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「例を見ぬ苛酷な判決」弁護人が判決に対して意見したこと~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#28

RKB毎日放送 / 2024年4月16日 16時15分

横浜軍事法廷で、被告41人に次々に死刑が言い渡され、女性弁護士が泣き伏した石垣島事件。日本人で弁護人を務めた金井重夫弁護士のハンコが押された「石垣島事件の判決関する意見」という文書が国立公文書館にあった。「事実を誤認され、重罪に」「彼らは行為の違法性を認識にしていない」と指摘した金井弁護士が、さらに判決に憤慨したのはー。

◆刺した兵はみんな死刑

石垣島事件では、3人の米軍機搭乗員が殺害された。その日、石垣島を空襲していたグラマン機の搭乗員だ。3人の搭乗員のうち、ティボ中尉とタグル兵曹の二人は、それぞれ幕田稔大尉と田口泰正少尉によって斬首された。そして3人目のロイド兵曹が杭に縛りつけられ、数十人の兵によって銃剣で刺突された。ロイド兵曹を最初に刺したのが藤中松雄一等兵曹、そして二番目に刺したのが成迫忠邦上等兵曹だった。金井弁護士は、このロイド兵曹に刺突した兵が一様に死刑を宣告されたことについても不合理さを指摘している。

◆疑わしきは被告人の有利に従うべき

(石垣島事件の判決関する意見)
1,認定について(続き)
(二)判決は三番目に銃剣により刺突された飛行機搭乗員に対し数十名が刺突した後も生きていたと認定している。その結果として、刺突した者はおおかた、「生きていた人を殺害したものである」とした。それは、1人の証人の不確実は証言に基づくものと考えられるが、検察側といえども起訴状付属の罪状項目には、「死体を冒涜し」の一句を入れている程で、この事実の認定は甚だ飛躍的であり、非科学的でもあり、非常識でもある。「疑わしきは被告人の有利に従う」という裁判上の原則は、尊重されねばならない。

この連載の前々回、ロイド兵曹を二番目に刺した成迫上等兵曹の法廷での証言にある通り、藤中松雄が最初に刺した時点で絶命したようにみえたロイド兵曹がずっと生きていたという判決の事実認定に対して、金井弁護士は「非常識」とまで言い切っている。

◆証拠の採用は偏見を持っていた何よりの証拠

さらに、証拠の採用について金井弁護士の指摘は続く。

(石垣島事件の判決関する意見)
二、証拠について
(イ)本判決は、検察側作成の口述書を全面的に有効とし、その内容を事実に合するものとして採用した。しかし、この口述書は大部分、暴行、脅迫、詐言により作られたものであり、ある者は宣誓の事実を否定し、ある者は朗読してもらわなかったと主張し、ある者は問答の無かったこと、又は自己の答弁と違ったことが記載されていると陳述している。そのことは大部分の被告人が公判廷で述べた所であり、検察側作成の口述書が誤謬(ごびゅう)に満ちていることは疑うべからざるところである。

それは無効であるか、少なくとも証拠としての価値が極めて少ないものと言わねばならない。そのようなものを全面的に信用し、主としてこれに基づいて事実を認定したため、前記のような事実の誤認が結果したのであって、その証拠の採用はこの委員会が偏見を持っていた何よりの証拠であると思う。

◆公正な態度を全く欠いた裁判

(ロ)本判決は被告人が良心に従い、公判廷で真実を披瀝した証言を一切しりぞけた。被告人に不利な証拠はことごとく採用しながら、有利な証拠には全く耳をふさいだとしか思われない。その理由についてはこの委員会が公正な態度を全く欠き、予断、偏見、被告人らに対する憎しみをもって審理に当たったと判断する以外には、考える事ができない。たとえ軍事裁判であっても、裁判である以上、この態度のゆるさるべからざることは、論を待たない。

取り調べでとられた調書が不本意なものであったことを、被告たちは法廷の証言台で次々に述べた。しかし、暴行、脅迫によって作られたその証拠を委員会が全面的に採用したことについて金井弁護士は、この戦犯裁判自体が、そもそも米軍の偏見に基づくものであり、公正なものではなかったと主張している。

◆異常な記憶力の保持者でなければ憶えていない

次に金井弁護士は、事件後1~2年も経って、自分のことならまだしも、他人が何をしていたかを正確に憶えていることはあり得ず、間違いだらけの調査が進められたと指摘する。

(石垣島事件の判決関する意見)
(ハ)本事件の検察側調査は、事件発生後1年半から2年半の期間を経過して行われたものであり、しかも関係者はほとんど現地でマラリヤ病に罹り、高熱を繰り返している。その記憶の薄れていることは当然のことである。自己に帰することについては、ある程度の記憶の残存は肯定できるものの、他人の言動に帰する記憶の不正確さは、特に言及するまでもない所であるに、検察側は各被告人、その他の者に関する不正確な記憶を集めて調査を進めたのであって、誤謬(ごびゅう)の累積を結集している。微細にわたる、他人の言動に関する検察側の各被告人に対する口述書又は検察側証人の証言は、正確な記憶に基づいたものではなく、想像によるか、検察側の暗示、誘導に基づくものが極めて多いことは、常識のある者ならば直に看破できるものである。これを真正なものとするためには、彼らが異常な記憶力の保持者であることを前提としなければならぬ。

◆食糧難、輸送難、マラリヤ病蔓延を考慮すべし

石垣島事件が起きたのは、1945年4月15日。すでに沖縄戦が始まり、石垣島は連合軍から連日、空襲され、石垣島警備隊でも死者が出ている中でのことだった。金井弁護士はそこに言及し、量刑が重すぎると主張している。

(石垣島事件の判決関する意見)
(ニ)量刑について
本事件の当時は、味方の戦況極めて不利な時であり、かつ米軍の沖縄作戦が開始された後である。直属上級司令部との連絡は途絶え、連日の空襲により、闘志はみなぎり、全員、玉砕を覚悟して、時機の切迫した敵軍の上陸に対する防備に全力を傾けていたのである。この時、俘虜を入手した警備隊では、抑留しておくにしても、台湾などに押送するにしても、兵力の一部は割かねばならず、食糧難、輸送難、さらにマラリヤ病蔓延の事情がこれに加わっては、実際の所、その俘虜をもてあましたので、殺害を決意した心的課程は理解するに困難ではない。それか、違法であってもこの事情は量刑に当たり考慮されるべきで、内地の部隊、又は俘虜収容所などにおける同種事件と同一に論ずることは極めて苛酷である。ガダルカナル島における連合軍の日本軍人虐殺については、スミス検事自身、公判廷において、井上乙彦氏(石垣島警備隊司令)に対する訊問に言及している。委員会構成員も軍人である以上、この点に対する考慮を期待することは決して不当ではないと考える。

◆例を見ぬ苛酷な判決と言わねばならぬ

(石垣島事件の判決関する意見)
(ロ)45名中(注・起訴時46名で1人分離)41名に対し絞首刑を宣告すると言うのは、この種、集団犯罪に対する刑罰としては、あまりにも不当である。その無茶であることについては言うべき言葉を持たない。集団犯罪の責任を論ずる時には、必ず人により、軽重の生ずることになるのは理の当然である。頭も手足も同一の責任を負い、教唆者も被教唆者も等しい刑を受けるという事は、量刑の初歩的法則をも無視するものと言わねばならぬ。前例に照らすも、例を見ぬ苛酷な判決と言わねばならぬ。ことに、本件は軍隊の組織を利用して行われたものである。刑責者であり教唆者である、上級者と教唆せられて実行した者との間に、大幅な、場合によれば段階的な差などが刑に付き、設けられねばならぬ事は自明の理である。前例に照らすも、本判決に類するものは存在しない。

金井弁護士は、石垣島事件の戦犯裁判は、ほかの裁判と比べても苛酷すぎると述べた。死刑を宣告された41人は、その後、2度行われた再審査によって34人が減刑され、最終的に藤中松雄ら7人が絞首刑を執行されたー。
(エピソード29に続く)

*本エピソードは第28話です。
ほかのエピソードは次のリンクからご覧頂けます。

◆連載:【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか

1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。

筆者:大村由紀子
RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社
司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞などを受賞。

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