インバウンド需要拡大が抱える光と闇…不安定・低賃金の雇用創出が問題になり得るなか、目指すべく「長期滞在して何度も訪れたい」街になるための8つの指標
集英社オンライン / 2024年3月14日 8時1分
日本経済の起爆剤として数年前から期待されていたインバウンド消費ではあるが、観光庁の発表によると2023 年の訪日客消費は約5.3 兆円だった。こんなにも大きな経済効果をもたらしているインバウンド。とはいえ、オーバーツーリズムの問題など、外国人観光客に日本経済を委ねすぎることはリスクも生みかねない。果たしてインバウンド戦略は適切な戦略なのか。また、今後どのように展開されるべきなのか。『コロナショック・ドクトリン』(論創社)の著者で、立命館大学経済学部教授の松尾匡氏に聞いた。
インバウンド需要が80万人の雇用を創出する
今年に入り、さらに加速しているインバウンド消費による経済効果の大きさについて、松尾氏はその経済効果は小さくないと評価する。
「昨年度の私のゼミの卒業生が『もし移動の容易さがコロナ禍前と変わらなかった場合、2022年にどれだけのインバウンド消費があったのか』について、各国の為替レートやGDPから推計したところ、その額は6兆円を超えました。
なにより、卒業生の推計では、インバウンド消費によって直接、間接を含めて80万人の雇用が生まれる計算になっています。日本の主要産業である鉄鋼や半導体製造装置の輸出額はそれぞれ4兆円ほどであることを鑑みると、昨年の5兆円という額はそれなりに大きな数字です」
雇用創出にひそむワナ
雇用創出に大きく寄与することはわかったが、それは決して喜ばしいことではないという。むしろインバウンド需要による雇用創出はデメリットにもなりかねないと指摘する。
「少子高齢化の加速に伴い、介護や医療などといった福祉分野に関連する労働需要は今後莫大になります。そんなタイミングで、インバウンドから波及する労働需要のために雇用がとられてしまうと、庶民の日常生活のために必要な分野での人手が確保できなくなる。
私が勤務する立命館大学のある京都市を対象に、大学院のゼミ生が詳細に推計したところ、2025年には高齢化から波及する労働需要により、現在よりも4.5万人の働き手が必要になるとのことです。そこにインバウンド需要から波及する労働需要が加わった結果、京都市では少なくとも約16 万人、多ければ約29 万人の労働人口不足が発生することがわかりました。これは京都市に限らず各地で想定される事態です」
人手不足が深刻化している今現在、観光業界での雇用創出はむしろ私たちの生活の質を大きく下げることにつながりかねない。さらには、生み出される雇用は決して割のいいものではないと説明。
「現在の日本の観光産業は、確かに多くの雇用を生んでいます。とはいえ、その多くは非正規労働です。とても不安定な低賃金労働になっています」
総務省『労働力調査』を見ると、2022 年の宿泊業の非正規労働者の割合は54%。全産業(37%)と比較すると10ポイント以上も高い。加えて、厚生労働省『令和4年賃金構造基本統計調査』によると、「宿泊業、飲食サービス業」(257.4万円)は全産業の中で最も低かった。インバウンド需要によって不安定かつ低賃金な求人が多く誕生するのであれば手放しには喜べない。
外国人観光客過多で今住んでいる街に住めなくなる
人手だけではなくて“土地”に与える悪影響も解説する。
「インバウンド需要から波及する土地需要の高まりにより、地価高騰を招きかねない。その結果、お年寄りをはじめ、一般人は都市で暮らせなくなるという問題が発生します。京都でも現在、“ジェントリフィケーション(低所得層の居住地域が再開発などによって活性化した結果、地価が高騰する現状)は問題視されています」
インバウンド需要に伴う問題として、オーバーツーリズムやゴミのポイ捨てが取り上げられるケースが多い。しかし、インバウンド消費の盛り上がりが、今住んでいる街を出ていくことになりかねない可能性があることは特に問題視されなければいけない。
インバンド価格という高級路線の落とし穴
そもそも、2023 年の訪日客消費は約5.3 兆円という過去最高を記録したとはいえ、インバウンド消費が日本各地を豊かにしているとは言い切れない。
「外部の資本が入り込み、インバウンドによる利潤の多くは地元に全く落ちずに外部に流れることもしばしば。なんとか地元を潤すために、しばしば“高級路線”が叫ばれます。つまりは世界の比較的富裕層の観光客をターゲットに据え、付加価値の高い価格帯でサービスや品物を提供することで、そこで働く人の所得も高くしようという路線です。京都市も高級化路線を目指して、超高級ホテルを建設したりなど進めています。
しかし、地元住民が利用できない商店やサービスで溢れることを意味しており、先述したジェントリフィケーションも相まって、今住んでいる地域で暮らすことは今後困難になりかねません」
豊洲の超高級海鮮丼「インバウン丼」に代表されるように、高級路線に舵を切る飲食店や宿泊施設は珍しくない。日本各地でそうした傾向が高まれば、国内で暮らす人は安定した生活を送ることが容易ではなくなる。インバウンド戦略推進は私たちの生活レベルを大きく変えるということは頭に入れておきたい。
良質なファンを増やすために大切なこと
いろいろなデメリットも見えてきたが、松尾氏は今後インバウンド戦略を展開するうえで意識すべき点を提言する。
「大分県由布院温泉は以前、観光地として大きく成功したのですが、その弊害としてまさに近隣住民にとっては住みにくい街になってしまった。そのことを反省して、“住民が住みやすい観光地こそが優れた観光地”という理念のもと、交通調査をして自動車の乗り入れを規制したり、景観を統一したり、近隣の農家と共同したりといった街づくりに着手。
そして、由布院温泉は“良質なファン”が増え、住民からも観光客からも愛される観光地になりました。高級品にお金を使う富裕層がイコール地元にとってありがたい客ではありません。街と住民にリスペクトのある良質なファンであれば懐具合に関係なく、やさしく末長く、結局たくさんのお金を使ってくれます。そういった観光地を目指せば、なにも高級路線に転換する必要は生まれません」
良質なファンを増やす街づくりを目指すためには、別に特別なことは必要なく、下記の8つを街づくりのポイントとして例示している。
・近隣住民が気楽に買い物できる街
・安心して便利に暮らせる防災性に優れた街
・急な病気や怪我があってもすぐに優れた医療にかかれる街
・公共交通が充実して快適な街
・子どもが自由に遊べる街
・お年寄りでも障害者でも使いやすいバリアフリー化されてケアの行き届いた街
・暮らしに困って犯罪に走らざるを得ない人がいない街
・観光資源である歴史や文化や自然などを、住民が誇りを持って暮らしの一部にして、大事に守っている街
「これを目指せば、自ずと良質なファンはついてきます。その結果、世界中の多様な観光客にとって『長期に滞在して何度も訪れたい』と思える街になるでしょう」(松尾氏)
そこに住む住民の暮らしのために労働や土地を豊かに確保する街づくりを進めることが、外国人観光客の満足度・リピート率にもつながるのかもしれない。
どこにでもある街並みになりつつある京都
それでは、インバウンドを盛り上げるため、すなわち日本に住む人が暮らしやすい街づくりをするために政府や自治体が講じるべき政策にとして「特別なことはせず、福祉、医療、教育、防災、子育て支援など人々のために財政出動すればいい。そして、地元の庶民向けの小規模伝統産業が成り立たなくなるような税制はやめること」と話す。
「また、近年各地で進行している伝統技能衰退と景観破壊などをとめなければいけません。例えば京都市では、住民が豊かに暮らすための支出を減らし、伝統技能継承のための予算もほとんどつけません。おまけに地下に新幹線を通すために地下水脈を壊したり、駅前をどこにでもある街並みに再開発したりなど、 街の良さを損なうようなことにお金を使う計画ばかり立ててきました。
京都市は観光地の代名詞ですが、今のままでは外国人観光客だけではなく日本人観光客からも見放されかねない。京都市に限らず、今後は住民や伝統文化などに目を向けたお金の使い方を意識してほしいです」
今後もインバウンド戦略を推進するのであれば、まずは住民ファーストの視点を持って運営してほしい。
取材・文/望月悠木
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