で生じる子どもの不快感を「関係性の中で納めていく」という関わりが必須であるということです。「思い通りにならない場面」で不適応を示している子どもの親と接していると、こうした子どもの不快感を「親の関わり方の失敗」と考えたり「不快にさせてはならない」と捉えたりしている人が非常に多いと感じます。

【事例3:炎天下で倒れた母親】

年少の園児。思い通りにならないと他児を叩く、大声で泣くという行動が見られ、そうした行動が一度起こるとなかなか収まらない。家庭では、そうした行動は見られない。いつもお迎えの後、すぐに帰らず近くの公園で本児が「気が済むまで」遊ばせている。ある炎天下の日、本児が「気が済むまで」遊ばせていると母親が体調不良となり、園で職員が介抱することになった。

【事例4:迎えに来る人を指定する園児】

年長の園児。自分が好きではない活動になると教室を出ていこうとする。それを止めると大声で泣き、暴れるという行動が際限なく続く。本児の思うとおりにすると落ち着いているが、保育士が一人張り付くことになるので大変である。ある日、父親が迎えに来るが、本児が「迎えはお母さんが良い」というので、父親は妹だけ連れて帰り、しばらくしてから母親が本児を迎えに来た。

■「思い通りにならない環境」に慣れさせたほうがいい

これらの事例は、おそらく多くの家庭にとっては「そこまで付き合わない」「こちらの都合に合わせさせる」という状況だろうと思うのですが、子どもに合わせて親側が我慢したり調整したりしていることがわかります。

こうした事例では、園内での行動について親に伝えても「家では問題ありません」と返されるのが常ですが、子どもに合わせて環境を調整してあげているのですから、家で問題が出ないのは当然といえば当然です。こうした状況で大切なのは、子どもの不快感が生じないように環境を調整するのではなく、「思い通りにならない環境」に出会った時の不快感が親子関係の中で受けとめられ、なだめられながら納めていくことです。

大人に注意される子どものイメージ
写真=iStock.com/takasuu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

「迎えはお母さんが良い!」と言われたとしても、「今日はお母さんが忙しいから、しょうがないよ」「我慢してお父さんと帰ろう」と声をかけて連れて帰れば良いですし、その時に生じる不快感を「しょうがないよー」と困りつつも受けとめていけば良いわけです。

■「叱る→慰める」のセットが重要

こうした意見に対して、「子どもなんだし、変えてあげられるんだから、変えれば良いじゃないか」という考えを持っている人もいるでしょう。ですが、私がこのことを強調するのには理由があります。

こうした「思い通りにならない環境に出会った時の不快感」を親子の関係性の中で納めていくという作業は、明確に「子どもが幼い時期の方がやりやすい」のです。この理由は簡単です。

親が「思い通りにならない環境」として立ちはだかると同時に「その不快感を受けとめる」という「一人二役」をしやすいのは、小学校低学年くらいまでなんです。子どもが幼ければ幼いほど、親が「ダメ!」と叱って不快感を抱えたとしても、その叱った親にすがって慰められるという構図になりやすく、そうした「不快感+慰め」というワンセットを通して子どもは不快感を納める経験を重ねていくのです。

大人大人に慰められる子どものイメージ
写真=iStock.com/takasuu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

ですが、子どもがだいたい8歳前後くらいになってくると、親が「思い通りにならない環境」として立ちふさがった場合に、子どもは親から離れてしまうので「関係性の中で不快感を納める」というパターンが経験されにくくなってしまいます。

こうした子どもの発達に合わせて、親や学校は、子どもへの叱り方、諫め方、止め方を工夫することが大切になってきます。例えば、子どもが学校で叱られたら、それを聞いた親が気持ちを受けとめるなどの「家庭と学校の連携」が重要になってくるわけです。

■少しの不自由さにも耐えられなくなってしまう

学校は多くの子ども達にとって「思い通りにならない場所」です。自分たちの行動は校則で制限されますし、同年代の子ども達の中で好き勝手ばかりはできませんし、定められた時間に定められた学習をすることになります。

こうした学校の在り方こそが不登校の原因であると考える人もいるようですが、まだまだ幼い子どもたちは、学校という「思い通りにならない場所」での体験を通して、不快感を納め、環境との調和を経験していくという面も忘れてはなりません。子どもが「社会的な存在として成長する」ということを目指すのであれば、家庭や学校で経験する「思い通りにならない体験」の価値も理解しておく必要があります。

事例3や事例4のように「世界からの押し返し」が幼い頃から不足していると、学校という場の「不自由さ」に対して過剰な不快感・不満を覚える可能性が高まります(わざわざ保育園や幼稚園の事例を紹介したのは、そういった理由です)。「世界からの押し返し」を経験している多くの子どもにとっては、それほど問題にならない「学校の不自由さ」が、それを経験していない彼らには「たまらなく不快」と感じてしまうわけです。

■「世界からの押し返し」を経験させるべき

留意すべきなのは、こうした「思い通りにならないことへの不快」は外と内の両方に向けられ得るということです。

薮下遊、髙坂康雅『「叱らない」が子どもを苦しめる』(ちくまプリマー新書)
藪下遊、髙坂康雅『「叱らない」が子どもを苦しめる』(ちくまプリマー新書)

外に向かう場合は、「こんなうるさい場所には居たくない」「担任が言うことを聞いてくれない」などのように外界が思い通りにならないことへの不快として表現されます。内に向かう場合は、「自分自身が思い描いた姿でいられないことが不快」という形で表出します。理想通りの姿でいられないことが大きな不快と感じられ、そんな不快が生じる可能性のある状況からの回避という結果になるのです。

もちろん、生育歴の中で「世界からの押し返し」の経験が少ない子どもであっても、学校という「思い通りにならない場所」での体験を通して成長し、それなりに学校環境に適応していく場合がほとんどではあります。

しかし、一部の不登校をはじめとした学校での不適応は、こうした「世界からの押し返し」が少ないために生じている可能性があるのです。

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藪下 遊(やぶした・ゆう)
スクールカウンセラー
1982年生まれ。仁愛大学大学院人間学研究科修了。東亜大学大学院総合学術研究科中退。博士(臨床心理学)。仁愛大学人間学部助手、東亜大学大学院人間学研究科准教授等を経て、現在は福井県スクールカウンセラーおよび石川県スクールカウンセラー、各市でのいじめ第三者委員会等を務める。共著に『「叱らない」が子どもを苦しめる』(ちくまプリマ―新書)がある。

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髙坂 康雅(こうさか・やすまさ)
和光大学現代人間学部教授
1977年生まれ。筑波大学大学院人間総合科学研究科心理学専攻修了。主な著書に『恋愛心理学特論――恋愛する青年/しない青年の読み解き方』(福村出版)、『深掘り!関係行政論 教育分野 公認心理師必携』(北大路書房)、『公認心理試験対策総ざらい 実力はかる5肢選択問題360』(福村出版)、『本番さながら!公認心理師試験予想問題 厳選200』(メディカ出版)、共著に『「叱らない」が子どもを苦しめる』(ちくまプリマ―新書)などがある。

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(スクールカウンセラー 藪下 遊、和光大学現代人間学部教授 髙坂 康雅)

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