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「祖父が全裸で街を徘徊して…」風間トオルが語る“極貧”ヤングケアラー体験

集英社オンライン / 2022年9月17日 16時1分

人気モデルから俳優へ転身し、現在もドラマ「科捜研の女」シリーズ(テレビ朝日系)などで活躍する風間トオルさん(60)。バラエティ番組などで子供の頃の壮絶な貧乏話を明るく披露し視聴者を驚かせたこともあったが、風間さんは当時、極貧生活を送っていただけでなく、認知症の祖父の世話に追われるヤングケアラーでもあった。風間さんに当時の体験と、それをもとに今、周りの大人ができることは何かを聞いた。

僕が道を外さずにこれた理由

雨漏りするような6畳1間で

風間さんが祖父のケアをしていたのは、小学生のときのこと。5歳のとき、両親が離婚。風間さんは父方の祖父母と父とともに暮らすことを選んだが、父もまもなく家を出て、祖父母と3人暮らしに。そこへ祖父が認知症を発症してしまったのだ。


ケアしていたというより、当時は当たり前と思ってやっていたんですけどね。僕のほうが育ててもらって、祖母は風邪をひくと「バナナだよ」と、貧乏なのに、当時は高級で“庶民の憧れ”だったバナナを買ってきてくれたりしましたから。

父が家を出た後、祖父母と一緒に、それまで住んでいた長屋を出て、近くのアパートに転居しました。トタンでできたそのアパートは、傾いていたせいで玄関扉もガラス窓もキチンと閉まらず、夏は暑く冬は寒く、雨漏りもするような6畳1間。

小さな台所とトイレはありましたが、お風呂はなし。そんな部屋に祖父母と3人、ピタリと布団をくっつけて敷いて寝起きする――そんな毎日でした。

客観的にみれば悲惨な状況でしたが、祖父母は「まあ、いいか」とひょうひょうとしていて悲壮感はありませんでした。おかげで僕も暗い少年時代を過ごした、とは思っていません。いつもお腹はすかせていましたけどね(笑)。

祖父母は大正生まれで祖父は大工でしたが、僕と3人暮らしを始めた頃はもう引退していて、家計は祖父母の年金頼み。それで極貧生活を送ることになったわけです。でも、祖母はサバサバしてたくましく、家を仕切っていました。祖父は寡黙な職人タイプでしたね。

全裸で歩きながら排泄も

風間さんは、手続きのし忘れで、1年遅れで小学校へ。祖父の様子がおかしくなったのは、その頃から。糖尿病を患っていた祖父はおそらく脳梗塞か何かを発症して倒れ、寝込むようになった。それを機に徘徊するようになったのだ。

突然、出かけようとするので、「どこに行くの?」と聞くと、「山梨の田舎に帰る」と。「何言ってるの」「ダメだよ」と祖母がなだめても聞かず、暴れて大声を出す。おとなしかった祖父の変わりようにビックリです。

祖父は身長165センチ、体重は70~80キロだったと思いますが、子供の僕からすると大きくて。羽交い締めにしたり、ときにはプロレス技の足4の字固めをかけたりして(笑)、出かけるのを阻止していました。

そんな状況でも、学校には楽しく通っていました。それが僕の仕事だと思っていたので。その間は祖母が祖父をみていて……くれればいいのですが、祖母はパチンコが好きで店に通っていたので(笑)。今思えば、祖父に付きっきりで鬱々とするより、気晴らしになって良かったんじゃないかな、と。

祖父は祖母の姿が見えなくなると、「今がチャンス」とばかりに出かけていたのでしょう。山梨に帰ろうと家を出る。でも、道がわからず歩き回り徘徊する、ということだったのだと思います。

夏は暑いので、服を全部脱いで真っ裸で徘徊してしまう。小学校2年生のとき、友達と下校中、すごい臭いがしてきて「何だろう」と思っていると、友達が「うわ、見ろよ。あのじいさん、汚ねえ!」と指さしました。見ると、祖父が真っ裸で歩いていたのです。

しかも歩きながら排泄していて……! さらに、手で排泄物を他人様の家の壁に塗りつけていました。恥ずかしくて、「あれは僕のじいちゃんだ」と言えず、知らんぷりしてそのまま帰宅。友達が見えなくなるのを見届けてから、「じいちゃんは今、あのへんにいるかな」と予測して探しに行き、連れ帰りました。友達を見かけたら、電柱の影に隠れたりしながら(笑)。

「近所の野草を煮て、一緒に食べてました」

祖父の徘徊は日常に。そのため、下校後に祖父を探しに行き、連れて帰るのが風間さんの日課になった。連れ帰る“方法”を編み出し、お金をかけずに祖父の小腹を満たそうと試行錯誤するなど、風間少年は知恵と工夫で乗り切った。

連れ帰るといっても、簡単ではないんですよ。力ずくでは無理だし、「こっちだよ」と呼んでも、「やだよ」と逆方向へ行くので、僕はそのまた逆を読んでうまく家に誘導するんです(笑)。帰宅したら祖父の体を洗って、小腹を満たしてあげたりもしていました。

僕は空きっ腹を満たそうと、よく近所の公園などで草花をちぎって食べたり、アサガオを素揚げにして食べたりしていたので、祖父にも近所の野草を煮たりして食べさせたんです。「おいしい」と言うので僕も食べてみるとおいしくなくて(笑)。本当に味がわかっていたのかなあ。

冬は寒いから裸にはならないんですけど、下校して帰ってきたら、排泄物を家の中の壁や畳になすりつけていたことがありました。たぶん、手に付いた排泄物が気持ち悪くて、壁や畳にこすりつけて拭おうとしたのでしょう。

臭くてたまらなくて、家の窓や玄関を開け放さずにはいられないんですけど、すっごい寒くて!

翌日は試験だったので、「まったく、なんでこんな日に」と思いましたが、祖父に怒っても何も解決しないので、畳を上げてホースで水を掛け流しながら、壁や畳を洗いました。家はお湯が出ず、水だからまた冷たいんですよ。

風呂がなかったので、祖父の体も家の外で洗って。寒くて、冷たくてかわいそうでしたけど仕方がない。お尻を洗われるのは恥ずかしいのでしょう。抵抗していましたね。

そんな祖父は、僕が中学へ上がる直前に亡くなりました。朝起きたら元気がなくて、そのままスーッと眠るように……。突然のことでした。祖母が「あれ、寝てんのかな?」「息引き取っちゃったのかな?」と言いながら確認して、お医者さんに来てもらいましたが、手遅れでした。

自分の気持ちより祖母が気がかりで、悲しい、とか、やっと介護から解放されてホッした、とも思いませんでしたね。祖父母は10人以上も子供をもうけ、添い遂げました。それが突然、亡くなったので、やはり喪失感は大きかったんじゃないかと思うのです。でも、冷静に祖父の死を受け入れていた。それで、僕も落ち着いていられたのかもしれません。

現代のヤングケアラーに思うこと

近年、ヤングケアラーという言葉をメディアでよく聞くようになった。厚生労働省によると、ヤングケアラーとは「本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子ども」のこと。子供は子供らしく、が理想だが、現実には小学生のヤングケアラーは6.5%もいるとされる。

小学生で祖父の介護をするなんて僕ぐらいだろうと思っていましたが、「僕みたいな子どもが、今の時代にこんなに大勢いるんだ」と驚いています。今って、もし裸の人が歩いていたら、昔よりずっと衝撃が大きいでしょうから、そんなことが起こらないようケアするのは昔より大変かもしれません。

でも、子供はどんな家に生まれるかは選べません。困っていても「うちはこうだから仕方がない」と受け入れ、「これは自分の仕事だ」と抱え込むことしかできないんじゃないかな。なかなか友達にも相談できませんし。せめて、いろいろと発見したりしながら、知恵で乗り切ってほしいな、と願っています。

周りの大人ができることは、地域ぐるみで気にかけてあげることが一番じゃないかと思います。まずは本人が心を開いて声をあげないと表に出てこない問題なので、周りはいかに声をかけるか。

「何かあったの?」と声をかけるということではなくて、普段からより親密になるために挨拶したり、たとえば町内会で子供を集めて相撲大会をやって、より近づいて距離感を縮めたりしておくことが大事。親しくなっていれば子供も心を開きやすいし、子供同士が話している内容を聞けば、その子供の置かれている状況を感じ取ることもできるんじゃないでしょうか。

僕が道を外さずにこれた理由

風間さんが祖父のケアをしていたのは1960~70年代。介護保険制度が創設されたのは2000年なので、風間さんがケアをしていた当時はまだ存在しなかった。しかし、みんなが周囲を気にかけ、家族だけでケアするのではなく、地域で互いに見守り支え合う空気がまだ残っていたのだ。

僕が住んでいた町は下町の雰囲気があったので、周囲に他人を気にかける空気がありました。僕は子供だったからよくわからなかったけれど、僕と祖父母のことを近所の人やおまわりさんは見守っていて、祖父を保護したりしてくれていたんじゃないかな。

祖父が家の中で排泄をしてしまったときも、隣の人に「臭い!」と言われたこともありませんでした。それもありがたかったです。

貧乏生活についても、お腹をすかせて近所の多摩川の土手で寝転がっていたら、ホットドッグ売りのご夫婦が、僕に手伝いを頼む代わりにホットドッグを食べさせてくれたり、映画館に毎日のように通ってポスターを眺めていたら、もぎりのおじさんがこっそりタダで中に入れて見せてくれたり。

さりげなく気にかけて手を差し伸べてくれたことが、僕の空腹やクサクサした気持ちを癒やしてくれました。僕が道を外さずに生きてこられたのは、そうした人たちに救われたからだと思います。

周囲の大人に見守られ助けられてきた僕は、今は手を差し伸べる番。15年ほど前、車で移動中、幼児を抱っこしているお母さんと、小学1、2年生ぐらいの男の子を見かけたことがありました。2人が何やら叫んでいて、その様子が尋常じゃない。声をかけたら、赤ちゃんが泡を吹いてグッタリしていたんです。

急いで病院へ運んだのですが、男の子はブルブル震えていました。だから、その子の手をとって「君がしっかりしなきゃダメだよ」と励ますと、男の子はうなずいて震えが止まったんです。後日、お母さんからお礼のお手紙が事務所に届いたとき、少しは支えになれたかな、と思いましたね。

戦後、核家族化が進み、隣人がどんな人かもわからなくなってしまった現代は、ヤングケアラーの困窮は、表に出にくくなっている。介護保険制度の充実とともに、周りの大人が地域の子供たちを少し気にかけ、少し“おせっかい”になることが求められているのだろう。

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