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SMAP解散で「奇跡」を信じられなくなった…「ソフト老害」を自覚した鈴木おさむが「テレビの人」を辞める理由

プレジデントオンライン / 2024年3月14日 15時15分

1972年4月千葉県生まれ。高校時代に放送作家を志し、19歳で放送作家デビュー。バラエティーを中心に多くのヒット番組の構成を担当。映画・ドラマの脚本や舞台の作・演出、小説の執筆等さまざまなジャンルで活躍 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

放送作家の鈴木おさむさんは、2024年3月で放送作家業と脚本業から引退する。その理由の一つに「自分が『ソフト老害』になっているのではないか」という悩みがあったという。「ソフト老害」とはなんなのか。ジャーナリストの浜田敬子さんがインタビューした――。

■40代は「しんどい」と覚悟していた

――鈴木さんが提唱された「ソフト老害」という考え方が大きな反響を呼んでいますね。これだけの反響があったということは、「もしかしたら?」と自分を振り返った人が多かったのだと思います。

「ソフト老害」は鈴木さんご自身が40代での経験から名付けられたものですが、鈴木さんは40代から「老害」を自覚されていたんですか。

【鈴木おさむ(以下、鈴木)】僕はずっと40代ってしんどそうだな、と思っていたんです。一緒に仕事をしてきた人たちが、40代になって立場が上がると変わってしまうのも見たし、変わらざるを得ない事情も理解できたんです。だから40代になる前にいろんな先輩に、「40代ってしんどいですか」って聞いていたら、「しんどいよ」って。「やっぱ、しんどいんだ」と、僕は覚悟して40代になりました。

■「仕事が面白くなくなってきたな」

――その40代での「しんどさ」、鈴木さんにとってはどんな形で体験することになったんですか。

【鈴木】僕は19歳から放送作家の仕事をさせてもらって、30代ですでにいろんなヒット番組をやらせてもらっていました。その時にはある種の全能感もあったし、勘違いもしていたと思います。

そんな中で、自分が一緒に仕事をしてきたテレビ局の人たちが40代になり出世し、立場が変わって、会社のこと、全体のことを考えるようになると、僕も彼らに寄り添った立場で考え、発言するようになりました。

それ自体悪いことではないんですが、そうなると30代まで自分が面白いと思ったことをマグマのようにボーンと出せたのが、1回ブレーキをかけたり、全体のことを考えてマイルドにコーティングしたりするようになる。僕自身が自由じゃなくなっていて、いろんなバランスを考えるようになっていたんです。

でも最初は自分では気づいていないんですね。ただ、少し仕事が面白くなくなってきたなとは思っていました。

■テレビ局のルールに合わせる自分にモヤモヤ

――仕事が面白くなくなったと自覚したのは、いつ頃だったんですか?

【鈴木】僕は41歳から飲食業を始めました。東日本大震災の時に、会社員の人たちが「一致団結して頑張ろう」と言っていたのを見て、フリーであることに少し寂しさを感じて、自分のチームを作りたくなったんです。

引退した力士を応援するということで始めたちゃんこ屋の経営を通して、それまで会わなかった相撲界の人と会うようになってすごく刺激的だったんです。放送作家の仕事の中でいろんなバランスを考えてしまっている自分と、自分の好きな道で思い通りに生きている力士を比べるようにもなっていたんですね。

さらにサイバーエージェントと仕事をするようになってインターネットの世界を知り、ネットの脅威やテレビへの影響も客観的に俯瞰することができるようになっていました。それなのに、テレビ局のルールに合わせにいっている自分にモヤモヤが募っていたんです。それが40代前半です。

■「おさむ部屋」は効率的だったが…

――ある時に、若いADのアイデアに対して、鈴木さんの意見が通ってしまったことで、そのADのアイデアを結果的には潰してしまうことになったんですよね?

【鈴木】30代ではAとBのアイデアがあった場合、自分の感性だけで「A」と言っていたのが、40代になると本当は「A」が面白いと思っているのに、一緒に仕事をしているプロデューサーさんのことを考えて「B」と言ったり、プロデューサーさんが「B」と言ったら、僕も「B」のアイデアを通すためにみんなを説得するようになっていたんです。それが結果的に、若い人のアイデアや意見を潰してしまったこともありました。

コロナでリモートが普及する前、僕はあるテレビ局でたくさん番組を持っていたので、自分とプロデューサーさんがいる会議室に、各番組の担当者が交代でやってきて打ち合わせをするようになっていたんです。一番効率的だったからその形になっていたんですが、周りでは「おさむ部屋にご意見を伺いに行く」という感じで噂されていたそうです。自分の感じ方と周りからの見え方が違っていたことに、僕は40代中盤まで気がついていなかった。

鈴木おさむさん
撮影=プレジデントオンライン編集部
著書『仕事の辞め方』(幻冬舎)で、自分の行動が若者の邪魔になる「ソフト老害」を提唱した - 撮影=プレジデントオンライン編集部

それが一番効率的だからと言いながら、そのシステムに自分があぐらをかいていたのかもしれません。僕を中心としたシステムにも若い人たちが不満を抱いていたことが徐々にわかってきたんです。

■「ソフト老害」のわかったフリはバレている

――なぜ「ソフト老害」という言葉がこれだけ大きな反響を呼んだと思いますか?

【鈴木】「バズってますよね?」「そういう人、いますよね?」と言われることもありますが、そういう人には「お前だよ」と思います。そして「俺もソフト老害だよー」なんて言う人は本気で思っていない。

僕は出世や成功を考えることはいいと思うのですが、それをひた隠しにして、いかにも若い人に理解があるようなフリをするのが「ソフト老害」だと言っているんですね。

恋愛でも別れる時に「他に好きな人ができた」と正直に言ってもらったほうがいいのに、「俺はまだお前のことが好きなんだけど、本気で好きになれないから」と言ったりする。これを僕は「ラブ老害」と言ってるんですが、それって言い訳じゃないですか? 嫌われたくないだけ。

40代の仕事も似ていると思うんです。自分が嫌われたくないから、いろんな言い訳を並べて本当のことを言わない。それが優しさだと勘違いしているんです。でも、若い人はわかっているんですよね。情報は自分が思っているよりも、周囲には入っていると思ったほうがいい。それなのに言葉を濁して伝えるから、「もうやめてくれよ」と思われてしまうんです。

■信頼できる管理職、信頼できない管理職

――3月4日に放送された「渋谷のラジオ」の「やさしいラジオ」という番組では、渋谷の街中に設置された電話ボックスから募集した悩みに鈴木さんが答えていらっしゃいました。その中に40歳の会社員から「これから新入社員が入ってくるけれども、どう接したらいいのかわからない」という不安が寄せられていましたね。

今は管理職が「罰ゲーム化」しているともいわれるほど、管理職世代にとっても辛い時代です。どう若い人に接すればいいと思いますか?

【鈴木】僕らが若い時に憧れだった人が管理職になって厳しくなると、「自分は若い時やんちゃしてたのに、なんだ、管理職になって厳しくなりやがって」とみんなで文句を言っていたことがあります。でも、「俺はマインドチェンジしたんだ」とハッキリ言われたら、僕はめちゃくちゃスッキリしました。逆にこの人は信頼できると思ったんです。

自分に罪悪感があるから、「お前らのことがわかるよ」などと言うんだけど、「会社のことを考えて発言するけど」と言ってもらったほうがスッキリする。上のポジションに行きたいという気持ちもわかるし、若手にもバレていると思ったほうがいいです。

「やさしいラジオpresented by みずほ銀行」に出演した鈴木おさむさん(中央)
写真提供=GO
「やさしいラジオ presented by みずほ銀行」に出演した鈴木おさむさん(中央)。渋谷に設置された「やさしい電話ボックス」に寄せられた新生活の悩みに答えた - 写真提供=GO

■46歳、SMAPが解散して茫然自失に

――優しさのつもりで言っていても、結局は嫌われたくないだけだと。鈴木さんが考える「優しさ」ってどういうことでしょうか?

【鈴木】優しさのつもりで言っていても、その人のことを本当に考えているとは限らない。優しさと厳しさは隣接していて、時には離れたり突き放したりすることも必要なんです。「私が言うしかない」と思い込むのも自己満足だったりする。上の世代になるとどうしても優しさを履き違えるか、自分基準で考えがち。相手の立場になったら何をその時に言われたほうがいいのかを考えてあげることが優しさではないでしょうか。

そして表面的な優しさが罪だとわかると振り切れてくるんです。要はその人自身がどう仕事をしていくのか、40代に自分の哲学を持って生きると、50代には振り切れた人になるんです。

――鈴木さんは3月末で放送作家という仕事を辞めることも決めていらっしゃいますね。それは振り切った結果ですか?

【鈴木】僕は長年一緒に仕事をしてきたSMAPが解散して、46歳の時に一時期茫然自失な状態になってしまいました。その後は仕事へのスイッチがこれまでのようには入りづらくなってしまったんですね。

その時にバランスをとっている自分とスイッチが入らない自分の間でモヤモヤした期間が続いたんです。モヤモヤを振り払うように、Netflixでドラマを作ったり新しいことにも挑戦しました。それは良かったんですけど、もはやそれすら自分の中でのデジャブ感があったんです。

■「辞める」「離れる」はネガティブな選択肢ではない

――「辞める」という選択肢しかなかったんですか?

【鈴木】僕はフリーランスだから、会社員のように退職する、「辞める」という選択肢は本来ないんですよ。会社員でも自分の中に「辞める」という選択肢が思い浮かばない人も多いと思います。頭の中に「辞める」という選択肢がない人ほど、「辞める」とか「離れる」という選択肢をネガティブなものとして捉えているのかもしれません。

僕はたまたま(山下)達郎さんのライブで「LAST STEP」という曲を聞いて、突然「そっか、辞めるという選択肢があるんだ」と気づいたんです。そこから頭の中には「辞める」という選択肢はずっとあったんですが、コロナ禍になって、番組作りも大きく変更していかなくてはならなくなって、それどころじゃなくなりました。でも、コロナが落ち着いてきて、「もう一度以前と同じことをやっていくのか」と思った時に、改めて「辞めよう」と決めました。

■「辞める脳」から引き戻してくれたひとこと

――一度辞めないと新しいことはできないと思ったんですね?

【鈴木】そうなんです。周りの人に僕への固定観念があって、放送作家、脚本家、テレビの人と思われていることで意外と自由になれない。

――迷いはなかったですか?

【鈴木】僕自身は次に何をやるかよりも、先に辞めると決めていたので清々しい気持ちでした。

ただ、辞め方はちゃんとしようとは思いました。知り合いのプロデューサーさんから「おさむさんが辞めることで人生が変わる人もいますからね。だから発表するときにはそういう人への気遣いは欲しい」と言われました。

一度「辞めるぞ」と決めると、人は頭の中が「辞める脳」になってしまって、人に迷惑をかけることが意外と自分では見えなくなる。僕も「辞める」と決めたあとは、ワクワクしていたので、それを言われた時に「ああそうだ」と思って。

AD時代から一緒に仕事をしてきたディレクターさんは、僕との出会いについての長文のメッセージを送ってくれました。そうか、意外と周りの人にダメージを与えているのかもしれないと思って、一つずつ感謝していかなくちゃいけないと思うようになったんですね。

■新天地で成功することは「逃げる」よりしんどい

――同世代からは「羨ましい」と言われたりしましたか?

【鈴木】「逃げる」と思っている人はいると思います。今のテレビの状況から「いい時に逃げますね」って言われますが、それは違うんですけどね。

僕が次にやることで成功すれば、今の40代、50代の人に光を灯すことになるとも思っているんです。新しい世界で仕事を始めて成功させることは、逃げることよりよっぽどしんどいことです。僕は人生2回目の天職を見つけたいと本気で思っています。

鈴木おさむさん
撮影=プレジデントオンライン編集部
「40代、50代に光を灯したい」と語る - 撮影=プレジデントオンライン編集部

次に始めることはまだ対外的には「若い人を応援する」ということまでしか言えないんですが、既にそのために動き始めています。いろんな人に相談に行くと、「いいですね」と言いながら、目は全然笑っていない。話に乗ってないのがわかるんです。

こちらからお願いをすることなんて、最近はやってきていませんでした。もちろん嫌なんですけれど、それがいいんです。嫌なことは人を成長させるので。

■「SMAP×SMAP」で学んだ「器を変える」

――これまでやってきた放送作家や脚本家、小説家の経験を今後の仕事にどう生かしていこうと思われていますか?

【鈴木】自分でこれまでやってきたことの移植はできるなと思っています。

僕は「SMAP×SMAP」を作るときに、プロデューサーさんに「器を変える」っていうことをよく言われて、それが自分のものづくりの基本になりました。ゼロから作らなくてもスライドさせる。わかりやすく言うと、マグロの刺身をカルパッチョにするとか。みんなマグロそのものを自分で作ろうとする人が多いんだけど、味付けと盛り付けを変えて見せることが大事だと思っているんです。

今は自分をマグロに見立てて、器を変えてみようと思っているんです。

映像業界では50代以上は本当にしんどいんです。ギャラも高くなるから仕事も減っていったりする。やっぱり若い人のほうが新しい感覚を持っていますし。それなのに、みんな放送をやってきたからずっと放送に関わらなきゃと、やってきたことに固執しがちです。でも、みんなとても優秀なので、これまでの経験を生かしながら、例えばアパレルとかに挑戦してもいいんじゃないかと思います。

ただ僕はまだ3月31日に書籍を2冊も出しますし(インタビューは2月下旬)、今から脚本を書く映画もあるし、Netflixのドラマもこれから放送されるものもあります。結果的に2026年ぐらいまで、作品は世の中に出ます。3月いっぱいはこうした仕事を全力でやり抜こうと思っています。

■「やりたいこと」を続けることを才能と呼ぶ

――「やさしいラジオ」では、今の時代は、新しいことを始めようと思った時に、いろいろな手段はあるから、言い訳がきかない時代になってきたともおっしゃっていますね。

ラジオで話す鈴木おさむさん
写真提供=GO
「やさしいラジオ presented by みずほ銀行」では、「自分の人生がすごく空虚なものだと感じる」という悩みに「やりたいことが見つかるかどうかは才能と運だと思う。大切なのは外に出ることと人にたくさん話すこと」とアドバイスした - 写真提供=GO

【鈴木】僕は以前大学で授業を持っている時に、いろいろな人に来てもらっていたんですが、一度(YouTuberの事務所である)UUUMの創業者である鎌田(和樹氏、2023年9月に取締役会長を退任)に来てもらったことがあるんです。

その時にある大学生が「俺、結構コネがあってYouTuberやろうと思っているんですよ」って言ったんですね。そしたら鎌田が「今すぐに始めたらいい」って言ったんです。その後も「1回目どう投稿したらいいかなと思って」という学生に対して、「だからまずはやればいいんだよ」と。

それが全てなんですよね。やるかどうかが大事。今の仕事を辞めなくても、今の気持ち、やりたいことをノートに書くのでもいい。そしてその気持ちを持続させて、何かを始めて続けることを才能と呼ぶんだと思います。

■放送作家として経験した「最後の奇跡」

【鈴木】最近、僕はバラエティー番組の企画として、(ヒップホップグループの)BAD HOPに1週間で1000万円使わせるという企画(https://abema.tv/video/title/90-1910)を手がけていました。

メンバーの中の数名がギャンブルのために韓国に行って40分で300万円すってしまうんですが、絶対に増やして帰ってくるからもう1回韓国に行きたいと言った時に、その資金として僕が自腹で100万円渡しました。途中、2日間音信不通になったんですが、結果的にその100万円を1000万円にして帰ってきたんです。

僕が放送作家を辞めるのって、こうした「奇跡」を信じられなくなったからなんですよ。ずっと一緒に仕事をしてきたSMAPは、1%の奇跡を信じた企画を作ると、高い確率でミラクルを起こしてくれたのですが、彼らが解散して以降、奇跡はなかなか起こらないことに気づいて、それを信じた番組作りができなくなったんです。でも最後にこうやって奇跡を信じさせてもらえたことで、「これで辞められる」と思いました。

鈴木おさむさん
撮影=プレジデントオンライン編集部
ラジオやコラムなどの仕事は続けるとともに、これからは「若い人を応援する」という - 撮影=プレジデントオンライン編集部

ロケ終了後に、彼らが僕と最後に写真撮影したいというので待っていると、1時間待たされたんですが、戻ってきた彼らがロレックスの時計をプレゼントしてくれました。そんなことも、スターらしくてカッコよくて、嬉しかったですね。

伝説を残す人は自分の信念で走っている。強い信念を持ち続けた先に優しさってあるんだと思いました。だから僕も辞める時に、自分が強く思うことを全うした先に出てくるものを人にあげたい。それが優しさなのかなと思っています。

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浜田 敬子(はまだ・けいこ)
ジャーナリスト
1966年生まれ。上智大学法学部国際関係法学科卒業後、朝日新聞社に入社。前橋支局、仙台支局、週刊朝日編集部を経て、99年からAERA編集部へ。2014年に女性初のAERA編集長に就任した。17年に退社し、「Business Insider Japan」統括編集長に就任。20年末に退任。現在はテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」などのコメンテーターのほか、ダイバーシティーや働き方改革についての講演なども行う。著書に『働く女子と罪悪感』(集英社)、『男性中心企業の終焉』(文春新書)。

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(ジャーナリスト 浜田 敬子)

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